雄弁は禁、沈黙は金

 少女は朝食の味噌汁をジッと見つめている。

 特別驚くようなものは入ってないのだが、それでも物珍しいものを見ているかのようだ。それこそ、味噌汁を初めてみたと言わんばかりに中身を見つめている。

「何か、嫌いなものでも入っていたかい?」

 そんなことはない、と首を小刻みに横に振る。

 隣で鳴無(妹)が味噌汁を啜ると、それを真似して味噌汁を啜った。気に入ってくれたのか、表情が晴れた様子だったので、作った鳴無(兄)は安堵する。

 食事も済んだので改めて事情を聞くと、父親から虐待を受けていた少女を偶々通りかかった鳴無(妹)が助け、父親を警官に明け渡したまではいいものの、少女が自分にくっ付いて離そうとしなかったため、家に連れてきたという経緯いきさつらしい。

「君、お名前は?」

 首を横に振る。名前がない、ということなのか。

 それにこの子もまったく喋らない。長年虐待されていたとなると、言葉そのものを教えてもらっていなかった可能性もある。だが言葉に反応はするから、喋れないだけである程度の理解はできているだろう。

 ならば――

「なら、君の名はそうだな……琴音ことね。君の名は、琴音だ」

「……こ、と、ね?」

「そう、琴音だ。君の名前は琴音だよ。これから一緒に、覚えていこうね」


  ◀  ◀  ◀  ◀  ◀


「それで、調子はいかがです?」

 琴音を引き取って二か月が経った頃、彼女は未だ鳴無兄妹が面倒を見ていた。

 彼女の父親を引き取った警官に改めて話しを聞くと、彼女の父と名乗っていた男はいわゆる人身売買をやっていて、彼も彼女の実の父親ではなく、生まれたばかりの彼女を両親から買い取って父と偽って育てていたらしい。

 だが男の見立てではすぐに売れると思っていたにも関わらず、何年経とうとも売れないからと暴力に及んだとのこと。

 なんとも身勝手で、同乗の余地もない。男の方は警官に任せるとして、問題は琴音だ。

 実の両親に売られたなどと、口が裂けても言うわけにはいかない。しかし行く当てもない少女を今更、孤児院に入れるなど無責任なこともできないと困っていると、どこからか話を聞いたらしい親方様がお手伝いとして寮に置いておくことを許してくださったのだった。

