第4話

 全てが終わって数か月後――。


 火の国の王宮には、一人の賓客が海を越えて現れていた。

「お初にお目に掛かるわ。アウレリアーナ・ウェルネスよ。今回は、外交大使としてご挨拶を申し上げるわね」

 王宮の応接間に通された賓客――アウレリアーナは悠然とした笑みを浮かべる。

 それに対する火の国側の饗応役は、端正な顔立ちをした、貴公子だった。

「やあ、初めまして、第一王子のユリアスだ。アッシュが世話になったようだね」

「こちらこそ、アッシュ殿下にはいろいろ助けられた一面があるわ――てっきり、彼が饗応してくれるのかと思ったのだけど」

「いやいや、彼はいろいろと忙しくてね。代わりに、僕が出向いたんだ」

 すっきりとした目鼻立ちの顔で、彼はにっこりと笑顔を向ける。

 普通の女性なら、思わずときめいてしまいそうなほど、端正な笑顔だったが、アウレリアーナは微動だにせず、社交的な笑みのまま、言葉を続ける。

「それなら、本題に移りましょうか――回りくどいことを言う方は、好みではないので」

「そうか――なら、いきなり切り出させてもらおうかな?」

 ユリアスは指を弾く。脇に控えていた、事務官がすっとテーブルに紙を出す。

「通商条約の草案だけど、これを主軸に提案していきたいと思うのだ」

「ふぅん?」

 アウレリアーナはそれを持ち上げ、興味がなさそうに目を通していく。

 そして、それをテーブルに戻すと、指でこつこつと叩く。

「見ている限りだと――かなり、不平等な条約に見えるわね? 特に、ウェルネス側に、とても不利な気がする。これは、失礼じゃないかしら?」

「おっと――そうかな? この前の、軍事演習で、火の国の騎士を死なせた不手際が、貴国にはあると思うのだけど……?」

「それについては、きっちり慰霊金を支払ったわ」

「お金で済む問題かな? これは、お互いの国の為に、誠意を示した方がいいと思うな」

 ユリアスはにこやかに笑いながらも、まるで獲物を追い詰める獅子のように、狡猾に交渉を進めようとしている。

 アウレリアーナは、それを感情のこもらない目で見ていたが、一つ頷いてにこやかに笑ってみせた。

「なるほど、誠意を見せる、ね。では――これはどうかしら」

 ユーラ、と彼女は脇に控えている従者の名を呼ぶ。軍服姿の少女が、すっと封書をテーブルに置いた。ユリアスは眉を吊り上げながら手を伸ばす。

「これは、何かな?」

「まずは、ご覧くださいな」

 アウレリアーナに促され、ユリアスはその封書を開ける。

 そして、中に封じられていた書類に目を通していくうちに――その表情が、徐々に強張っていく。その端正な顔からは、血の気が引き、かわいそうなくらいに青ざめている。

 それを見計らい、アウレリアーナはとびきりの笑顔で訊ねる。

「これをご覧になった上で――誠意を通じ合おうと思うのかしら? 私が思うに、少なくとも貴方は誠意ある人物には、思えないわね?」

「こ、これをどこで――?」

「あら、質問するのは、こちらの方よ。ユリアス王子」

 追い詰めたはずの相手が――牙を剥き出しにして、不敵に笑いかける。


「貴方は、この交渉のテーブルに相応しい? いいえかノーで答えなさい」


「え――ユリアス殿下の弱みを、握った……?」

 応接間の隣の控室。護衛の騎士たちが、休憩しているその片隅で、フェンは小声で思わず驚きの声を上げる。

 久方に顔を合わせた静馬は、苦笑い交じりに壁に寄りかかって頷く。

「もう少し、この王宮は防諜対策を練った方がいいと思うぞ? もう、ユリアス殿下の薄暗いところが、ぼろぼろと零れ出る」

 叩けば埃が出る、どころの騒ぎではなかった。

 あのフィラ丘陵の激戦が終わってから、すでにユーラは火の国に飛んでいたのだ。情報収集を行いながら、火の国の情勢を掴んだ。

 そして、アッシュの政敵にあたる、ユリアスの弱みの掌握に取り掛かったのである。

「後ろ暗いことは、徹底的に隠蔽されていたが――ユーラの嗅覚は欺けないぞ」

 彼女は、アウレリアーナの右腕として長年、情報収集を務めてきたのである。

 変装、偽筆、捏造――ありとあらゆる手段で不正の証拠を掴んでいく。

 大きな声では言えないが――かなりの後ろ暗いことをやっていたらしい。

「そんな人間相手に、アウラは取引しないよ」

 今は、ユリアスに入れ替わって、アッシュが饗応役となって交渉が進んでいる。

 この調子なら、不平等な条約ではなく――真の意味で、両国のためになる交渉が進んでいくことだろう。フェンはどこか嬉しそうに頷いてくれる。

「――随分、嬉しそうだな?」

「あ――うん、あのユリアス殿下には、随分、煮え湯を飲まされていたから」

 フェンはしみじみとつぶやく。静馬は目を細める。

(ユーラから大体は聞いていたが……あのユリアスが、ほとんど元凶なんだよな)

