第21話 交渉と詐欺の鉄則(嘘がバレれば真意がバレると思え)

 現代世界における詐欺の手口は多岐に渡る。


 どの手口を使うかを常に詐欺師は考えているが、最近のトレンドは情報の捏造だ。


 どんなに頭のいい人間だろうと、情報が多ければ『どの情報が正しいか』を選び取ることは難しい。何故なら、複数の選択肢をぶら下げられたときに人間が優先する基準はいつの世も決まっているからだ。


「それは願望」


 例えば不治の病に侵された妻を持つ夫がいたとしよう。彼の目の前には数多くの選択肢がある。大雑把に二分すると『明らかに現実的だが大した効果の見込めない高名な医者の意見に従うこと』と『いかにも怪しいが本当だった場合には完治もあり得るマユツバ療法の情報に賭けること』だ。


 どう考えても後者を選ぶことはあり得ない――と理性的な者ならば誰もが思う。

 だが、ここまで追い詰められた人間は最早『理性的な者』ではない。


 ここまで説明した竜歩は、ニヤニヤ笑いを更に深くして傍らのメディシアに結論を述べた。


。これが私の世界の詐欺におけるトレンド」

「……信じられません。まさかあんな稚拙なクソ以下の嘘に――」


 ――誰一人として感付かないなんて!


 丹羽竜歩は詐欺を働いた。チラつかせた願望は『貧民街の住民全員の地位の向上』。

 当然、竜歩にはアストラルフェロウの社会構造を変える力などない。完全無欠な大嘘だ。


 だが一見してこの情報には信じることに対するメリットしかない。

 試してダメだとしても別にいいが、本当だった場合には後悔しか残らない。


「その錯覚こそが、人を奈落に誘う混沌わたしの罠」


 ダメで元々。失敗しても失う物などなにもない。

 そんなことを考える者は総じて失念している。


 過去は絶対に変えられないし、巻き戻せないものなのだと。


「うふっ……うっふふふふふふ……楽しみだねェ。世界のすべてを一気に変えちゃうよォー」


 混沌は笑う。最初に助けた親子の住んでいるボロ屋の中で。

 確かに近づいている破滅の足音を聴きながら、じっと待っている。


◆◆


「ニャルラトホテプが魔術の神だと? 誰がそんな大法螺を吹いた?」

「はっ?」


 路地裏から大通りに出る途中のこと。ノーデンスは王女にとって予想外の事実を告げた。


「いや、そこの……」

「世良くんか。やれやれだ。この私を差し置いてヤツを魔術の神だと?」

「間違ってはいないでしょ」

「ああ、そうだな。そしてヤツは欺瞞と虚実の神でもある。誤解は正そう。ヤツの正体は万能の神だ」

「?」


 ――それなら間違ってはいないだろう?


 王女はそう思ったが、絵ノ介は否定も訂正もしていなかった。


「全能の逆説はこの世界にもあるか?」

「なんだそれは」

「ないのか。まあ簡単な話、論理的に考えれば全能の存在は否定されるということだ。例えば私は『自分でも持ちあげられない石』を作ることができる。

 そして、自分でも持ちあげられない石を作った時点で私は優れた魔術の知識を持った神ではあっても全能ではないことになるだろう」

「ああ、なるほど! 閉じ込め鍵の問題か! そういう話はこの国にもあるぞ!」

「だがヤツの場合は違う。欺瞞と虚実で論理そのものを騙してしまう」


 この全能の逆説、実は解決する手段がないわけではない。


 要は『神Aでは持ち上げられない石Aを作る神B』と『神Bでは持ち上げられない石Bを作る神A』が同時に存在すればいいのだ。


 その説明を聞いた王女は虚を突かれたような顔になったが、すぐに気が付いた。


「……いやそれ解決じゃなくて屁理屈だろう! しかも物凄く幼稚な!」

「一瞬納得しただろう?」

「一瞬だけだ! こんなもの二秒考える時間があれば騙される方がどうかしている! 全能の存在が全能であるためにもう一人の別存在が必要になるというのがそもそも間違ってる!」


 この二人がお互いに殺し合いを演じ始めた時点で、この全能の逆説の解法は瓦解する。一つの問題を解決するために別の問題を大量生産したのでは本末転倒だ。全能から更に遠ざかる。


「だが、そのアホみたいな屁理屈をニャルラトホテプは実行している。こんな話も聞いたことはないか? 私の世界にはニャルラトホテプが大量にいるのだ」

「!?」

「私自身もアイツが何故に大量にいるのかの理由はわからないが、結局こういうことではないかと思うのだ。ヤツは全能を体現するために万能の自分を大量に用意している。当然、その中には魔術を大得意としているヤツもいるだろう。

