ハマユウ
──全部、くだらないことのように思えた。
「クレハー!」
振り返ると、友人が手を振りながらこちらへ走ってきていた。わたしはぼんやりとそれを待つ。
「ねぇ聞いてよぉ! あたし今度の掃除学のテスト、80点以上取らないと単位もらえないかも!」
「……リエル、あなた炊事学の実技でも同じこと言ってなかった?」
「だってぇ……。はぁー、やばいかも。あたしこのままじゃCランクの相手にされちゃう」
リエルはため息をつきながら、わたしのことを見据えた。
「クレハはすごいよね。成績も常にトップクラスだし。この間の裁縫学の実技、一番だったんでしょ?」
「……らしいね」
「いいなぁ。Sクラス確実じゃない、クレハの結婚相手!」
わたしの国は、少しおかしい。
昔からの信条らしいけど、「女は国を内から守るもの」として、結婚して家庭に入ることが当たり前で──それ以外は“非国民”とされる。だから女に生まれたら、幼い頃から家のことを何でもこなせるような教育を受けてこなければならない。
国の男と結婚することを強いられるため、女は国を出るのも許されない。出国には何だか特別な申請をして、国から許可をもらわないといけないらしいけど、詳しくは知らない。
さっきリエルが口走った結婚相手のこと。わたしたちは、16歳の誕生日に、一方的に結婚相手が告げられる。その相手は、わたしたちの成績によって国が選んだ相手だ。そして、学校卒業と共に結婚をする。だからうちの学校の卒業式は、卒業式というよりは結婚セレモニーだ。
──そしてわたしは、もうじき16歳になる。
わたしはリエルの言葉に聞こえないふりをして、歩き出した。
「あぁっ! 待ってクレハ! 掃除学のノートを……!」
「……明日持ってくるから」
「恩に着る!」
その言葉を背中で受け止めながら、わたしは空を見上げた。
広い。どこまで続いてるんだろう。そこまで考えて、考えるだけ無駄なことに気づいた。
──全部、くだらないことのように思えた。
いい嫁になれ、と口うるさい親も。同じことを繰り返し言う先生も。顔がいい男との結婚にこだわる友人も。まだ見ぬ“Sクラス”の結婚相手も。こうやって空を見上げる行為さえ。全部。
「──なぁ、あんた」
低く澄んだ声だった。突如後ろから声がして、弾けるように振り返る。
そこには、明らかに異国の男が立っていた。肌の色が違う。目の色が違う。ボロボロで、所々ツバが切れている帽子を被っている。同じくボロボロなマントを羽織って、履いているズボンも、靴も、ボロボロじゃないところがないくらいで。
「……何か?」
「この国の、“青い風が吹く丘”に行きたい。案内してくれないか?」
旅人、だろうか。青い風が吹く丘なんて、国の人間からしたら何の面白みもない場所だ。少し町外れにあるし、坂もあるから観光に行く人も随分減った。……まぁ、異国の人から見たら物珍しいのかもしれない。
「……こっちです」
「おおっ、ありがとな!」
わたしがそう言うと、旅人は、にかっと憎めない笑みをわたしに向けたのだった。
* * *
街の外れにある丘を登っていく。学校の制服のロングスカートのまま来てしまったから坂道が少し辛い。わたしが息を切らしていると、旅人はそっと手を差し伸べてきた。わたしはその手を掴むと、ぐっと足に力を込めて坂を登る。
「あとどれくらいだ?」
「もうすぐです。あの二本杉の間を抜ければ」
二本杉は近い。わたしは旅人の手を離して、その間を抜けていく。
──風が、吹き抜けていく。
「……これが、“青い風が吹く丘”?」
「はい。そうですよ」
旅人は、目の前の景色を見てぽかんと口を開けた。
一面に広がる、青い花畑。その花たちが、風通しのいいこの場所で、風に吹かれてゆらゆら揺れた。それは、青い風が吹いているように見えなくも、ない。