 だが、琴音はあまりに幼すぎる。

 壊刀団は人々のために戦っているとはいえ暗躍組織であり、黒い表現をすれば裏の稼業だ。

 身売りされた孤児とはいえ、まだ言葉すらもほとんど知らない子供が世間を学ぶには、自分達のいる環境はあまりにも汚くないだろうか。

 妹と共に壊刀団に入団した自分が言ったところで説得力の欠片もないだろうが、だからこそ、本来ここにいなくてもいい少女にはきちんとした人生を送ってほしいと思うものだ。

 もちろん、妹にも刀など握ってほしくなどないものだが――

「大丈夫ですか? 顔色が優れませんが……」

「大丈夫。ありがとう、依姫」

 祝言を上げる日は近付いている。

 そのせいか、鳴無(兄)は最近体調が優れなかった。ただ緊張しているだけ、心労が重なっているだけと考えたいが、呪いの存在が脳裏を過ぎって不安になる。

 織田には、鳴無の男が辿る運命については話していない。

 余計な心配などさせたくなかったし、何かあったときに自分のせいだなんて思って欲しくなかったから、彼女には告げぬままでいた。

 今でも伝えておいた方がいいのではないかと迷うこともあるが、貫く姿勢を保つ気でいる。

 それに、こちらはそもそも呪われる筋合いもない。

 鳴無を呪ったのが誰かなど知らないが、いつまでも呪い殺されてたまるかと、普段は滅多に見せない男気をやっぱり誰にも見せず、一人葛藤を続けていた。

「そろそろ行くよ。任務があるんだ」

「此度はどこへ?」

「蝦夷へ。少し遠いけれど、蝦夷の支部との通信が途絶えたらしいんだ」

「ではその間、琴音ちゃんを私の方で預かりましょうか?」

「いや、いい機会だから外に出してみようと思う。妹に凄く懐いているから、あの子に面倒を見させて僕だけで行こうと思うよ」

「それは……心配、ですね」

「そうだね。僕も心配だ。あの子達だけで大丈夫かなって――」

「私がしているのは、貴方の心配です」

 実力を認めていない、という意味合いでないのはわかる。

 実力も経歴も関係なく、純粋に親しく愛おしい相手に向けて掛けられる類の配慮。すでに彼女の中で、自身が家族と同格の位置付けをされている証。

 行こうとする自分の袖を掴んで止めようとするのが彼女の精一杯の抵抗と思うと、意見を主張してもいてくれて嬉しかった。

 だから似合わず、つい嬉しくて、英国の紳士がするという手の甲への口吸いをしてしまった。

 ただそのときは後悔なんてなく、恥ずかしげもなく、驚く彼女の目を真っ直ぐに見つめて。

「必ず無事に帰ってくる。約束するよ」

「……はい。いってらっしゃい、貴方」


 ◀  ◀  ◀  ◀  ◀


 婚約者に見送られ、鳴無兄妹と琴音は蝦夷へとやって来た。

 毎年大雪に見舞われる地域故、白銀世界を想定していたのだが、夏という季節もあって本土よりずっと過ごしやすいくらい。雪の対策をしていた鳴無(兄)は少し安堵して、同時に違う方向での心配が募り始めた。

 蝦夷の支部との連絡が途絶えることは、実はよくあるのだ。それこそ雪のせいで、連絡用に引いている電線が断線してしまうことが多いから。

 だから今回もそうだと思っていたのに、雪なんて電線を断つだけありもしない。

 周囲を見渡せば屯田兵が開拓したのだろう畑が青々と生い茂って、風は吹雪くことなくわずかに涼しいだけの薫風。雪の白銀など、道端の角にもありはしない。

 ならばなぜ、蝦夷支部との連絡が途絶えたままなのか。

 嫌な予感ばかりが募り、焦燥感に駆られて、予想は悲しくも的中してしまった。

「なんてことだ……静閑、琴音と一緒にそこにいなさい」

 目の前には、倒壊した蝦夷支部。

 山の中にひっそりとあるため人目に触れることも少なく、地元で同じく妖刀の存在を知る警官や屯田兵らに隠されていたため、騒ぎにならなかったのだろうが、それにしたって信じられないくらいの荒れようだった。

 建物はもはや原型を留めておらず、上から圧されたように屋根は中央から凹んで潰れ、支えていた柱は文字通り木っ端微塵と化している。

 中は特に酷く、詳細に語ることも憚られる惨劇。

 とにかく妹と、何より琴音に見せるわけにいかない光景が圧縮されていて、闇の中で消え損ねた無念と怨念が渦巻いているものだから、壊刀団最高幹部、六道剣の一角といえど吐き気を催してしまって、鳴無(兄)も正直見ていたくなかった。

 が、目を反らしては戦った彼らに対して余りにも無礼極まるだろう。不意打ちだったかもしれないが、その死に顔を見れば敵に立ち向かったことは言われずともわかる。

 成仏を願って手短に念仏を唱え、警戒しながら中へ。

 刀を握り、血溜まりを踏みしめながら進んでいく。進むごとに鼻を衝く鉄の匂いは強くなっていって、かなりの死闘を演じたのだろうと思っていたのだが、段々と印象が変わっていった。

 進むごとに折れた刀が散乱し、床や壁に血が飛び散って、その量は多くなっていく。

 死闘だなんてとんでもない。

 一方的に、残虐なまでに、一切の抵抗も許されぬままに斬り殺されたのだ。それも一太刀どころでなく、何回も斬り付けられて殺されている。苦悶に満ちた表情のまま死んでいる理由が、よくわかった。

「……怖かっただろうに」

 蝦夷支部の人間は比較的少ない。

 妖刀による被害が本土に比べて少なく、蝦夷と一言で言っても広大なので、ほとんどの団員が出払っていることが多いため、残っていたのは本当に十数人程度。

 支部に残っている者の大半が、未だ見習いと呼べる若者達だったろうに、突如現れた脅威に襲われ、斬られ、死に逝く恐怖に苛まれながら死んで逝ったことを思えば苦しくもなる。

