ペチュニア
「──あれ、今日松田さん休みなんですか?」
買ったお弁当を温めてもらう間、俺はよく行くコンビニの店長さんに尋ねた。松田さんというのは、ここのバイトの子。下の名前は知らない。名字も名札で知っただけ。
「あぁ、彼女テスト期間らしくて、休んでるんですよ」
「へぇ……そうなんですか──あ、お箸は結構です」
温めたお弁当にお箸を付けようとした店長さんに慌てて言う。彼女になら言わなくて済むのにと思いながら。
* * *
家に帰って、お弁当を食べながら、ぼんやりと考えた。最初は、「あの子よく働くなぁ」なんて思ってただけだった。仕事帰りに毎日のように行くのに、その度に目にしたからだ。そのうち、向こうも顔を覚えてくれたようで、タバコも言わずに取ってくれるようになった。
“よく、いるよね”
最初に話し掛けたのは、俺からだったと思う。彼女は少し驚いたようにした後、微笑んだ。
“お兄さんも──よく、来ますよね”
それから、少しずつ会話を交わすようになり、俺は自然に彼女の姿を探すようになってしまった。今日みたいにいない日は、少し不安に思うほど。
そこで、不意に鳴った玄関のチャイムの音に我に返る。玄関のチャイムが鳴ると同時に、扉が開いた。いきなり開けるならチャイムを押す必要はないのにといつも思う。
「やっほぉ、来たよぉ」
「……いらっしゃい」
俺は食べかけのお弁当を隠そうとしたが、あえなく見つかってしまう。
「あーっ! またコンビニ弁当なんか食べてるぅー! もぉ、体壊しちゃうよぉ?」
「大丈夫だって」
俺は苦笑いを浮かべるけど、彼女は俺の話を少しも聞いてはくれない。後ろから巻き付くように抱きつくと、耳元で甘ったるい声を出した。
「リサ、毎日ご飯作りに来てあげよっかぁ? なんなら、同棲もありかもぉ」
「んー……」
考えるふりをしながら、俺は彼女の腕をゆっくりと剥がす。
「……いいや。どうせタバコ買いに行くし。リサも大変でしょ?」
「えぇー? 別にリサ大変じゃないしぃ」
「とにかく、平気だから」
俺は立ち上がって、冷蔵庫からペットボトルの紅茶を取り出して彼女に差し出した。彼女は不貞腐れたままの表情でそれを受け取る。
「リサって彼女だよねぇ? りょーくん、優しいけど冷たぁい」
「……そう?」
「もしかして、浮気してんのぉ?」
──浮気?
その単語に違和感を覚えながら、笑顔を作る。
「まさか」
俺は自分のお茶を一口飲んで、小さくため息を吐いた。
* * *
次の日も、俺はぼーっと考えていた。
──これは浮気なんだろうか。
よく行くコンビニの女の子を、目で追ってしまうことは。恋人をないがしろにしてる時点で、浮気なのかな。やっぱり。
でも──彼女に対する気持ちが、恋であるかも定かではないのに? そもそも、相手は学生なわけで。これから彼女と何か進展があるわけでもなし。というか、名前すら知らない関係だし。
俺はタバコを吸おうと箱から一本取り出して、残りがないことに気が付く。
「……タバコ切れた」
考え事をしてると、タバコの量が増える。仕方ない。買いに行くか。
俺は車のキーを手にして、家を出た。あのコンビニが一番近いから、必然的にあそこになるわけだけど。
──いるかな、あの子。
家が近所だから5分もかからない。俺は車を入り口の側に止めて、中に入った。
「──あ、いらっしゃいませ」
品だし中の彼女と目が合う。いつも通りの笑顔を俺に向けた。彼女を見てほっとした。何でかは分からない。
「あ……テスト、終わったの?」
自然と俺の頬の筋肉も緩んだ。今、俺はどんな顔をしているんだろう。きっと、今の恋人には見せたことがない、間の抜けた顔だ。
「はい、なんとか」
「なんとかじゃダメでしょー、学生の本分は勉強なんだし」
「そうなんですけど」
「そうやってバイトばっかりしてるから」
「……だってバイトしてないとお兄さんに会えな……あ」
「え?」
「……何でもないです!」
彼女は慌てて作業に戻る。今聞こえた言葉は、彼女の顔が赤い気がするのは、俺の勘違いなのか。……そしてそれを嬉しいと思うのは、やっぱりアウトなのか。タバコだけのつもりだったけど、ふとお菓子の棚を見やる。
──飴でも買ってあげようか。
俺は適当に選んだ棒つきの飴を一本持ってレジに並んだ。
* * *
──彼女に対するこの気持ちが何なのか、俺には答えが出せないけれど。
たかがコンビニに向かう足が軽やかなのは、やっぱり彼女がいるからで。彼女の笑顔を見ると、何だかすごく心が和らいで。
きっとまた明日も俺は、そういえばあれが切れていたとか、あれがなくなりそうだったとか、なにかと理由を付けてここに来てしまう。
彼女に、会いに。
*ペチュニアの花言葉:「和らぐ心」
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