第3話

「は――? マーキング、だとっ?」

 突然、飛んできた火種に、思わずアッシュは目を丸くする。ふん、と風神は鼻を鳴らし、アッシュの目を覗き込んだ。

「この男の目には、水神、貴様の魔力を感じるわ。何を入れた?」

 フェンは戸惑うように視線を彷徨わせ――あ、と声を上げる。

「アンジェラ、まさか、あの目薬――」

『――悪いかしら。貴方のことが、心配で……!』

「うそっ、信じられない……ってことは、まさか……!」

 フェンが顔を真っ赤にしながら立ち上がり、水盆を以て水瓶に歩いていく。

『ちょ、ちょっとフェン、貴方……ねえ……っ!』

「アンジェラなんてもう、知らないんだから!」

 叫びながら盆の中身をひっくり返し、水瓶に木の蓋を被せる。その上に重石を載せ――その後、フェンはきっと唇を引き結ぶと、アッシュの方へ歩み寄る。

「シズマ、何か包帯みたいなの、ある?」

「あ、ああ――ええと」

 丁度、ハンカチを持っていた。それを手渡すと、彼女はアッシュの顔に手をかける。

「お、おい……!」

「動かないで下さい。殿下――さもなくば、目をつぶしますよ」

 ドスの利いた声に、アッシュがぴたりと身動きを止める。その目元を覆うように、ハンカチで目隠しをし――ふぅ、とフェンは安堵の息をつく。

 ふむ、とアウレリアーナは顎に手を当てて首を傾げる。

「水神は、特定の水を通して遠くの状況を見ることができる。その特性を活かして、アッシュに目薬を与え――その液体を通して、アッシュの目線でフェンを見守っていた、ということかしら」

「大体あたっているだろう――加えて、俺はあの女から嫌われている」

 目隠しされたまま、憮然とした声でアッシュが答える。その傍らで、真っ赤な顔をしたフェンが何故か激しく身悶えしている。

(――あ、そうか、仮に四六時中見られている、ということは)

 二人の恋人同士の睦事も、全て筒抜けだったのだ。しかも、相手の目線で、夢中になっている自分の顔を見られているとすれば――。

 そりゃあ、悶絶もしなくなるだろう。

 静馬は全てを察し、咳払いをして、視線を風神に向ける。

「まあ――つまり、貴方がミアを大切に想うが故、だった、と」

 強引な話題修正だったが、風神は意図を汲み、少しだけ苦笑いを浮かべる。

「そうなる――迷惑を、かけたな」

「迷惑はかかったかもしれないけど――元を正せば、ウェルネスの業よ。それを、私たちの代で解決できてよかった」

 アウレリアーナはそっと微笑む。フェンも同意するように頷いた。

「私たちの戦い――水神と火神のぶつかり合いが遠因になったようですし、私たちはその尻拭いをしただけです」

「うむ――これで、ミアも風神の巫女としての重荷から解放されるだろう」

 風神は満足げに頷いている。だが、と静馬は内心で思う。

(この戦いでは、三十人近くの死者を出した――)

 もちろん、その死の責任は、ミアには全くない。

 だが、彼女は純朴な少女であり――聡明な子だ。

 だから、きっとこう思ってしまう。

(私が犠牲になることを放棄したせいで――三十人も、人を死なせた、と)

 その重荷を、幼い少女が背負うことになる――耐えきれる、だろうか。

「――風神様、それと、アウレリアーナ様」

 ふと、フェンがかしこまった声を上げる。視線を向けると、彼女は真剣な表情で告げる。

「彼女を――ミアを、私たちの国で預かることはできるでしょうか?」

「それは、彼女次第だと思うわ。どこで暮らしたいか、私はそれを尊重する」

「右に同じく、だ。ミアの行きたい場所に、行けばよい」

「ありがとうございます」

 フェンは恭しく一礼し――そっと儚い微笑みを浮かべて告げる。

「ゆっくりとしたところに家をやり、彼女のやりたいことを尊重したいと思います」

 その言葉で、フェンも同じことを懸念していたことが伝わってきた。

 静馬はそれに同意するように頷いて、茶化すように言う。

「ゲイリー殿との『約束』もあるからな」

「ふふ、そうだね。しっかり応援してあげないと」

 フェンのフォローの上で、ゲイリーが傍にいればきっと、ミアは幸せになれる。

 そう確信した静馬はフェンと笑みを交換し合う。風神は満足げに面々を見渡し、深々と礼をした。

「改めて――礼を言う。フェン、シズマ、アウレリアーナ、アッシュ。ミアを助けてくれて――そして、ミアのことを心から気にかけてくれて」

 そして、そっと控えめな笑顔を浮かべて、言葉を控えめに続けた。

「これからも――できれば、ミアのことを見守ってくれれば、ありがたい」

「ええ、約束するわ」

「私も、もちろんです」

 アウレリアーナとフェンが真っ先に答え、静馬とアッシュは頷きを以て応える。

 それを見届けた風神は心からの笑みを浮かべ――憑依を解いた。

 糸が切れたようによろめくミアを、フェンはそっと大事そうに抱きかかえるように支えた。そして、ふわりと吹いた風が部屋を駆け抜ける。

 そして、草原の香りを宿した風は、全員の頬をくすぐってから、外へ消えて行った。

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