ケット・シー(2)

 まるで私たちがケット・シーたちと戯れているだけの子どもか何かのように、フェンリルは私たちをただ静かに見ていた。


 およそカマタベースのハンターたちを壊滅させたとは考えられない、一種の穏やかさすら見いだしてしまうのは私だけだろうか?


 まあ、ハンターラインを通じて会話出来るわけでもないコロッサルに対して、あれこれ考えること自体が不毛というのも紛れもない事実。


「おおお!」


 及び腰だったキシネもかなり積極的に戦えるようになってきた。


 本来であれば年長者の彼こそが指揮を取るべきだが「普段から冷静だから」という意味不明な理由で、今は私が仮のリーダーを務めている。


 キシネは外殻に乗る、あるいは貼り付くという特性の移動スタイルであるパルクーラーならではの戦い方を掴んできたようだ。


 小型コロッサルのケット・シーにも外殻がある。必要に応じてそこに隙を見て飛び込み、手数武器である双剣の猛攻を浴びせていく様はかなりアクロバティックだ。


「当てにくい耳は俺がやるからよお、ミリちゃんは腕とか頼む!」

「は、はい。やってみます」


 ◇


 バンドウは騎乗しながらの移動となるため、小型の敵に対してなら基本的には、適正距離を保ちながら旋回するという動線で戦う。


「食らいなさいッ!」


 バンドウはリクラフトした鉄球を射出用のピッチング・ガンから発射した。


「あだだっ」

「はー、アラさん。ご、ごめんなさい」


 狙いが定まらず、キシネに誤射してしまったのをキシネはキシネで回避出来なかった。


「ばっきゃろー。慣れない内は俺が着かない個体を狙っていけ」

「そうですね。そうしてみます」


 しかし私は、猫たちは次々に湧いてきてキリがないという事実に気付き始めていた。


(放置してフェンリルを目指すのも良い。だが……)


 猫を数体くらい倒した程度でフェンリルを討伐出来るほどに、ハンターが甘いわけはない。


 キシネやバンドウの見解こそ分からないが、少なくとも私はケット・シーごときに手こずる腕前でヤツに挑むのは無謀でしかないと考えていた。


 ◇


「総員、目的を変更する。ケット・シーの戦闘パターン及び対策を各自分析し、収集に目処が付き次第、速やかに撤収せよ」


 私は独断で二人に指示を与えた。


 なにしろ相手はフェンリルだ。

 勝手判断は印象が悪いには決まっているが、相手が相手なだけにリアクトへの言い訳など無数に用意することが可能だ。


 私は嘘つき。

 そして正しい正しくないに関わらず、嘘をつく事には躊躇も後悔もない。


「おう。ま、初戦だし、しゃあねえ」

「すみません、足手まといなばっかりに」


 フォローこそ入れてきたものの、どちらの表情にも安直な安堵が浮かんだのを私は見逃さなかった。


(ふん。やはり他人は他人、か)


 私は余りに冷ややかな心象を二人に見たが、黙ってうなずいた。

 嘘は言葉である必要すらない。私の嘘はハイレベルなのだ。


 ◇


 その後は適当に猫を狩り、相変わらず戦意が見られないフェンリルを放置してリアクトのハンターであるタツヤにHLで連絡を入れた。


『こちらフラナ・カラサワ。東京蒲田病院にて要人救助に従事していたが、大型コロッサルであるフェンリルが不審な動きを見せたため中断。付近にいた小型のケット・シーの戦闘データ調査を短時間実施した後に撤退した』

