第19話 威容! ノーデンス!(異様? まあそうとも言う)

 これは絵ノ介の世界においては常識とも言えることだが、基本神々は人間に対して干渉しない。


 ニャルラトホテプが有名なのは『人間との距離が他の神々と比べれば異様に近いから』であり、裏を返せば『通常の神は人間などに構わない』ということだ。


 しかし、それは通常の神に収まらない者がニャルラトホテプ以外誰もいないということではない。例外は他にも幾人かいる。


 ノーデンスもその中の一人だ。


 伝説によれば彼は白髪で灰色の髭を生やした老人の姿を取り、貝殻型の戦車をイルカやら馬やら変な生物やらに引かせているという。


 人類への態度は友好的で、ニャルラトホテプに悩まされた人間を助けたという話もある。それだけ強大な神なのだ。


 なお、二〇一九年までに現存するすべての記録において『ノーデンスは魔法少女のコスプレに身を包んだ筋骨隆々のド変態クソジジイであった』という記録は一切無い。


「なんだこのコーヒーは。ファストフード店のコーヒーが出涸らしなら、このコーヒーは泥水だな」

「ここに上等な焙煎豆があると思います?」


 保存状態か? 保存状態の問題だろうか。そう冷静な判断を下す魔法少女のコスプレに身を包んだ筋骨隆々のド変態クソジジイこそがノーデンスその人だった。

 同席している異世界の神へ、王女は胡乱な目を向けている。


「……貴様たちの世界の神は妾たちの世界の料理を貶すのが決まりなのか?」

「そういえば丹羽もこんなこと言ってたな。多分臭かったのは料理の下処理のいずれかの工程が雑だからだろうけど。肉とかマジに酷かったから」


 もっとも調理の過程でどうにでもできる範囲だったが。

 あの女が料理を貶したのはほぼ難癖に近い。そもそも自分が料理を指導したのだ。それで文句を垂れるのだから面の皮が厚い以外の感想が出ない。


「で。なんでノーデンスがここにいるんすか?」

「……なにを言っている? キミに切札を授けたのは私だぞ。カードを渡すだけ渡してはい終了、というのは無責任だろう」


 絵ノ介はその返答にキョトンとした顔を浮かべたが、すぐに意図に思い至ったようで声を上擦らせた。


「……まさか、ずっとついてきてたんすか!? 俺たちに!?」

「まさかはこっちの台詞だ。どうしてこんな異郷に放り出されたのか、どうしてキミもそれに巻き込まれているのか、あらゆる要素が意味不明だぞ」

「いや、まあそりゃ色々あって……」

「まあいい。緊急の用事がある。本当なら他の誰かに頼むつもりだったが、世良くんがいるのならキミが適任だろう」

「……なんの話で?」

「イヤな予兆があった。ニャルラトホテプが手当たり次第に人を


 真空の世界に放り出された気分だった。喉と舌が一瞬で渇き、強い眩暈に襲われ気絶しそうになる。


「あの疫病神……!」


 絵ノ介が辛うじて絞り出せたのは宛先のない減らず口だけだった。


「……人を助けまくってる? それのなにが問題なのだ? 自分の国で勝手を働かれてるのは、確かに神経を逆撫でされてる気分だが」


 二人の沈鬱で重い空気を感じ取った王女の質問に、二人は揃って目を逸らす。だが絵ノ介だけは誠実に、そのまま口を開いた。


「アイツが助けるのって、その、なんというか……今にも壊れたり、死にそうだったり、極限まで追い詰められてるヤツ限定なんすよね」

「それが? アイツは曲がりなりにも神なのだから、それでも全然自然だろう?」

「丹羽の場合、助ける理由が神だからじゃなくって打算があるからなんすよ」

「打算?」

「自分の命を救ってくれた者が邪悪なものだなんて、普通の人は絶対に思わない。むしろモロに神様扱いするでしょ? そして人間は、自分にとって神に等しい者の言葉を親の言葉よりも優先させる」


 あれを貢げ。あれをしろ。あれをするな。誰かを殺すな。誰かを助けろ。誰かを騙せ。あそこに行け。ここから離れろ。


 助けられた者は、それらの命令が悪いものとは微塵も思わない。自分を助けた者の命令が間違っていた場合、それは自分が助けられたこと自体が大間違いだったということになってしまうからだ。


「常套手段なんすよね。『人を寝ている間に妙な密室に呼び込んでゲームさせる』に並ぶくらいの」

「絶対にロクなことにならんぞ。そして予防もできない。何故なら本当にアイツは『自分でなければ助けない者』しか助けないからだ。それを止めるのは助けられるはずだった者を能動的に殺すのに等しい。下手を打てば……」


 敵に回さなくていい者まで敵に回してしまう。それが一番最悪だ。絵ノ介たちには二番目に最悪な選択肢の『様子見』しか手立てが無い。


「……先回りしてノーデンスが助けるとかどうっすかね? 回復呪文的なの使えたっすよね」

「無理だな。やる意味がない。こちらにも欲しいものはある。人々がそれを差し出さない限りは絶対に私は動かない。それとも対価はキミが払うか?」

「持ち合わせは……宝石とかありますけど」

「さっき私がやったガラクタだろう。いらん」

「いらない物を恩着せがましく支払いに使ったんすね!?」


 忌々し気に絵ノ介は頭を掻く。


 どん詰まりだ。ノーデンスの情報のお陰で心の準備はできるが、それ以上のことがなにもできない。


 彼女がやることの規模によってはノーデンスも巻き込まれるに違いないので、そのとき共闘できることだけが救いだろうか。


「ちくしょう……」

「ところで、世良くん。そろそろ休憩時間の三十分を過ぎるのではないかな?」

「あ、そうだった。キッチンに戻りますね。あと少しで解放なんで。王女様にもなにか持ってきましょうか? 俺の奢りで」

「いや、私は別に……」


 ――切り替え早いなコイツ。


 ずっと沈鬱な表情だった絵ノ介が日常の仕事人の顔へ一瞬で戻ったのを見て、王女はどこか肩の力が抜けてしまう。


 大きななにかが始まろうとしていることはわかるが、世界は今のところ平和そのものだった。

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