第2話
その言葉に、目を見開いたのはアッシュだけだった。
静馬とフェンは微動だにせずに、風神の反応を伺う。風神はしばらく黙り込んでいたが、やがて押し殺したような低い笑い声を上げる。
「くくっ――驚いていないな。剣士の子、水神の巫女」
「なんとなく、貴方が何かを隠しているように思ってはいた」
「うん……それに都合の悪いときに、いつもミアから主導権を奪うように憑依していた」
静馬とフェンの言葉に、よく見ているな、と風神は満足げに頷き、視線をアウレリアーナに向ける。
「だが、それだけで封印をする気がないとは分からんではないか?」
「ええ、だけど、いろいろ調べて分かったのだけど」
そう言いながら目を細めてアウレリアーナは告げる。
「ミアだけで、封印を施すことは厳密には可能だったはずよね?」
「――ほう?」
「いろいろと過去の文献を探させたわ。眉唾物のものから、民間伝承まで。その中で、過去にヴァイス民族には、神に捧げる生贄の儀式があることが分かった。巫女の力を引く、乙女の命を神に捧げる――聞こえはいいけど、これ、封印の儀式よね?」
そして、とアウレリアーナは目を細めて締めくくりにかかる。
「私はあのフィラ丘陵での激闘の最中、ミアに問いかけたことを覚えている?」
『――あれを貴方一人で、再度封印することは、可能?』
静馬はその言葉を思い起こす。その中でミアは口ごもり――風神が代わりに答えた。
「まるで、彼女の発言を覆い隠すかのように。それで、確証を得たのよ――やろうと思えば、ミアと貴方は単独で封印を掛け直すことも、可能だった――だけど、しなかった」
違わないかしら? と流し目を送るアウレリアーナに、風神は口角を吊り上げ――手を大きく打ち鳴らして笑い声を上げた。
「ふ、はは――見事な推理だ。よく、ヴァイス民族の文献が残っていたな?」
「こっちの国の存亡が掛かっていたわ。死に物狂いで調べるわよ」
神の賞賛も、事もなげにアウレリアーナは肩を竦める。だけどね、と不服そうに眉を寄せ、足を組んで続ける。
「私もミアを死なせるのは釈然としないから、貴方の提案に乗っかった形になるわ。でも、なんでそんな回りくどい形をしたのかしら」
「それは――」
『それは、私が答えるわ』
不意に、澄んだ声が響き渡った。まるで、水面に広がる波紋のように、穏やかな気配が部屋を包み込む。静馬は思わず腰を上げ、視線を飛ばす。
声の方向は――フェンの背後に置かれた、壺。
「フェン、後ろの水瓶だッ」
「ん――いや、大丈夫だよ、シズマ」
フェンは少しだけ苦笑いをし、腰を上げる。水瓶の方に歩いていき、傍にあった盆の上に水を汲み上げた。それを持ってフェンはソファーに戻り、語りかける。
「それで――アンジェラ、何かな?」
『何かな、とは心外ね。フェン、貴方を見守っていたのに』
水盆から声が返ってくる――見れば、その中に妙齢の女性の顔が浮かび上がっていた。
「シズマ、アウレリアーナ殿下――紹介するわ。水神の、アンジェラよ」
「ふむ、やはりそなた――見ていたか、アンジェラ」
忌々しげに舌打ちする風神に対し、アンジェラは軽く笑って見せる。
『あら、ご挨拶ね。あの怪物の討伐の為に、この子を貸してあげたというのに』
「ふん、お前に頼んだ覚えはない――このストーカー女」
『ストーカーとは何よ、人聞きが悪い』
「とぼける気か、貴様」
水神と風神の言い合いに、思わず静馬は眉を寄せる。あはは、と苦笑いを浮かべ、フェンは水盆に向かって声を掛ける。
「それで――アンジェラ、本題に戻って」
『ええ――アウレリアーナ殿下の質問に、答えさせていただくわ』
こほん、と咳払い。彼女は澄んだ声で優しく諭すように告げる。
『神はね――貴方たち、人間のことが、大好きなの。とりわけ、自分の巫女は、目に入れても痛くないくらい、大好きで、大好きで仕方がない』
そこで言葉を切ると、アンジェラは風神の方を見やって告げる。
『だから、あそこの神は――ミアを、死なせたくなかったの』
「ふん――正しくは、死にたくない、というミアの願いを、かなえようと思っただけよ」
わずかに訂正するが――否定はしない。
その翡翠の瞳は、柔らかく緩み、自分の巫女をいたわるように自分を抱く。
「ミアは――生まれた頃に両親を亡くし、幼くしてヴァイスの役割を背負うことになった。一人で重責を担い続け――いつか、死ぬことに震えていた。それを励ましながら、共に生きているうちに、貴様の気配を感じたのだ」
『あら、私?』
「そう、アンジェラ――貴様、数年前、派手に火の神とやり合っただろう。その力の残滓が伝わってきて、あの怪物がわずかに目を覚ましたのだ」
忌々しげに風神は鼻を鳴らす。思い至ることがあったのか、フェンは小さく息を呑んだ。風神は面々を見渡しながら、さらに言葉を続ける。
「あの怪物は夢うつつの状態で、力を求めて――まず、周りの人間を眷属化した。我が戒めても、いつの時代もあの遺跡に潜り込む愚か者がおった。そやつらを、眷属化したのだろう――それらは、身を隠しながらひたすらにミアを殺めようとする」
恐らく、それが散々追いすがってきた黒ずくめの連中のことだろう。
つまり、あの正体は黒の民族ではなく――フィラ丘陵の謎を解き明かそうとして、魔に呑まれた研究者たちだったのだ。
「因果なことに、フィラの地では戦争が起こり、地面は血に染まっていた。それを吸って次第にあの化け物は力を増し続ける。最終的には、分裂体まで生成していたほどにな。こうなると、ミアが命を散らせるのは時間の問題だった。だからこそ、一計を案じた――忌々しいが、水神、貴様に助けを求めるように仕向けたのだ」
「それをゲイリーが拾い、自分が拾った――というわけか」
静馬がつぶやくと、風神は頷いて目を細める。
「剣士の子よ、ようやってくれた。少なくとも、見ていたくせに干渉してこなかった、日和見主義のこのストーカー女よりは、役に立ってくれたぞ」
『だから、ストーカー女ってなによ、全く』
「はん――とぼけおって」
風神は鼻で笑うと、ちらりと何故か視線をアッシュの方を見やる。
「貴様――この男に、マーキングしただろう?」
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