第3話 やわらかい心と硬い心

 遅すぎた。

 私は自分の言葉で理解した。

 私は『愛する』とか『愛される』以前に、もう、『愛』というものを受け入れることのできない人間になってしまったということ。

 いくら水をあげても肥料をあげても私は、それらを受け入れず土の中で芽も出さずに死ぬのだ。

――ああ、そうだ

――そうだった

――私は嫌われ者なんだ

――だから、一人で死ねばいいんだ

――それがいいんだ

「お前はどうしたい?」

 私に願いなんてなかった。

 言葉もなかった。

「ない……」

 両肩を持ったのは無意識だった。

「もう、いい。隅田、ここまで自分の足で歩いて来い」

 その言葉に私は文字通り足を引きずるように前に進んだ。

 足が鉛のように重い。

 足の裏に無数のとげが刺さったかのように痛みを感じる。

 たった数メートルが恐ろしく長い。

 痛い。

 辛い。

 重い。

――楽になりたい

――死にたい

 もう、先生の前に立った時には私は殺意の塊だった。

――この先生を殺そう

――未遂に終わっても私は少年院送りだ

――そうすれば、この世界から隔絶できる

 拳を握り私は先生めがけて振り下ろそうとした。

 だが、先生は腕が上がっている時に捕まえた。

 そして、勢いそのままに私を引っ張った。

 やわらかく先生の体に当たる。

 煙草の匂いがした。

「よく頑張った。辛かっただろう」

 その言葉に私は涙が溢れ、嗚咽が漏れる。

 棘だらけで、硬い私の心を先生の心がこっぽりと包んだ。

 でも、怖かった。

『もう、自由だ』

『全部、俺たちだけが背負う』

 そんなは嫌だ。

 私の人生は私の足で歩みたい。

 先生は、それを知っていた。

「お疲れ様」

 先生の言葉は労いの言葉だった。

 どこかの三流ドラマや評論家のように後ろから抱きしめたり、変な説教ぶったり、価値観の押し付けなんてしない。

 自分の都合のいい手ごまにしようとしない。

 同じ人間として先生は私の背に手を重ねて泣かせてくれた。

 その間、先生は黙っていた。

 と、両肩からぶら下がっている両腕を取って背中に回した。

「隅田、一つ条件がある」

――声を殺して泣けとでもいうのだろうか?

 先生の条件は真逆だった。

「思いっきり泣け。遠慮したり我慢したら殴るからな」

 私は泣いた。

 ドラマなどでワーワー泣くシーンがあるが、あれは嘘だ。

 人は本当に思いっきり泣こうとしても声が出ない。

 獣の唸り声のような声と涙が出て止まらなかった。

 と、私の手に何がが触れた。

 その形状をなぞり、冷たさと硬さで分かった。

『拳銃だ』

 再び私の自殺願望が湧く。

――スナップを静かに外し、銃口を自分に向けて親指で引き金を引けば、死ねる。

 しかし、先生は鮮やかな先制をした。

「なあ、隅田。俺が信じられなくなったら、俺を殺せ。遺書はすでに書いてある。もしも、俺がお前を傷つけたら俺を殺せ。お前は誰からも責められないから安心しろ」

 嘘や欺瞞や気障ではない。

 本心から言っている。

 先生の覚悟と優しさに、また、私は泣いた。


 

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