第3話 しろうさぎ駆ける
なんでなんだよ…。
どうして今なんだよ。
「なんでだよぉぉお!!!」
そう叫んでベッドにもぐり込んだ。
布団の中で蒼志は泣き叫んだ。叫んで叫び倒した。声が枯れてもまだなお感情を吐き出そうと叫んだ。
父はドア越しに立ち尽くすしかできなかった。蒼志にとってもそうであるように、父も息子の心からの叫びを聞くのが初めてだった。
ショックだったが、実は少し安心もある。蒼志は今までわがまま一つ言わなかった。妻が生きていれば蒼志は甘えることができたのかもしれない。子育てにおける母親の重要性をつくづく感じてきた。どうしようもなく埋めることができない劣等感、敗北感があった。
だが、なんとなくだが糸口をつかめたような気がしている。ドアの向こうには丸裸になった息子がいる。大切な
寄り添おう。とことん。
時間がかかってもいい。やっと未来が見えてきた。
その日から蒼志が小学校に行くことはなかった。一日のほとんどを自身の部屋で過ごしている。会話もほとんどない。
それでも松本コウキは毎朝迎えに来てくれるし、翔馬が宿題を届けに来てくれる。二人は「蒼志ノート」と名付けたノートに授業の内容や休み時間の出来事なんかを書いてくれていた。
卒業式の前日、蒼志ノートに蒼志が初めてメッセージを書いた。
「翔馬ありがとう。」
「松本コウキくんありがとう。」
二人は父親にノートを見せた。久しぶりに蒼志の声を聞いたような気がした。二人に促されてその下に目をやると、
「中学校には」
と小さい文字を消した跡が見える。
「行く。やろ!おっちゃん、これ、行くって書こうとしたんとちゃうか!」
松本コウキが鼻息荒くまくし立てた。
「うん。うん。うん。」
それぐらいしか声が出てこなかったのは二人の気持ちが嬉しかったからだったが、
「おっちゃん!良かったなぁ!それにしても泣きすぎやでぇ!」
と二人はケタケタ笑って帰って行った。
嬉し涙は妻のお腹に手を当て蒼志の胎動を感じたあのとき以来だ。
「蒼志、明日からランニングしないか?」
唐突かもしれないがもうずっと前から計画していたことだ。父自身がランニングに救われた経験を持っている。蒼志も何かを感じることになるはずだ。
一方、蒼志も動き出したいと感じていた。生きる意味や自分の存在価値を完膚なきまでに否定する時間を、この数ヶ月の何もしない時間はそれこそが意味のない時間だと気付かせてくれた。それに、あの二人のくだらないメッセージを読んでいると悲劇の真っ只中にいる自分が恥ずかしくもなった。
きっかけは何でも良かったのだ。玄関には父が綺麗に洗ってくれていたスニーカーが今か今かとスタンバイしていた。少し窮屈だったが我慢しよう。窓から見ていたあの景色に飛び出すんだ!
苦しくて、悔しくて、情けなくてがむしゃらに走った。その先にある光を自分の力で掴めばいいと感じるから。やがて隣で走る父の息の音に意識が向いた。スッスハー。スッスハー。
足並みも足音も二人で揃っている。揃えてくれている。
とても心地が良い。ザッザッと揃う足音は耳から腹の底まで一直線に進み、ぞわぞわとむず痒くする。
──なんだ。ここにも空があるじゃないか。
ここに越してきて初めて空を見上げた。鳥が飛んでいるし、雲が流れている。
やがて風を切る音に意識が向いた。
そうだった。山の中で思いきり走ってこの音を何度も聞いた。山の中を駆け抜ける風の子になれたような気がしたんだ。山の一部になれたような誇らしい気分になれたんだ。
スニーカーの中で縮こまっている足が痛くなってきた。
山の土はふかふかで、僕が走る時はいつだって応援してくれていた。僕は走ることが大好きだったし、僕は山が大好きだった。
走り方がおかしい、靴のせいだろう。
と突然父に帰るように言われた。もう少し父と走りたかったが新しい靴でまた走ろうと誘ってくれたのでしぶしぶ帰った。
帰ってから蒼志は引き出しを開けた。ごくんと唾を飲み込み、さやの手紙を手に取った。
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