過黙殺
梟九皐に啼き、同胞に聞こえず
鳴無静閑の理解者は兄だけだった。
そして母の理解者も、もしかしたら父だけだったのかもしれない。
ただでさえ、鳴無の男は短命だ。鳴無の家に婿入りしたらしい祖父も、祖母との間に息子ができると例外なく、役目を終えたかのように死んだらしい。
まるで、蟷螂のよう。
交尾を終え、子供ができれば役目を終えたとばかりに食われて死ぬ。何より彼らの残酷な面は、雄を食うのが交尾をした雌だという点だろう。
互いに愛し合い、想い合った仲であるはずなのに、卵を――子供を産むための栄養源として雌は雄を喰らう。
だがそれでも、次の命に繋げるための犠牲なのだと思えばまだ、まだ納得しようと努力もできよう。
しかし兄は、鳴無凛音は婚約者との間に子供も設けられぬまま死んでしまった。
ならば兄は一体、なんのために犠牲になったのだ。なんのために、殺されたのだ。
兄は何を、残したというのだ
◀ ◀ ◀ ◀ ◀
「静閑ちゃん……」
壊刀団にとって、死は特別なことではない。
何せ本部の中だけでも一日に最低五人は死ぬし、地方の支部も合わされば毎日何十人と死んでいて、その度に葬式が挙げられていてはきりがないほどに毎日、誰かが死んでいる。
それは六道剣の一人といえど例外はなく、鳴無凛音の葬式は本当に質素で簡素なものしか行われなかった。
祝言を上げることもできず、結局義理の姉ですらなくなってしまったものの、織田が大粒の涙を流して抱き締めてくれたことだけが、せめてもの救いだった。
彼女は、兄を食った蟷螂ではない。
「困ったことがあったら、いつでも私達を頼ってね。うちに来たって、構わないからね?」
兄なら、こんなときなんて返しただろう。
ただ黙って頷いて戻ってきた葬式の帰路、琴音はずっと手を握って離さなかった。
思えば葬式の間もずっと、着物の裾や袖を掴んでいたような気がする。
彼女にとっても、兄は心の拠り所だっただろう。一切口を利かない女と、優しい言葉を掛けてくれる男。どちらにより懐くかなど、考えるまでもあるまい。
「ネネ」
驚いた。
元より言葉なんて発しないから、言葉を失ったという言い方は当てはまらないのだけれど、それでもそんな気分だった。
何せまともに話などできなかった少女が初めて、自分のことを呼んだのだ。ただし本当に初めてなので、彼女の言う「ネネ」が自分のことを差しているのか、静閑には判断が難しかったが。
「……?」
私のこと? と自分のことを指差してみる。
するとすかさず、琴音から「ネネ!」と返ってきた。
それがなんだか嬉しくて、恥ずかしくて、くすぐったくて、温かい気持ちになって、涙が、途方もなく溢れ出てきた。
先ほど自分がされたように、今度は自分が、琴音のことを抱き締める。
「ネネ? ねぇね?」
兄が自分にしていることを真似しているだけなのか、それとも兄がいつの間にか教えたのか。抱き締める鳴無の頭を兄のそれと同じように、琴音は撫で始めた。
――大丈夫、大丈夫。今は僕がいるから、安心して泣きな
兄は蟷螂で言えば雄で、何より鳴無の男だったけれど、ちゃんと、残してくれたのだ。
血も繋がらぬ少女に、自分の残り香を残してくれた。
兄の欠片が、ここにある。それがどれだけ鳴無静閑を元気づけることか、わかりきっていないだろう少女はただ優しく、兄の真似をして撫で続ける。
自分よりもずっと小さな少女に撫でられ続け、声を押し殺して泣き続け、鳴無は今日という一日を終えた。
◀ ◀ ◀ ◀ ◀
「なぁ。あの子、恐いんだけど……」
「そんなこと俺に言われても……」
一週間後、鳴無は二〇人近い大隊の一人として、都内でも多くの緑が残る山中を登っていた。
だが彼女が喋っているところを見たことがなく、ましてや兄の葬儀から一週間も経たぬまま現場復帰とあって、周囲の不安はより掻き立てられる。
最悪、彼女が乱心する可能性も考慮している何人かの団員は、常に緊張状態の中で鯉口を開いて抜刀できる状態を保っていた。
だが逆に、兄を亡くした彼女のことを思ってくれる団員もいた。
「ほれ、飲みなはれ。しっかり体調整えんと、いざと言うとき動けんで?」
六道剣の一角、
本人曰く、織田とは兄を取り合った仲だというが、兄から彼女の話題が出たことはほとんどないため、定かではない。
