勿忘草

 愛がなくなってきていたことは、さすがに気が付いていた。付き合ってもうすぐ三年だけど、前みたいな優しさはくれなかった。メールの返事もそっけないし、二人でいてもこっちを見てくれない。だから今日、珍しく向こうから誘ってきた意味を、すぐに理解したんだ。

 昼過ぎのファミレスは談笑を楽しむ人々で賑わっていた。私たちも、ドリンクバーだけで何時間もおしゃべりをしていたことがあったっけ。まだ学生だった私たちは、ろくなデートなんてできなかったから。何だかすごく懐かしく感じた。でも、きっと彼は覚えていないんだろうな。


 窓の外を見ると、向かいの雑貨屋さんが目に入った。……そういえばあそこのお店も、放課後よく二人で行った。女の子らしいものが並ぶ雑貨屋さんだったからすぐに文句を言ってきたけど、必ず一緒に入ってくれた。最初の誕生日プレゼントも、あそこで買ってくれたネックレスだった。チェーンが切れてしまったけど、まだ大切に家にしまってある。


 時間を確かめるために携帯を開いて──私は苦笑した。……そうか、待ち受けももう変えなければならない。彼に頼み込んでペアにしてもらった待ち受け。合わせるとハートになるデザインの、可愛らしい待ち受けだった。私ったら、一年以上待ち受けを変えていなかったのか。きっと彼はとっくの昔に変えているのに。


……滑稽だな、私。

 見渡せば、そこらじゅう彼との思い出でいっぱいで。私だけ知らないうちに思い出に縋って。私は──まだ彼が大好きで。


「ごめん、遅れた」


 彼の声にハッとする。私は咄嗟に首を横に振った。……こんな時でも、私を見てくれないのね。


「で……話があるんだ」

「……何?」


 次にくる言葉なんて、分かってる。ほんの少し、ほんの少しだけ違う言葉を期待する。でも、期待も虚しく、彼の唇は予想どおりに動くのだった。


「俺と──別れてほしい」


 一度なくなってしまった愛情を、取り戻すことは難しい。私が発することができる言葉なんて、一つだけ。


「今まで、ありがとう」


 泣いても、無駄。だから、精一杯の笑顔で。


「……ごめんな」

「私こそ……今までわがままばっかりでごめんなさい」

「じゃあ、俺行くから。これ、コーヒー代」


 彼は財布から千円札を取り出すと、静かに立ち上がった。これで、お別れ。三年分の思い出も、みんな、サヨナラ。


──そんなの……悲しい。


「あ……」


 私は思わず引き止めてしまって、慌てて口を塞ぐ。


「……何?」


 彼が少しだけ振り返った。私は小さく首を振って、また笑顔を作った。


「何でもないの。……サヨナラ」


 どんどん小さくなる彼の背中を見送りながら、私は思う。もしも最後に一つだけ、彼にわがままを言えるなら。どうか、連れ添った日々を、楽しかった思い出を。


──私を、忘れないで。





*勿忘草の花言葉:「私を忘れないで」

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