クリスマスローズ

「きっと君は来ーないー」


 クリスマスにお馴染みのフレーズを口ずさんだ。そのあとはうろ覚えだからハミングで誤魔化す。えぇ、そう。君は来ないんです、この間別れましたから。

 まぁ、来る来ない以前に、日付が変わりかけの会社にいる時点で、今年のクリスマスは終わっている。パソコンとにらめっこ。カチャカチャとキーを打つ音が響く。


「茨木さん、歌ってないで早く終わらしちゃいましょうよー」


 横から声をかけられて、私は思わずピクリと眉をしかめた。声をかけてきたのは会社の後輩くん、伊吹真守だ。線が細くて、性格も草食系? 犬系? って感じの男の子。顔もまぁまぁだし従順だし、仕事の覚えも早かったから、同僚からの受けはいい。私は彼が新卒で入ってきてから、彼のお世話役としてついている。って、それはともかく。「早く終わらしちゃいましょう」ですって? どのツラ下げて? 


「……入力一列ずつずらしてたの誰だっけ? 誰のせいで一から入力し直してるんだっけ? 伊吹くん?」

「……すみません」


 私が睨みつけると、伊吹くんは慌てて自分のパソコンに向き直った。ったく、冗談じゃない。


「はぁーあ。何が悲しくてクリスマスイブに後輩と二人で残業せにゃあかんかなー」

「あれ、茨木さん、イブに二人で過ごすような相手いたんですか?」

「……うるさい」


 痛いところを突くんじゃない、伊吹くんのくせに。ちょっとムカついたから、脚を伸ばして伊吹くんの椅子を小突いた。「いてっ」と小さな声がして、ザマーミロ、と舌を出す。


「でも、前に桝さんから聞きましたよ? 彼氏はどうしたんですか?」


 お喋りな同僚の顔が思い浮かんだ。あいつ、後でしめる。


「この間お別れいたしました!」

「え、どうしてですか?」

「仕事ばっかしてるのが気に食わなかったらしいわよ! 知らない!」


 うまくいかない理由はいっつもそれだ。私は今の仕事が好きで、仕事を優先しがちではある。多分、現時点でまだ彼氏と別れていなくても、今日このタイミングで伊吹くんが同じミスをしてたら、私は残業していただろう。私はそういう女だ。それをご理解いただけなかったのだから、それまでだったのかもしれない。


「なるほど、納得です」

「あんた殴られたいの?」

「いや、違いますよ。そうじゃなくて」


 そう言いかけて、伊吹くんは椅子をくるりと回転させて私に向き直った。


「元彼さん、仕事してる茨木さんを知らないからそういうこと言えたんだろうなって」

「何? どういうこと?」

「僕は、仕事してる時の茨木さんが一番かっこいいと思いますもん」

「──……」


 何を言い出すかと思えば。予想外の言葉をかけられ、顔に熱が集まる。それを隠すように、ひたすらパソコンを見つめた。


「おっ……おだてて仕事量減らそうって魂胆ね? 効かないわよ」

「ひどいですね、信用ないなぁ」

「じゃあ何? クリスマスを一人で過ごす独り身を慰めようって? どうせ来年も、仕事してて一人だろうし」


 自分で言ってて虚しくなってきた。そうね、どうせ来年も一人なんだろう。こんな風にバリバリ仕事をして、寂しさを紛らわすのだろう。……私。


「このまま一生独り身なのかな……」


 独り言のつもりだった。つもりだったけど、二人きりのオフィスで、伊吹くんに聞こえないはずがない。言ってからそれに気づいて、慌ててキーを打つ。

 今は仕事だ。将来への不安を感じてどうする。無言の時間が続いた時、伊吹くんが不意に口を開いた。


「茨木さん」

「何?」

「じゃあ僕、茨木さんの来年のクリスマス、予約しといていいですか?」

「は……?」


 言っている意味が理解できず、目を丸くして伊吹くんを見た。伊吹くんははにかんだ笑みを浮かべながら、私を見ている。


「というか、できれば再来年も、その先も」


 再来年も、その先も。その言葉を聞いて、さらに私は混乱する。


「……伊吹くん、それって」

「……えっ、あれ。もしかして、伝わらないですか?」

「いや、えっと」

「告白のつもり……です」


 どうやら自惚れじゃなかったらしい。告白のつもりらしい。そうやってはっきりと言われてしまうと、何というか、逃げ場がないというか。年甲斐もなく、舞い上がってしまうじゃないの。


「……茨木さん?」


 顔を覗き込まれて、弾け飛ぶように椅子を引いた。顔が赤いの、バレるじゃない! って思ったけど、杞憂だった、すでにバレバレだったみたいだ。伊吹くんはまたしてもはにかんで見せた。心なしか頬も少し赤い。


「茨木さん、約束ですよ」


 そう言うと伊吹くんは、私の右手をとって、私の小指と自身の小指を絡ませた。ガキか! 子供か! そうは思うが声は出ない。かわいいこと、しやがって。


「とりあえず今日は、終わったらラーメンでも食べに行きます?」

「……色気ねー……」

「色気があるところ行ってもいいですけど、多分満室ですね。イブだし」

「待ってあんた今何考えた!?」

「僕だって健全な男子ですよ?」

「~~~っ!」


 言葉に詰まっていると、窓の外に見えるイルミネーションが違った光を灯し始めた。その光で、日付が変わったことに気がついたのだった。



 * * *



 伊吹くんのせいで、クリスマスの憂鬱も、将来への不安も、考える暇なんてなくなってしまった。こうなったらラーメンくらいは奢らせないと、気が済まない。そんなクリスマスも、ちょっといいかもしれない。





*クリスマスローズの花言葉:「私の不安を取り除いてください」

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