『タツヤです。お疲れ様です。いや~、まあそんな所かなとは、みんな言ってたんでお気になさらず。あ、ただなるべくマテリアルは結晶だとしても集めて帰ってくださいね?』


 私のHLでリアクトに通信するとほぼ必ず出るのが、このタツヤという声の主だ。


 直接に見た事はないために年齢は定かでないが、声質は若々しい男性のそれのように思う。


 マテリアルはコロッサルが使うと自然を発生となるが、リアクトとしてはマテリアルを用いて〈コロッサルに破壊されないホーム〉を作るという大義がある。


 それを理解しているからこそ、タツヤというハンターはふてぶてしいながらもリアクト側にいられるのだろう。


 ◇


 リアクトからの指示を受けてマテリアルを回収した我々は東京蒲田病院付近から引き上げた。


 小型しか狩れなかったために復興資源としては微々たるものだが、手ぶらよりはマシなはずだ。


「っくそ。トウマにゃぼろくそに言ってた俺がこのザマじゃあ、アイツに合わせる顔がねえ」


 キシネはぽつねんと呟いた。

 アマシタ亡き今、合わせる顔も何もないだろうと私は思ったが、さすがに当面のハンター仲間になるかもしれない人間にそれを言ってのけるような事はしない。


「私もだ。フェンリルにせめて一矢報いるのが本来であったのに、臆病な私のせいで二人には申し訳ないと思っている」


 ざっとこんなものだ。もちろん嘘である。


「そ、そんな。フラナさんはとっても頑張ってましたよ。もしフラナさんがリアクトから罰を受けるような事があれば、その時は私が……」


 また出た。

 バンドウは大抵、話の肝にあたる主旨を言わないという損な言い回しを好むのだ。


 ◇


「はは、バンドウは仲間思いなんだな。だが心配するな。私はそもそもハンターでありたいなんて望んでない。罰という形だとしても、ハンター失格なんてむしろご褒美だ」


 虚実織り交ぜる。これも私の嘘の形だ。

 つまりバンドウを仲間思いなんて欠片も思わないが、ハンター失格なんてご褒美とは思っている。


 そういう様々な嘘が私のアイデンティティーを守っているのだ。


「フラナさん……」


 私の適当な綺麗事に感動したらしく、バンドウは涙ぐんでいた。


 笑える。

 実際、私は込み上げてくる笑いを我慢するのに必死だった。


 コロッサルは思い通りにならないが、コイツらは驚くほどに私の思い通りだ。

 それは二人の思考回路が極めて単純な上に、自信を持てないでいるからだと私は考えている。


 ◇


 蒲田駅に戻ると、リアクトから来たらしいスタッフが待ち構えていた。


「マテリアルを回収します。このボックスにどうぞ」


 高名なハンターが研究の一環としてリクラフトしたというそのボックスは、マテリアルだけを感知してリアクトの本部に転送するのだという。


「今後は各地に固定のボックスを配置しますので、入手したマテリアルはそこに預けてしまってください」


 回収したマテリアルの量やこなした仕事の内容によって、我々に支払われる報酬が決定する。

 我々が今回の仕事で得たのは、日給にして二日分相当の現金だ。


「えーっ。こ、これだけですか?」


 バンドウが分かりやすく落胆してみせたが、リアクトのスタッフは無表情のまま軽く頭を下げて立ち去っていった。


「まあ、これでも初仕事だからサービスしてくれた方さ」


 私はまた嘘をついた。

 サービスなわけがない。リアクトは初心者に対してこそ鬼のように厳しい事で有名なのだ。


 ◇


 ケット・シーは倒しやすいがために逆に、玄人ハンターであるほどに格好の分析対象らしい。

 そのためうまくデータを取ればそれだけで食べていけるらしいが、我々の手腕では大した収穫ではなかった。


 どうやらそういう結果のようだ。


「マテリアル・ハンターになろうかな。俺」


 キシネがまた呟いた。

 ハンターにはコロッサル討伐に携わるコロッサル・ハンターと、マテリアルの発掘をおもとするマテリアル・ハンターがいる。


「キシネ。それも悪くないかもな」


 マテリアル・ハンターならば確かに戦いをメインにはしないが、マテリアルが眠るのはゾーンである事も珍しくない。


 よって弱ければどの道、死ぬのだ。

 つまり私は、キシネという戦友にも嘘をついた。


 いや、戦友なんていう認識自体が嘘だ。

 ただの腐れ縁。たまたま生き残っただけの他人同士。


 だからこれからも私は、自分に正直に嘘をついていくのだと思う。

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