第22話 嘘で真実を袋叩き(王国首都大炎上)

 時間は少し遡る。日は傾いてきたものの、まだ夕方と呼ぶには早い。そんな時間のこと。


 規模の小さい犯罪が王城の近くで頻発し始めた、と聞いたときは近衛兵たちも呑気に構えていたものだった。


 だがやがて、妙な噂があっと言う間に流れ始める。


「おい。あそこのパン屋で食い逃げしたヤツ、王城の近衛兵の服着てなかったか?」


 そんなバカな、と誰もが思った。近衛兵の身に纏っている装備は外見が複雑で、機能も高い。高級品故に、そうそう簡単に模倣できるようなものではないのだ。


 食い逃げ程度なら街の警備に当たらせている担当の近衛兵に任せておけばいいだろう。


 だが城の周辺は段々と不穏な空気が蔓延し始めていた。


 本当に偽造ではない近衛兵の装備を付けた者が犯罪を行っていると確認が取れてしまったのが最初の兆候。

 これだけでも頭が痛くなったのだが、その不届き者が一向に捕まらない。


 どころか調査を進めた途端に『少しずつ犯罪を行っている近衛兵が増えている』という事実が明らかになった。


 ――なにかが起こっている。


 だが、それに気付くのが遅すぎた。次にわかった事実に、近衛兵たちは動きを大幅に制限されてしまったからだ。


 ――犯罪の規模がエスカレートしている!


 刃傷沙汰が起こり始めた。被害者はいずれも女性、子供、老人と、手を上げることが卑劣と断じることができるような弱者。


 凶器はやはり近衛兵に支給された剣だった。目撃者も多数いる大通りでの出来事だったらしい。しかし、理屈は一切わからないがその近衛兵もどこかへ消えてしまったという。


 まるで煙のように発生し、そして消える謎の犯罪近衛兵。


 近衛兵が街で治安を維持するためにはなによりも信頼が必要不可欠だ。これが崩されてしまえば調査も危うい。


 やがて近衛兵たちは、民衆から石を投げられ始めた。


 その後の展開は更にわけがわからなくなった。民衆が大挙して王城に詰めかけ始めたのだ。


 確かに治安維持装置が、ひいては王政が信用できなくなれば民衆に反旗を翻されるのは国の常だが、それにしても早すぎる。展開が二段ほど吹っ飛んでいた。


 誰かに煽動でもされていない限りはありえない話だろう。


 ――これは悪意ある内部工作だ! なにかがこの国に起こっている!


 誰が予想できただろう。

 この国は、つい数時間前までは平和そのものだったというのに。

 今では悪意のカオスの中だった。


◆◆◆


 王城を守る城壁の外側。竜歩とメディシアは並び立ち、その光景を眺めていた。


「一日じゃあこんなもんかなァ。投薬で頭のネジをちょこっと緩める程度なら朝飯前だけど」


 皮膚から薬品を浸透させる方法はいくらでもある。

 人間は呼吸を止めることはできないので、ガス状のなにかを口に忍び込ませることも簡単だ。

 怪我をさせた人に医者を名乗って近付けば、それ以外にもやりたい放題だ。


 百人の人間を怒りに飲み込ませれば、後はもう民衆の動きは土砂崩れのごとく動き出す。その数倍の人間が投薬などの措置一切無しに動いてくれる。


 デモを見ながら、竜歩はどこまでもご機嫌に笑う。


「しかしよく動いてくれたよねェ。私自身、ここまで上手く行くとは思わなかったよ」

「……あそこまで健康的になった人を貧民街出身の者だとは誰も思わなかったでしょうからね」


 カラクリは簡単なものだ。街を警備している近衛兵数名を適当な口実を付けて裏通りなどに呼び込み、頭を殴るなどして気絶させる。

 その後、装備を盗み出し背丈が一緒の手駒の誰かに着せる。


 顔付きも、元の近衛兵に多少は似るように竜歩がメイクする。


 あとは入れ替わった手駒が少しずつ同時多発的に犯罪を行い、それにおびき寄せられた近衛兵の一部も同じようにこっそりと拉致。


 なお、竜歩の用意した手駒はこの工程において逮捕される可能性をほぼ考えなくていい。手駒はドーピングによって身体能力を一時的に上げているため、二人がかりでも止められないからだ。


 どうしても逃げきれない場合、竜歩がこっそりと近付いて手駒をする。傍目には急に近衛兵が消えたようにしか見えないだろう。


 煽動は、近衛兵に化けられないような者を中心に編成して行った。怪我をした人間の中には竜歩の手駒も混じっている。


 どんなに酷い怪我をしてもすぐに治してしまうという信頼は、彼らを大胆にした。


 偽近衛兵に大きく袈裟切りにされ、大通りに血液と汚物をぶちまけたか弱い女の子はなにを隠そう、最初に竜歩が助けた家の子だった。


 今は役目を終え、怪我一つない身体で元気に家路についている。竜歩に『名演技だったよ』と笑顔で褒められていた彼女は、とても誇らし気だった。


 他、大量に怪我をした演者はいるが、その多くは怪我をしたままデモに参加している。派手な被害者がいれば不満の噴出にも熱が入るだろう。


 当然、これらの怪我も後で竜歩が治す。そうでなくとも痛み止めは既に配布した後だ。彼ら彼女らは麻痺した痛みを周りに吹聴しているのである。


「こんなことをして、一体なにがしたかったんですか? 嫌がらせ?」


 傍らに立つメイド、メディシアは怪訝に思うばかりだった。竜歩は未だに真意を明かしてはいない。


「んー? うっふふふふふ。いやさ、こんなことしたら多分、王城になんとしてでも色んなヤツ招集するだろうなと思って。一般には知られていない裏口くらいあるでしょ? 王城にさ」