ただ兄のことを好意的に思ってくれていることは本当のようで、この一週間何かとよくしてくれた人だった。
此度はこの人と、今は先頭を歩いているもう一人の六道剣の一角とが率いる二つの小隊に分かれ、山奥に潜んでいる妖刀の使い手と、それが使役する妖の群れを掃討する大規模作戦である。
鳴無は此度、君嶋の班に入れられていた。というより、そう彼女が配慮してくれたのだろうことは、班員を見ればすぐにわかった。
班員のほとんどが兄と関わりのある人であったし、さらにその半分は自分も何度か組んだことのある人だったからだ。
あからさまに心配されているが故の配慮であることは、明瞭だった。
彼女とは葬式のときに初めて会ったのだが、今まで接点もなく何もしてやれなかったことを凄く悔やんでいた様子だったので、その埋め合わせのつもりなのかもしれない。
「今回は長丁場になるからな。水分補給はできるときにしとき」
感謝の意を込めて頭を下げる。
こういうことは普段兄が気遣ってくれていたので、改めて兄はいないのだなと悲しくなってしまうが、俯いてばかりもいられない。ただ真っ直ぐ、前だけを見る。
『ゔぉぉぉぉゔぁぁぁぁぁぇぇぇぇええええ……が? い、あ、さっるぅあっ? どぉぉぉぉぐぅぅぉぉぉぉぉうぉぉぉぉぉおおおおおおお……』
こら。
皆の視線が自分に集まっているのに気付き、なんでもないと首を大きく横に振る。
皆の視線が散って、登る山道に向いたのを確認した鳴無は一人、自分の刀の鞘を小突いた。
痛いとも言わないし、怨念の籠めて呪おうともしてこない。
これもまた持ち主ほどではないにしろ無口で、怖いくらい従順で何もしないくせして、たまに衝動的かつ発作的に人を呪おうとするから困る。特に兄が亡くなってからはより頻繁にするようになった。
兄のいない今、代わりに喋り掛けてくるのがこれとなると気が滅入ってしまいそうだ。
だが実際、兄の次に頼っているのがこれだったりもするから、そう邪険にもできない。それこそそう思わせるために、普段従順であるのではないかと思ってさえいる。
だが兄からしてみれば、これはそんな狡賢い頭はしてなくて、単に構って欲しいだけなのだそうだが。一体何を判断材料に思ったのかは、結局聞けず終いだった。
「ほな、行きましょ。皆、単独行動したらあきませんからね。
好きで逸れたいと思う者はいないだろう。
数十体の怪物がいる中に一人でいれば、それこそ恰好の餌。
この戦いにて武勲を上げ、功績を上げたいなどと考えていた者もいたかもしれないが、この山に入って考えを改めたはずだ。
それこそ怪談を聞かされた後で夜道を歩くようなもので、怪物がいると聞かされたせいで山全体が禍々しい雰囲気に満ちているように感じてしまい、自然と最高値まで上がる緊張感。
それが十数人規模で全員ともなれば、浅はかな考えも軽はずみな行動も自分自身のために抑え込まれる。それこそ己の保身を第一に考えるような者なら、尚更のことだ。
皆が六道剣の君嶋の下を離れようとしないため、注意する必要も、そもそもなかった。
が、妖刀も使い手もそういった心の弱みに敏感で、恐怖や疑心暗鬼と言った負の感情に畳みかけてくるのが定石。故に此度のように、一斉に妖が襲い掛かってきたとしても、おかしくはなかった。
阿鼻叫喚。元は自分達と同じ人間だったとはとても思わない絶叫で啼く異形の巨躯に、隊の中でも比較的若い団員らが恐怖に耐えきれずに逃げ出す。
君嶋が止めようとするもすでに遅く、逃げ出した団員二人はすべての頭に一つずつ目玉のついた九頭の大蛇にそれぞれ四肢を噛み千切られ、喰われていたのだった。
「怯むな! 臆するな! 弱り切った心にこいつらは浸食するぞ! 気を強く持ちやがれ!」
仲間の悲惨な最期に上がる悲鳴に、先輩団員が喝を入れる。
しかし言葉だけでは足りぬ。意気込みだけでは足りぬ。
向上心も威勢も覇気も、成そうとする心と言葉があろうとも、実力と実績が伴わなければ意味など持たず、偽りの士気を持たせても悪戯に人の心を搔き乱すだけ。
故に団員らを勇気付けるために必要なのは、言葉よりも行動だった。自身の振るう蟷螂の斧とて、貴様らの首を刎ねることができるのだと体現してみせる姿が必要だった。
故に、ではないが、鳴無は跳び込んだ。たった今、団員らを貪り食った九頭の大蛇に一人突っ込む。
