絶望と希望。そして……

 倒れている仲間の数が減っていた。

 起き上がろうとしていた者も、その者に駆け寄ろうとしていた者たちも、何故だか姿が見えなかった。


「……う…………」


 かすかなうめき声が聞こえ、はっと目を向ける。そして――見えたものに、目を見張った。


「あ……たす……け…………」


 身体の、後ろ半分が溶けていた。頭も、一部がなくなっていた。

 こちらに合わせたままの瞳から光が消える。もう、声は聞こえない。だが、身体は溶け続けた。

 その周囲にも、溶けかかった遺体が散らばっている。どろどろと広がっていく。


 我々が住処を広げるために使う酸など比べものにならないほどの威力だ。きっと、あの雲に入っていたのだろう。

 起き上がろうとしていた者も、その者に駆け寄ろうとした者も、おそらくはもう、跡形もない――


 呆然としそうになったそのとき、ふと地面が動いた気がした。

 揺れているのではない。世界そのものが、動いているような感覚。

 我に返り、咄嗟に岩の隙間に逃げ込んだ。


 刹那。


 大量の水が押し寄せ、流れていった。

 すんでのところで助かったことに安堵し、それから思った。


 どうして私は、まだ生きているのだろう。


 皆、死んでしまったのに。

 巨大なドリルで散らされ、雲に押しつぶされて、強力な酸に溶かされて、死んでしまったのに。

 私だけが生きて、なんになるのだろう――


 ひいていく水に誘われるように、ふらふらと外に出た。

 また水が来たら、そのまま流されるのもいいかもしれない。

 そんなことを思っていた。


 世界が動く。

 光が差し込む。


 次はなにが来るのだろう。

 ――いや、なんでもいいか。


 もうあの暮らしには戻れない。

 安全だった住処は地獄と化した。

 ともに暮らしていた仲間は死んでしまった。

 だから、もういい。もう、いいんだ。


 静かに、次の天災を待っていた。

 明るくなった空から振ってくるなにかを、すべて受け止めるつもりでいた。


 突然、怒鳴り声が聞こえてくるまでは。


  ~*~*~*~


「なにやってんですかっ! はやくこちらへ!」


 驚いて目を開けると、かつての仲間の手が私に向かって伸ばされていた。

 その昔、他の土地を探すと言って、住処を離れていった者だった。


 生きて、いたのか……。


 驚きと喜びで思考が戻り、気づいたら走っていた。

 走って、伸ばされていた手をつかみ、引っ張られながら岩の隙間へと身を滑らせた。


「ここはまだ危険ですので、もう少し移動します」


 再会の挨拶もなく、すぐに背を向けて歩き始めた。その背中はたくましく、別れてからの年月を感じた。


「ここ“は”って。まるで危険ではない場所があるような言い方だな」


 あれだけの大災害だ。どこも尋常でない被害が出ているだろう。

 そう思って言ったのだが、前からは意外な言葉が返ってきた。


「いま危険なのは、あの場所です」


「………………え……?」


「ずっと見てました。明るくなった空から、馬鹿でかいドリルが降りてくるのも、変な雲が降りてくるのも。

 どちらも、狙ったようにあの場所だけに降りていったんです。洪水は他の場所にも来ましたが」


 信じがたい内容に言葉を失った。

 あの場所だけ。あの住処だけ。安全だと思っていた、あの住処だけ――

 信じられない。信じたくない。

 だが確かにこの周囲には、同じ災害が起きた形跡がない。あの場所からさほど離れてはいないというのに。


「……たまに、あるそうです。ほんのわずかな地域だけ、謎の物体に襲われることが」

「……それが今回は、あの場所だったということか……?」


 こくりと頷くように前にあった頭が下がった。


「外に出てわかりました。あの住処は、本当に安全な場所でした。他の場所では頻繁に泡が来て……毎日、何人もの仲間が死んでいくのが当たり前なんです。一緒にあの住処を出た奴も、流されました。

 だから……あの住処にいたことを間違っていたと思わないでください。今回は、運が悪かっただけなんです……!」


 悔やみそうになったことを、先回りされた。

 この者は、本当にずっと見ていたのだろう。住処が破壊され、仲間が無残な死を迎える様子を。

 なにもできず、見ていたのだろう。私のように――


「……すまない」


 謝罪の言葉を口にすると、「え?」と振り返られた。

 その瞳が赤く潤んでいることに気づき、もう一度「すまない」と言った。


「……私は、どこかで馬鹿にしていた。あの住処を離れる者を。安全に勝るものなどないのに、と。

 だが……このざまだ。誰も、守れなかった。あの場所が安全だと盲信していたからだ」


 あの住処を離れた者たちはきっと、気づいていたのだろう。

 確実な安全などどこにもないということに。いつか、安全は崩されるということに。


「……“間違ってはいない。考え方が違うだけだ”」


 聞こえてきた声に顔を上げた。前を歩いていた者が、足を止めて私を見つめていた。


「あの住処に住んでいるときに、何度も何度も聞いた言葉です。いつもそのあとに言われました。自分で選びなさいって。この場所に留まるか、他を探すか。

 他の人にもずっとそう言ってたんでしょう? だったら、他の人の命まであなたが背負う必要はありません。

 自分たちで選んだんです。あの場所に残るって。自分たちで選んだんです。誰も――あなたを恨んでなんかいませんよ」


 静かな声が心にしみる。

 ――まったく。生意気になったものだ。

 そもそも危険な場所があそこだけならば、遠くで見ていればいいものを。

 たった一人で――助けに来るなんて。


「……さっきから、慰めようとしてくれているのか?」

「え? いけませんか?」

「いくつ違うと思っているんだ。生意気に。――ほれ、急ぐんだろう? はやく行くぞ」

「ちょ、勝手に行かないでくださいよ。どこ行くか、わかってないでしょう?」

「どうせまっすぐ行けばいいんだろう」

「そうですけどっ」


 年配者を押しのけるようにして前に出た若者の後を追う。

 こちらの気持ちがわかっているのか、若者はそれ以上なにも言わなかった。


  ~*~*~*~


 ここです、と連れてこられた場所は、どこにでもある黄みがかった白い岩と岩との隙間だった。


「色々回って、ここに落ち着いたんです。他の場所よりは泡も届きにくくて、食料もそれなりに手に入ります。

 子どもも、生まれたんですよ」


 背中を押された小さな子どもが、恥ずかしそうに「はじめまして」と挨拶をする。

 同じ住処には他にも何十人もの仲間がいるようだ。


「住処を広げる工事も始めたんです。もっともっと増えますよ」


 見せてもらった現場には酸も多く、順調に工事が進んでいる様子がうかがえた。

「いい住処を見つけたな」

 褒めると、照れ臭そうに笑った。


 負けていられないな……。


 かつての住処は、あのあと真っ白なセメントのようなもので覆われてしまった。

 だが、いつか必ずいい住処を見つけだし、絶対にここよりもでかくしてやる。

 新たな目標を抱き、この世界で生き抜く決意を新たにした。


 見上げた空は暗いまま。

 もう、天災は落ち着いたのだろう。

 死んでいった仲間を想い、静かに目を閉じた。



「銀歯の下にあった虫歯は削り終わりました。問題がなければ次回、型を取りましょう。

 あと、上の歯の隙間に小さな虫歯ができているようなので、それも治していきましょう」


 空から聞こえてきた低い音。

 それが新たな天災を予告していたとは、誰も思わなかった。


                            <了>


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