 一体こんなヤツのどこが凄いと言うのだ? ズルもいいところだろう。故に魔術の神などと呼べはしない」

「……それ、放っておいたら妾の世界も丹羽竜歩だらけになったりは……」

「しない! と言いたいが……わけがわからんからな、あの女」


 その点だけは短い付き合いの王女も同意できる。


 治療技術、人体改造、魔法複写、それらすべてを目の当たりにした後なら、あの女はまったくもってわけがわからないと誰でも言うはずだ。


「早めに合流したいところだ。メディも心配だし。ところで今更なのだが……えと」

「ん?」


 王女が助けを求めるような目を向けたのは絵ノ介だ。


「なんすか?」

「……このノーデンスとかいう老人は信用していいのか? 格好だけは物凄く変態臭いが」

「この格好は正装だ。なにも恥ずかしくはない!」

「黙ってろクソジジイ! 妾は、その……そこの男に話しかけているのだ!」

「……あー……信用はできる神っすけど、その……」

「世良くん。こういうことはハッキリ言った方がいいぞ」


 ノーデンスに促された絵ノ介は、ついにそれを口に出すしかなくなった。


「……名前」

「なに?」

「名前っすよ。いい加減呼んでくれないっすかね」

「ッ!」

「この国にいる間は、どう頑張ったって俺はアンタの傍を離れられないんすから。必要最低限っすよ、こんなの」


 できるのであれば、絵ノ介もこんな説教臭いことは言いたくはなかった。だが名前呼びがされないというだけで反応が一瞬遅れてしまうのだ。


 これさえ徹底されていれば、竜歩を逃すという結果は変わらないにしろ王女の眼球も無事だったろう。


 だが、王女は直接促された後もどこか躊躇している様子を見せる。


「……えっと。まさかとは思うんすけど、俺の名前を忘れたとか?」

「妾の記憶力は鳥以下か!? 違う! そうではない! そうではないのだが……」

「……?」

「……チッ。誰にも言うなよ。貴様の名前を呼ぶことを避けていたのではない。もし呼んだら、ふとこんな話題になるかもしれなかったから呼ばなかったのだ。『王女様の名前はなんて言うんですか』とな」

「え」

「その、なんだ……妾の名前、過去にこの国を訪れた飛行勇者と同じ名前なのだ。あやかりというかなんというか……」

「……えっ。それだけ?」


 拍子抜けすぎる理由だった。別に嫌われていたり、敬遠されていたわけではなかったらしい。

 だが彼女にとっては重大なことらしく、頬を朱に染めて俯きがちに歯ぎしりしている。


「だってほら。名前を気安く呼ぶような仲になってしまったら絶対訊かれるだろう。だからイヤだったのだ……! 仮に貴様が気を遣って『じゃあ名前は訊かないっすよ』とか言い出したとしても妾自身が耐え切れそうにない。だって不誠実でアンフェアであろう!? 妾だけが一方的に名前を呼ぶなんて!」

「妙なことを気にするんすね。ああ、いや。俺の世界にも数人いたなー。自分の名前がコンプレックスになってるヤツ」


 確かに現代日本で『五右衛門』とか『信長』とかいう名前の人間ならば気にしてしまうかもしれない。絵ノ介個人としては格好いいと思うが。


「……はあ。わかった。呼ぶ。ちゃんと呼ぶよ、セラ。これでいいのだろう?」

「どうも。で、そっちも名前を教えてくれるんすよね」

「ここまで来てしまったならな。土産だと思って覚えておけ」


 ふう、と王女は息を吐き、真っ直ぐで綺麗な目を絵ノ介に真っ直ぐ向ける。


「アメリア。妾の名前はアメリア・E・アストリィ。アメリアと呼んでもいいが、できることならお嬢様とか呼んでくれ」

「――!?」

「……どうかしたか?」

「アメリア。今すぐ教えて欲しいんすけど。そのEっていうミドルネーム、正式にはなんと?」

「呼び捨てかッ! いいとは言ったがいきなりだな!」

「アメリア!」


 王女――アメリアは面喰った。

 今までどこか超然としていた態度だった絵ノ介が、顔を真っ青にして詰め寄ってきている。


 傍らにいたノーデンスも、アメリアを見る目が変わっていた。驚愕といった表情をしている。


「ミドルネーム……? だぞ。それがどうかしたか?」

「アメリア……アメリア・イアハート……だって!? それは――!」


 それ以上口に出されることはなかった。

 その前に、大通りの方からこんな声が聞こえてきたからだ。


「おい――王城に――!」

「大変だ――! 人を寄越せ――!」





「なんだあのバケモノたちは――!?」

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