大蛇は九つあるうちの六つの首を伸ばし、三重に牙が並んだ大口を顎を外して開け、食らいつこうとする。
誰もが彼女の食われる光景を想像し、何人かが耐え切れず目を逸らす。しかしそのとき、
ばぁぁぁぁん、
鳴り響いたのは一発の銃声。そして放ったのは、他でもなく鳴無だった。
一体どこに隠し持っていたのか、そしてどこで手に入れたのか、団員らも初めて見る形状の、当時ではまだ珍しい異国の回転式拳銃が、火を噴いていたのである。
その弾丸が下から迫り来ていた頭の目玉を射抜いて殺し、痛みが伝道したのか感電したように震えて動きを止めた目の前の上顎と下顎を切断して抜ける。
奥に聳える大木を足蹴に反転、再び大蛇へと跳び掛かって、振り向こうとした首を背後から両断し、振り向いた直後の頭を撃ち抜く。
痛みに悶えながらも怒りに任せて向かってきた残り五本の首に対して、最初に迫り来た頭を足蹴に高く跳び、追いかけてきた大蛇の大口の中に銃を放つ。
銃弾など丸呑みだろう大蛇の太い首が爆ぜて血反吐を巻き散らす中、落下の勢いで一番近くにあった目玉に刃を突き立てて、そのまま斬りながら落ちていく。
激痛で悶える首は、一つの頭が真っ二つに斬り裂かれて頭が一つ増えたことを喜んでいるかのようにすら見えるほど口角を歪ませ、大目玉に大量の涙を浮かべて笑い狂っていた。
そこから開放するための介錯を兼ねた一撃が、二本の脳天を貫き、穿ち、最後に足蹴にした首を両断して締めた。
無言実行。蟷螂の斧とて首を裂く。
自分達だって異形の怪物に敵うのだと、誰よりも小柄で小さな女の子に見せられては、負けられないというものだ。
誰もかれも、ここにいるのは場数では彼女に引けを取らないどころか、倍以上こなしている団員もいるのだから。
「皆、鳴無はんに続きなはれ!」
君嶋の合図で一斉にかかる。
自分より巨躯の相手も、異形の相手もなんのその。冷静にさえなれれば、己の剣に自信のあるものばかりの壊刀団。異形の怪物が相手とて、そう遅れを取ることはない。
異形の妖にされた人々の無念が成仏することを祈り、皆が一心不乱に刀を振るう。その中で唯一異国の拳銃をも握って戦う鳴無は、君嶋ともう二人の団員と共に前線へと躍り出た。
短刀でも脇差でもないにも関わらず、華奢な細腕で軽々と刀を振り回し、刀の間合いの外に逃げれば即座に銃弾が射抜く。
銃弾が尽きた瞬間を狙って襲い掛かっても刀に斬られ、軽やかに動く指が弾を装填して、自分の眉間に銃口が向けられる瞬間まで動けぬまま、撃たれて終わる。
曲者揃いの壊刀団といえど拳銃使いは彼女以外になく、鳴無(兄)も自分の妹でありながら、いつそんな芸当を身に着けたのかわからなかったらしい。
膝上まである長足袋の中に一体どれだけ詰め込んでいるのか、六発で一周する回転式拳銃の銃弾がいくら装填してもなくなる気配なく回り続ける。
敵を斬り伏せて宙に跳び、身を捻りながら銃を撃って敵の急所、関節を撃ち抜き、動きが止まったところで首を刎ね、自身もまた跳ねて目の前の敵を斬り伏せる。
止まることなく敵を斬り、撃ち、屠り続ける様は美しさすらあったが、終始無言かつ無口を貫いているため、狂気さえ感じさせるから怖い。
さながら刀の空裂音、銃の銃声が彼女の代わりに喋り、叫び、唸っているかのよう。
だとすれば一体、彼女に殺される妖の断末魔とどちらが悲痛に聞こえるのか、仲間である団員らには、兄を喪ったばかりの彼女の心の悲痛、苦痛を想像して思う。
兄より何があったのかは聞かされていないものの、心の中に燻る
それこそ今彼女が斬り伏せている妖怪のように、悲痛に鳴く断末魔さえ上げられれば楽になれるだろうにと、いけないことを考えてしまいさえするほどに、彼女の姿は痛々しく見える。
一体彼には――兄、凛音には、彼女はどう見えていたのだろうか。もう問うことは適わない。
彼には彼女の悲痛が、悲鳴が、九皐の如き深い心の谷底より聞こえたのだろうか。
そう考えたとき、君嶋を含めて彼のことを深く知る団員の心根に「本当に情けない兄だな」と、自責を吐く彼の姿が思い浮かんで、直後、鳴無(妹)の後を追いかけた。
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