スイートピー

「いらっしゃいま……あ」


 入り口のベルの音と共に発されたあたしの声は、途中で途切れた。優しい笑顔を向けられて、あたしも笑顔を返した。しがないコンビニ店員のあたしの楽しみといえば、休憩の時にもらえる廃棄の弁当とか。……常連さんの、笑顔とか。

 彼は、いつも午後5時くらいにやってきて、店内を物色し、お弁当とタバコを買っていく。最初は「この人よく来るなぁ」なんて思ってただけだった。顔もタイプだったし、毎回同じ時間に、同じものを買うから覚えるのは容易かった。


「こんばんは」


 レジに籠をおきながら、彼が言った。


「こんばんは。今日も寒いですね」

「うん、本当に」


 お弁当をスキャンしながら、会話をする。当たり障りのない会話。あたしは彼が言う前に、タバコに手を伸ばした。マルボロのブラックメンソールだ。毎回買うから覚えてしまった。


「……ですよね?」

「うん、正解。ありがとう」


 彼はにっこり笑ってタバコだけポケットにしまった。……笑顔、いいな。柔らかい笑顔。あたしはお箸は入れずにお弁当を袋にいれる。「お箸はいいです」と毎回言ってたのに言わなくなったのは、あたしを覚えてくれてるからか。


「ありがとう」


 そう言ってまた笑顔を向ける彼に、顔を背けた。やっぱりかっこいい。


「さ……三百円のお返しです」

「うん、ありがとう」


 お釣りを渡すついでに、こっそりと手に触れた。外にいたからか、少し冷たかった。


「ありがとうございました!」

「バイト、頑張ってね」

「はい!」


 彼の背中を見ながら、残りの時間も頑張ろうって思えた。



 * * *



“名前は何ですか?”


“歳はいくつですか?”


“何の仕事してるんですか?”


“どこに住んでるんですか?”


──“恋人は、いますか?”

 知らないこと、聞きたいことが多すぎて。でも、知ってしまったらこの不思議な関係が崩れてしまう気がした。

 だって、名前を知ったら求めてしまう。恋人がいなかったとしたら、期待してしまう。それに。他愛ない会話をしてる、あの時間が、すごく──


「松田さん、外の掃除お願い」

「あ、はーい」


 店長に言われて、あたしはゴム手袋片手に外に出る。


「……さっむ」


 独り言を呟いて、入り口のゴミ箱を片付け始めた。さっきまであんなに気持ち舞い上がってたのに……急降下にも程がある。吐く息は白い。


「……寒い中、ご苦労様」


 不意に、後ろから聞こえた声に振り返る。彼が、ゆっくりとこちらに歩いてきていた。


「えっ? あれ? ど、どうしたんですか?」


 びっくりしたのを隠そうと、必死で平静を装う。一日に何度も来るなんて、初めてだったから。


「ちょっと、買い忘れ」


 苦笑しながらお店に入っていく彼を見送って、にやけそうになるのをこらえた。一日に2回も彼を見れるなんて、今日はいい日なのかも。ただでさえ、お店でしか会えないし。ゴミを片付けていると、やがて彼が出てきた。


「ありがとうございまーす……何を買い忘れたんですか?」

「牛乳がなかったんだ。あと……」


 彼は何かを言い掛けて、さっき買ったばかりの袋を探る。わざわざ見せてくれるのだろうか? と小首を傾げた。あ、あった、と彼が小さく呟くと、急に温かい感覚が頬を包んだ。


「えっ? ……あったかい」

「ココア、飲める?」

「はい、飲めます、けど」

「じゃあ、あげるね」

「ええっ?」


 急な発言に慌てるあたしに、やわらかな笑顔を浮かべた。あたしが汚れたゴム手袋のせいで他のものに触れないことに気が付いたのか、頬に当てていたココアをあたしのポケットに入れた。


「やっ……悪いです! そんな……」

「いいのいいの。寒い中頑張ってるご褒美。じゃあ」


 そう言って彼はひらひらと手を振って車に乗り込んでしまった。……ご褒美、って。あたしは頬が熱くなるのを感じていた。ココアの熱じゃないことは、確かで。やっぱり、この気持ちは。


「……へへ」


 早くバイト終わらせて、冷めないうちにココアを飲もう。彼はココアがご褒美だと言ったけれど。彼といられるあの一瞬が、彼と会話できるあの時間が、あたしにとっての、最大のご褒美。





*スイートピーの花言葉:「束の間の喜び」

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