「ここまで来たのに、こんなもんか……まぁ綺麗だけど」
がっくりと肩を落とす旅人。しかし、彼はため息をつきながらも、大きなリュックサックの中から古めかしいカメラを取り出した。わたしはそんな彼を横目で見ながら、時計を確認する。
この場所が、“青い風が吹く丘”と呼ばれる理由。この国、この場所でしか咲かないらしいこの花は、一日に一回、不思議な現象を起こす。
「……もうすぐ」
「え?」
彼が聞き返した瞬間、一際強い風が吹き抜けた。その刹那──
「……青い、風だ」
彼が、目を見開いてそれを眺めていた。“青い風”を。
「この花は、今くらいの時間にこんな風に青い花粉を飛ばすんです。人には無害だし、季節を問わず飛ばすから、国の人には“そういうものだ”とされてて研究はされてない。この花は何故かここにしか咲かないし、いつしかここが“青い風が吹く丘”と呼ばれるように──」
わたしの説明を聞いてるのかいないのか、旅人は夢中で風をカメラに写していた。カシャリ、カシャリとシャッターの音が響いて、わたしは言葉を止めた。あんなに楽しそうに写真を撮る人を、初めて見たから。
しばらくして、カメラを構えるのをやめた旅人が、ニコリと笑ってわたしに向き直った。
「ありがとうな。俺一人じゃ道に迷ってここまで辿り着けなかった。この辺の道、詳しいんだな」
何も知らない旅人は、わたしに感謝の言葉を告げる。違う、わたしは、この辺の道に詳しいんじゃない。この辺の道しか、分からないんだ。
「……そんなの、当たり前よ」
「……?」
「わたしは、この国から一歩たりとも出たことがないもの」
この国で、女として生まれた宿命。わたしは、拳をギュッと握りしめた。痛いくらいに。
「……旅はいいぞ」
旅人は、小さく呟いた。
──何、この人。この後に及んで自慢……?
驚いて何も言えずにいると、旅人はリュックサックから大きなアルバムを取り出した。わたしに向けてばさりとそれを開く。
何枚も、何枚も。
青の空。赤の夕焼け。黄の花畑。黒の夜景。白の建造物。光。闇。人。動物。食べ物。違った景色は、どれもみんな綺麗で。綺麗で──。
「この一つ一つ、俺が今まで見て来たもの、出会ったものが、全部俺の一部になる」
「……あなたの……」
「そうやって俺は、“自分”を作ってくんだ」
自分を、作る。わたしには? わたしには、何がある? 掃除、裁縫、炊事の才能? ううん、違う。そんなの、違う。わたしには──。
「何も、ない……」
気づいてしまった。自分が空っぽなことに。わたしは涙を堪えながら膝から崩れ落ちる。すると、すっと手を差し伸べられた。
「俺と一緒に、来るか?」
「あなたと……?」
わたしは目をパチクリとさせた。
「まだまだ世界には、見たこともないものがたくさんある。それを一緒に見て、“お前”を作ろう」
あぁ──。
この国では、“いい嫁”を作ることが第一で。“わたし”を作ろうと思ったことなんて、なくて。わたしは──わたしは、“わたし”を作りたい。確かに感じた、この胸の鼓動が確かなら。
「……はい……!」
彼の手を取ると、彼はニカッと白い歯を見せて笑った。わたしの心臓が、また脈を打った。
わたしと彼は駆け出した。丘を下って。
“これは亡命よ”
──ええ、そうかもしれない。
“真面目で優秀なクレハがどうして”
──だって、それは“わたし”じゃない。
“非国民!”
──それでもいい。
“どうなっても知らないわ”
──どうなっても、平気な気がするもの。
だって今、こんなにドキドキしてる。今感じてるこのトキメキと期待が、いつか本物に変わるとしたら。
わたしは、あなたと。どこか遠くへ。
*ハマユウの花言葉:「どこか遠くへ」
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