契約2

 憎い。憎たらしくてしょうがない。ああ、この感情はなんだ。だけど今はそんなことを考えてる余裕はない。物理的に忙しい。


「今日はこれくらいにしておこうか。斎場のこともしないといけないし、役所にも行かないといけない」


 父さんは、役所には行きたくないとボソリとつぶやいていた。俺はあえて聞かないふりをした。

 役所に行くということは死亡届を出すということ。つまり書類上でも完全にこの世にはいないモノとして扱われるようになる。死を認めたということになる。斎場だって同様だろう。


 俺も認められていないことを、父さんだったらもっと認めたくないに違いない。


「葬式、はいつくらいになりそう?」


「最近は斎場も中々抑えにくいと聞くからな……」


 つまりは分からないということだ。ただ常識的に考えて、そんなに時間を置くことはあるまい。一週間以内には催される気がする。


 なあ俺はどうしたらいいんだ。


 声にならない叫びが俺の胸の中に寂しく反響していた。その反響は止まらなし止められない。


「今から役所に行く。満也も行くか?」


 近くの自販機で買ったのかコーヒーを片手に持っていた父さんが言った。俺は行くと答えた。

 行かなければ後悔する気がしたからだ。それも一生残り続ける果てしない後悔がだ。


「満也、今日は居酒屋に行こうな」


 父さんから店を言うのは珍しい。居酒屋と父さんは言った。それは今日は許して欲しいという父さんの思いが含まれている、ように感じた。そう感じずにはいられなかった。

 居酒屋とはおそらくうちのよく行く店だろう。居酒屋とはいいつつも、料理も美味しく、酒飲み以外の目的で訪れる客も少なくない。

 父さんも仕事の関連でよく使うらしい。


「無理だけはしないで欲しい」


「今日だけさ」


 そうであって欲しい。心の底から願った。


 こんな状態に追い込んだ犯人が憎い。憎らしい。


「行こうか」


 静かに父さんが歩き出した。俺も無言で同伴する。

 役所の手続きは簡素なもので、こんなので死が宣告されたのかと思うと、やるせない。


「もう終わりか…… こんなので、こんな呆気なくか」


 父さんは力が抜けたのか市役所の椅子に座り込んだ。

 職員は心配そうにしているが、慌てていない。おそらくこういったことがそれなりにあるのだろう。


 俺は父さんを慰めつつ、少し落ち着いたら車に乗せた。ここからは父さんは目が虚だ。

 こんな状態で車なんて運転できるのかと思っていると、エンジンをかけようとした。

 しかしクラクションが鳴った。普通は間違えないことをしたのだ。さすがにこれは無理だと悟らざるを得なかったので、足元がふらつく父さんを抱えて車を降りてバスに乗るのは難しそうだったから、タクシーで家に帰ることにした。幸いにもタクシー会社に連絡するとすぐに来てくれた。ありがかったのは運転手は父さんのことをなにも聞かなかったことだ。


「ありがとうございます」


 あまり現金を手持ちしていなかったので、家に入りお金を持って運転手に渡した。

 父さんの状態は悪化していた。頰には涙の跡が見て取れる。

 こんな状態だから居酒屋に行くなんて無理だ。父さんをベッドに寝かせた。


 ああ、俺も少し疲れた。今日はもういいかな。

 ベッドにダイブ……したかったが、まだするわけにはいかない。少し考えたいことがある。

 契約、そう契約の内容。

 これをどうするか悩みどころだ。そもそも得たい力は沢山ある。だけれどもそれと目的が合致した願いの具体的なビジョンが見えない。


「整理するか」


 紙を一枚飛び出して、したいことをまとめてみるとB5のコピー用紙が半分くらい文字で埋まった。


「現行の法律に反することはしないこと。少なくとも世間的な倫理に照らし合わせて問題がないこと。絶対的な苦しみを犯人に与えること」


 確認するために、必要条件を声に出してみた。

 あれは使えるのか? もしそうならば…… サタンに確認してみよう。


「サタンを召喚!!」


 そして、数秒して部屋に魔法陣が浮かび上がり、サタンが現れた。案外呼び方を変えても問題ないらしい。


「願いが定まったのか」


「いや、一つ条件を確認したくて呼んだ。今、問題はないか?」


「我に問題はない。それより条件についての質問となんだ?」


 俺は疑問に思ったことを聞いた。するとサタンは


「そういったことに配慮して願いを叶えようとする契約者は貴様だけだ」


 と言い丁寧に質問に答えてくれた。そしてその内容は俺の予想した通りのもので、心の中で大きくガッツポーズ。

 父さんが家にいなければ、大きく飛び跳ねていたところだ。


「ありがとう、今度会うときは本当に契約の時だ」


 サタンに感謝したい。ここまで丁寧に質問に答えてくれるとは思ってもいなかった。


 これで俺の願い骨子は定まった。ここからはより具体的に詰めていくだけ。

 少なくともこの時点ではそう思っていたのだが現実はそう甘くはなかった。


「まとまんねえよ」


 思わず声に出したくなるほどに煮詰まってしまった。骨子が定まっても、汎用性の効く肉が決まらない。

 どうしよう、あれだけサタンに大見栄張っておいていまさら無理だては天と地がひっくり返っても言えないし……


「ねよ……」


 こういう時は寝るのが一番。寝て頭も回復させて決めよう。今日は疲れたしもう限界だ。

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