「色んなヤツ?」

「端的に言えば王国四天王ー、とか王が最も信の置く家臣ー、とか。そういうの」

「……まあ色々いますね。王立四大騎士カーディナルと呼ばれているのがまさにそれです」

「逃げ場がなくなるっていうのは一種のデバフ状態だ。それだけで勝算が一気に減算される。ま、簡単に言えばさ」


 話の途中で竜歩は空を指さした。メディシアはそのまま顔を上げ、それを見てしまう。


 遥か彼方にいるため黒点にしか見えないが、生物だ。意思を感じさせる軌道で、王城へと向かっている。

 遠目でもわかるほど不吉な雰囲気を感じさせる怪鳥だった。


「泣きっ面にシャンタク。このタイミングに、纏めてお掃除さ」

「なにをするつもりなんです?」

「例えばさ、信用がゼロになった今、近衛兵がこんなことを言って王城の外に出ても信じると思う? 『王城の中にバケモノが現れた! 助けてくれ! 殺される!』ってさ」

「……状況次第、でしょうか。そのバケモノが見える位置まで来たとかなら……」

「見えないよ。厳命する。ヤツらが暴れ回るのは王城の中……城壁の外側から見えない場所限定だ」


 心臓が早鐘を打つ。顔から血の気が引いていく。

 ここまでして、この女はなにがしたいのか。


「今日でこの国の歴史は変わる。私が変えちゃう。うっふふふふふふふ」


 数分後。誰の目にも止まらないスピードで、その怪鳥は王城へ落下。

 王城そのものの壁を破壊して中に押し入り、中にいる近衛兵やメイドや執事を食い散らかし始めた。


 当然、数人は外へ逃げ出してきたが、その度にデモ隊に叩きのめされ、縄でグルグル巻きにされてその辺に打ち捨てられた。


 彼らの発言を信じる者は誰もいない。


◆◆◆


 いないはずだったのだが、誤算があった。

 むしろここまで上手く行ったこと自体がおかしかったのだろう。


 城壁の門が内側から開け放たれたかと思えば、そこから大きな物体が叩き出された。


 ごろんと転がったそれを見て、初めて竜歩は動揺を見せる。


「ありゃ?」


 出てきたのは、ボコボコに叩きのめされたシャンタク鳥だった。

 デモ隊の先頭にいた者たちが、揃って悲鳴を上げて後退する。


 痙攣しながら血の泡を吹いているところを見るに、まだ死んではいないようだが、死亡するのは時間の問題だった。


「丹羽ちゃん。あれってさっき空を飛んでたアレですよね」

「うん。シャンタク。私のペット。あれー?」


 ダン、とシャンタクの頭に力強く足を乗せるのは、鎧を着た獣と見紛うような巨漢だった。


「……嘘ではない! 我が王城は悪意ある誰かに攻撃されているのだ! お前たち民衆はそれに騙されている! 目を覚ませ!」


 唐突に表れた怪鳥に慄くデモ隊に、巨漢は叫ぶ。

 竜歩としては良くない展開だ。所詮突貫工事の煽動、向こうに理が少しでもあればあっと言う間に鎮静化するだろう。


「メア。あれって?」

「さっき言った王立四大騎士カーディナルの一人。白銀のダイカです。単純な戦闘能力だけなら最強な人ですね。おそらくお嬢様より知名度は高いです」

「へえ。あんなのいるんだ」


 竜歩はそれきり、メディシアとの会話を終えた。

 時間はそうかけていられない。付け焼刃の煽動とは言え、まだこの包囲網は長持ちさせる必要がある。


 竜歩は手から火炎魔法を放ち、宙へ大きく舞い上がる。


「……なっ!?」


 まだ距離があるにも関わらず、白銀のダイカが竜歩に気付き、声を上げた。

 構わず、竜歩はそのまま再度火炎を噴出。一気に目を見開き驚くダイカに突進し、ハイヒールで高速の蹴りを入れる。


 ダイカは籠手でそれを防いだが、勢いのあまり数歩後ずさった。


「ヒュー! やるね。完全に奇襲のつもりだったのに防がれるとは!」

「誰だ!?」

「医者」


 問答しているようで、今一満足のいく返答が得られていない。

 ダイカが逡巡していると、ふと違和感を覚えた。


「……な、んだ!? 俺は夢でも見ているのか?」

「ん? どうかした?」

「惚けるな、女ッ! !?」


 ダイカは数歩後ずさっただけだ。竜歩の着地点には、シャンタクがいなければおかしい。

 だが、先ほどまでダイカが踏み付けにしていたはずのシャンタクは最初からいなかったかのように消え失せている。


「……うふっ……うっふふふふふふ……うふふふふふふ! うつし世はゆめ、夜の夢こそまこと。最初からそんなのいなかったんでしょ?」

「!?」

「嘘を吐いているのは変わらず、王城の方ってことさ!」

「貴様……!」

「とは言え、キミは知り過ぎた」


 ――数秒で処理してあげよう。


 ゴオ、と炎が彼女の背中で逆巻く。

 顔に張り付く笑みは、邪悪なそれに変わっていた。

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