 その証拠も、掴んでいる。いざとなれば、あの男を政界から引きずり落とせる――。

 喉元に、刃を突きつけた状態だ。

 だが、糾弾はしない――生かさず殺さずの状態を保ち、上手く利用する予定だった。

 アウレリアーナは、悪人に対しては、容赦がない。

 だが、これをフェンに言う必要はない――目を細めていると、声が割り込んできた。

「フェン様、お久しぶりです」

「アスカ! 元気そうで何より」

 護衛を交代し、戻ってきた飛鳥に、フェンは嬉しそうに声を上げながら手を挙げた。

 飛鳥も控えめに笑い返し、手を挙げて、ハイタッチを交わす。

 二人は、文通も重ねて大分、仲を深めているらしい。飛鳥には、時々、火の国とウェルネスの間の書状のやり取りに派遣しているため、そこでも会話があるのだろう。

 何の話で盛り上がっているか聞いてみたいが……それは、やはり無粋だろう。

「フェン様は、お変わりありませんか? 何か、変わったことは?」

「ん、変わったことはないかな。あ、そういえば、この前、アスカからもらったヘアオイルすごくいい香りでねっ!」

「あ、よかったです。椿油純正のもので、髪にも優しいんですよ」

「そうなんだ。殿下もすごくいい香りで、触り心地がいいって褒めてくれて――」

「へぇ、アッシュ殿下が?」

 にやり、と飛鳥が悪戯っぽく口角を吊り上げる。あ、とフェンは固まり、徐々に顔を赤くしていく。一歩、後ずさるフェン――だが、逃がさないとばかりに、飛鳥がぐいと距離を詰めてにっこりと問う。

「椿油をして、アッシュ殿下を誘ったわけですか。大胆ですね、フェン様」

「さ、誘ったわけじゃなくて、殿下が勝手に……」

「ほうほう、白昼堂々、丸々召し上がられた、と」

「ううううぅ……」

 真っ赤になってぷるぷる震えるフェンに、飛鳥はくすりと笑って嬉しそうだ。静馬は目を細めながら、その二人のやり取りを見守る。

(飛鳥にもいい友人ができたみたいで――いいことだな)

 これからも、いい友人関係であって欲しいと思いながら、静馬も問いかける。

「じゃあ、アッシュ殿下とは良好な関係を続けているんだな、フェン」

「当たり前でしょう。静馬様。きっと、つい最近も熱いやり取りでも」

 からかうような飛鳥の一言に対し、うう、とフェンは頬を赤らめながら、もじもじと視線を逸らす――静馬と飛鳥はふむ、と頷き合う。

「この反応だと、ごく最近にアッシュ殿下に恥ずかしいところを見られて」

「だけど、アッシュ殿下が珍しくカッコいいことを言ってくれて」

「殿下のカッコよさを自覚してしまい、照れくさくて、もじもじ、と」

「な、なんで分かるのっ!」

 フェンが思わず声を荒げると、静馬と飛鳥は思わず揃って目を丸くした。

「カマをかけたつもりでしたが――まさか、当たりでしたか」

「殿下は着実に進化しているなあ……ヘアオイルを出汁に、フェンに迫る手口といい――いや、どこか感慨深い」

 からかわれたと気づき、フェンは顔を真っ赤にして、飛鳥の胸をぽかぽかと叩く。

「うううう! ずるいよっ、アスカはどうなの!? シズマと!」

「そ、それは、ですねえ――そのぅ……」

「あ、何かあったんでしょ! ねえ、吐きなさい、アスカ、シズマ!」

「――おっと、そろそろ会合が終わる時間だな。飛鳥」

「え、ええ、そうですねっ!」

「あ――逃げるつもり!? 覚えていてよっ!」

 フェンの声に追い立てられるようにして、静馬と飛鳥は少しだけ意味ありげな視線を交わし合い、微笑み合った。


 ウェルネスと、火の国――両国の交流を経て、静馬たちはお互いに理解を深め合った。

 両国同士だけではない。仲間同士も――恋人同士も。

 そうやって絆を深めて、また明日へと突き進んでいくのだ。きっと。


「――そう言えば、フェン、聞いてもいいかしら」

 両殿下と合流し、会食の場に移った静馬とフェン。

 アウレリアーナとアッシュの身内しかいない、砕けた席の場でアウレリアーナが思い出したように訊ねる。深紅の目をきらきらと輝かせるので、フェンは内心で警戒する。

「なん、でしょうか? またからかうつもりですか?」

「ああ、シズマたちに散々、冷やかされたのね。大丈夫、そのことはアッシュ殿下の口からきっちり一から十まで聞いているから」

「うぇっ!? 殿下、何喋っているんですかっ!?」

 フェンは顔を真っ赤にしながらアッシュへ叫ぶ。そのアッシュは少しだけ視線を逸らすようにしながら、アウレリアーナを促した。

「それより――何の質問だ?」

「ええ、ミアのことよ。火の国に渡って、旅にしていると聞いたけど」

 アウレリアーナは確認するように傍に控えた静馬に視線を投げる。彼は笑って頷きながら、フェンに視線を向ける。

「今はどうしているのかな? フェン」

「そう、ですね」

 後で覚えておいてくださいね、とばかりにフェンはアッシュにきつい視線を投げかけてから、静馬とアウレリアーナに視線に戻す。

 そして、ひっそりと思い出すように笑みを浮かべた。

「今頃、二人は――水の国を、旅しています」

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