壊刀談・喋否伝

喋否者

鳴無静閑

 江戸初期に幕府より組織された壊刀団の内部情勢は、組織を束ねる親方様と呼ばれる人が一人。補佐する右腕、左腕と呼ばれる役職の二人。

 それに続いて幹部が三人ほどいたのだが、時代の流れと共に徐々に人が増えていくと形を変え、いつしか地獄の六道になぞらえた六道剣りくどうけんと呼ばれる六人が実働部隊を率いる将となり、それまで情報操作が主な仕事だった幹部の役目を大きく変えた。

 慶応三年。

 この日、本部では新たな六道剣への世代交代が成された。

 六道の一角が任務中に部下を庇って片腕を失い、団内部でも比較的高齢だったこともあって引退を決意。これからは若き剣士を育てていくと、後代の鳴無凛音おとなしりおんへと託したのだった。

「鳴無さん、ついに観念したんですか? ずっと昇格の話蹴ってたのに」

 世代交代の儀式が終わり、六道剣の証である羽織を揺らしていると、後輩がちょっかいを掛けてきた。

 今までにも鳴無の六道剣昇格の話は何度かあったのだが、すべて断って来たために後輩からしてみれば今回の話を受け入れたことが意外だったのだ。

「あの人にはとてもお世話になったからね。それでいて断るなんて、失礼だと思っただけだよ」

 無論それだけでなく、前日に長々と本人から説得されたというのもあるのだが、それでも恩義のある人の御指名ならば断われるはずもなかった。

「そっかぁ。じゃ、これからは鳴無様って呼ばなきゃですね」

「ははっ、止してくれ。君はそんな媚びたりする人じゃないだろう」

「そんで? 六道剣は一人だけ従者を指名できんでしょ? 誰か目星を付けてんですか。例えば、あの盲目の剣客とか」

「あの人をこき使えないよ。むしろ、今度六道剣に昇格するのはあの人だろうね。本来なら今回だって、僕じゃなくてあの人がなるはずだったに違いないさ」

「じゃあ、まだ決まってないんすか」

 いや、と鳴無は首を振った。

 そしてニンマリと、笑顔を返す。後輩は知っていた。彼は良い考えが浮かんだときや自慢できることがあるとき、とても嬉しそうに笑う。それこそ、褒めてと催促する子供のように。

 だから後輩は笑みを見て、すでに準備済みなのだなと悟った。

「今日、僕の妹が赴任してくるんだ。身内だから気も楽だし、何より剣の腕が立つからね」

「へぇ、妹なんていたんですか」

「言ってなかったっけ」

「初耳ですよ。しかも刀を振れるだなんて、どんだけ腕の太い妹さんなんですか――」

 鳴無と後輩は相部屋だった。

 だから彼が鳴無に続いて部屋に入ったことは決して不自然なことではなかったのだが、鳴無静閑おとなししずかからしてみればいきなり入って来て、しかも自分のことを太いと言うそいつのことが気に入らず、周囲から華奢と呼ばれる細腕で木刀を投げつけたこともまた、不自然なことではなかった。

 咄嗟に躱した木刀が背後の壁に刺さったのを見て、後輩は顔面蒼白になる。

「こらこら、静閑。人にすぐ物を投げつけないでと、いつも言っているじゃないか」

 だって、と訴える眼差し。真一文字に結ばれた口は、あいつにも非はあると言いたげだ。が、何も言わない。喋ろうとしない。一切、一言も、何も発さない。

 鳴無(兄)は妹の機嫌を宥めるため、彼女の目線まで自分のそれを落として頭を撫でる。高身長と低身長とで、兄妹というより親子のように見えてしまう。

「久し振り。綺麗になったね、静閑。前よりずっと魅力的な女性になった」

 ホント? と問いかける眼差し。

「本当だよ。僕は君にだけは嘘はつかないさ。お兄さんだからね」

 彼女は嬉しそうにはにかむ。

 だが一切喋らない。口を開けもしない。上唇と下唇が縫い付けられているのか、それとも接着剤でくっ付いているのか、とにかく彼女の口は開く気配すら見せない。

 その代わりに彼女の眼差しから始まる表情と、旋毛から不思議な形で生えている一本の毛の束が犬の尻尾のように動いて、彼女の喜怒哀楽は喋らずとも伝わって来た。

「驚かせてごめんよ。この子が僕の妹。名前は静閑。昔ちょっと色々あって、精神的な病で喋れなくなってしまったんだけれど、聞き分けはいい子だから。よろしく頼むよ」

 後輩はぎこちない笑みでただ「はい」と返す。

 耳の側を風切り音を立てながら通り過ぎた木刀の光景がまだ頭に強くこびりついていたため、いつもの軽い調子で返せば今度は何が飛んで来るかわからず、単調な返事しか返せなかった。

 それに対しても、彼女は何を思っているのかわからない。何せ一言も発さず、息の一つすらも漏らさないくらいに、彼女の口は堅く閉ざされていたからだった。

 あまりに重い静謐に、後輩は耐え切れず言い訳して逃げ出す。そのことに関しても、彼女は口を閉ざしたままである。

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