 故に鳴無(兄)は一人ずつの両目を閉じて、自らも血に塗れながら戻っていく。

 だが最後、出口まであと一歩と差し掛かったとき、足首を自ら捻って反転。勢いを利用して抜刀し、打ち出された針を叩き落した。

 暗闇の中から漆黒の針。目で追ったのでは気付かなかっただろう。わずかな殺気と風切り音とでわかったが、少し反応が遅れた。

 すべて叩き落せたものの、抜刀するための勢いをつけようと無理矢理捻った足首を痛めてしまった。骨まではいってないが、おそらく後で大きく腫れるだろう。

 しかし今は、闇に潜む敵だ。

「壊刀団は六道剣、鳴無凛音。最近就任したばかりの新参者ですが、よしなに」

「六道剣? あらあら、それは随分と大物が来ましたこと……しかしまぁなんですかね。そんな大きな称号をこれ見よがしに見せつけられると、反吐が出ると言いますかなんと言いますか。自分よりずっと弱い人間がそんな大層な称号を貰っていると知るとそうですね、あれですね、本当、斬り殺したくなりますねぇ」

 針など比較の対象にもならない。

 これ以上なく速く、鋭く、猟奇的な殺気が迫り来る。

 捻っていない方の足で強く蹴り、後方に跳んだ鳴無(兄)だったが、もはや当然の如く出遅れる。

 矢継ぎ早に繰り出された言葉の直後、それこそ肩で風を切る速度で迫ってきた敵の斬撃は、仲間の瞼を下ろしてきた指を手首から斬り落として、血飛沫を己に引っ掛けた。

 苦痛に歯を食いしばって耐え、すぐさま斬られた腕を縛って止血。刀を握り返して、改めて敵と対峙する。

「おや? あなたは死ねと言わないのですね。困りました、困りましたね。私のが一方的な殺戮になってしまいます。そんな惨状、一体誰が見たいのでしょうね。ねぇ、六道剣さん? 修羅道か畜生道か何道を名乗っているのか知りませんが、わざわざ蝦夷は北海道まで来て死にに来たご感想はいかがです? さっきまで幸せそうな顔をしてたのに、死と面合わせの状況はいかがです? 幸福ですか? 降伏ですか? 跪いて怖気づいて逃げますか?」

 普段まったく喋らない妹といるせいか、よくもまぁそんな長々と喋れるなと関心してしまう自分がいた。が、余裕というわけではない。

 彼女の言う通り今にでも撤退したいところだったが、逃げてもその先には妹達がいる。

 何よりこの人が支部の仲間を皆殺しにした張本人だというのなら、六道剣の一角を名乗った以上、そう易々と引き下がるわけにもいくまい。

「まぁなんと勇ましい。勇敢で無謀で頼もしく空しく、悲しすぎて殺したくなりますねぇ。終わらせて差し上げたくなりますねぇ。どうです? お節介でなければ私がお世話を焼いて差し上げましょうか? 焼くと言っても火がないので斬るだけなのですが」

「御免被ります。申し訳ありませんが、僕にもそれなりの意地がありますので」

「そうですかそうですか。それは失礼致しました。お詫びと言ってはなんですがこちらの品物をお受け取りくださいますか? 必死に本部に助けを求めようとしていた、貴方様の団員の指にございます――」

 刹那。

 体は考えるよりも速く動いていて、剣と剣の衝突音が置き去りにされた意識の中で響き渡る。

 数度数十度、数百度の交錯を繰り返して、鳴無(兄)の剣は彼女の片腕を斬り落とし、彼女の剣に己の刀を折られ、体に斬撃を入れられた。

 走る鮮血。飛び散る血飛沫。自分の中の熱が血と共に抜けて、一挙に冷めて、醒めていく。

 脳内に過剰分泌されていた興奮物質が瞬く間に死んで逝って、静かになった頭は己の死と向き合い始めていた。

「修羅道にしては修羅とも言い切れず、畜生道と言うには畜生にもなりきれず、餓鬼道にしては勝利に飢えた様子もなく、地獄道にしては地獄の渦中にいる様子もなく、天道にしてはそこまで天才というわけでもない。結局、ただの人間だったわけですか。なぁんだ。それじゃあ私に勝てないのは当然ですね。しかしそれでも、私の片腕を斬り落としたことは承認しましょう。なので貴方は潔く、死人になってくださいな」

 依姫、静閑――すまない。本当に僕は、情けない兄だな。

 数分後、騒ぎを聞きつけた鳴無(妹)が兄の亡骸を発見。無言で無口で、声も長年発しなかった少女はこのときも、声を押し殺して泣いた。

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