第8話

 温かい何かに、包まれて揺られている。

 とても優しい香りと、温もり。とても居心地がよくてもう少し微睡みたい。

 がた、ごと、がた、ごとと揺れる、まるで荷馬車の揺れ――。

(――あ、れ……?)

 その、違和感に次第に意識が浮上してきた。フェンは身動きし、まばたきすると――不意に、ぶっきらぼうな声が降ってきた。

「ようやくお目覚めか」

 まばたきを繰り返す――焦点を、合わせる。薄闇の中で浮かび上がってくるのは、少しだけ片眉を吊り上げた、愛しい人の面影――。

「でん、か?」

「ああ――身体は問題ないか?」

「え――あ」

 不意に、意識がはっきりしてくる。思わず慌てて身を起こそうとすると、額に指先がこつんと当てられ、制される。そのまま、掌で目を覆われた。

「あの、これは……? 殿下……?」

「もう少し、休んでいろ――全ては、終わった」

「終わった……? じゃあ……」

「あのデカブツは、ミアがきっかり滅した――お疲れだったな」

 その労う一言で、思わず緊張感が緩んだ。

 我に返れば、感じられる。荷馬車の揺れる感覚。その固い床張りに寝かされていたのだろう。頭だけは、何故か柔らかいものに包み込まれている。

(クッション? あれ、だけど、殿下の顔を正面にあったわけだから)

 仰向けで、正面。つまり、上に殿下の顔がある――。

 あれ、これは俗にいう、膝枕、というやつでは?

「で、殿下……もう、大丈夫ですから……」

「もう少し寝ていろ、と言っている」

「で、ですけど、膝が苦しいのでは……?」

「苦しくない。寝ていろ」

 頑固な声が降ってくる。目を塞いでいる掌も退けてくれない。

 あきらめて、フェンは為されるがままになる。とはいえ、少し落ち着かない。

 気を紛らわせるために、口を開いた。

「――あれから、どうなったんですか?」

「寝ていろ、といっているだろうに――まあ、いいか」

 アッシュは渋々、と言った様子で語ってくれる。

 吹き抜けた風は、花びらと共に魔人たちを包み込んだ。そうするうちに、次第に魔人たちは力を失っていったという。

 フェンとアッシュがしがみついていた、黒の魔人も真っ先に崩壊――。

「それに巻き込まれて、お前は気絶していたわけだ」

「あ、はは、すみません……でも、花びらって……」

「ああ、スゥーリの花だ――どうやら、ゲイリーが密輸入していたらしい」

 その声は腹立たしげだった。ため息交じりに深く吐息をつく。

「あの様子だと、アウレリアーナ殿下はスゥーリの花で爆薬を作れることを知ったようだし――あいつには、一度灸をすえねば」

「まあ、でもそのおかげでなんとかなったんですし」

 アッシュが不機嫌そうなので、フェンは話題を変えようと訊ねる。

「ちなみに、ここはどこですか?」

「戻りの荷馬車の中だ――今、王都に向かっているという」

「みんなは……無事ですか?」

「全員が、無事ではないな」

 ため息を一つ。彼はそらんじるように告げる。

「火の国騎士、五名が死亡。七名が重傷。ウェルネス王国騎士、二十二名が死亡。三十七名が重傷。アスカが上手く被害を収めたが――」

「さすがですね……火の国の犠牲も、抑えてくれました」

「犠牲者のほとんどが、あの突入の際に血路を開いた、シズマの部下だそうだ」

「そう、ですか……あの、ユーラさんは?」

「無事だそうだ。シズマも、アウレリアーナ殿下も……もちろん、ミアも」

「――そう、ですか」

 少しだけ、ほっとしてしまった。

 死んだ仲間がいる一方で――彼らは、生き抜いた。それだけでほっとする。

「よかったです……本当に」

「ああ、なんとかなったな」

「それで――いつになったら手を除けてくれるんですか?」

「お前が休めば、だ」

 頑なだなあ、と思いながらフェンはぼんやりしていると、不意に別の声が割り込んだ。

「全く、素直じゃないのね。アッシュ殿下は。そんな顔を見られたくないから、ずっとフェンの目を塞いでいるつもりなのかしら?」

 透き通るような、涼しげな声。それに噛みつくようにアッシュの声が応じた。

「アウレリアーナ殿下――それは失礼ではないか?」

「あら、それはごめんなさい。でも、そんなに目を真っ赤にしていたら説得力ないわよ?」

「元々、真っ赤だ!」

「え、本当ですか。アウレリアーナ殿下。ちょっと見せて――」

「動くな。阿呆」

 ぐっと押さえつけられる。フェンは思わず唸り声を上げると、その横に腰を下ろす気配が伝わってきた。

「改めて挨拶するわ――アウレリアーナ・ウェルネスよ。第三王女に加え、征東将軍の称号を持つわ。遊撃姫、白炎の魔剣姫とも言われるわね」

「火の国の第二王子、アッシュ・エイデンだ。こっちは側近の騎士、フェン・ヴィーズ。もはや自己紹介するまでもないと思うがな」

「ええ、シズマが世話になったみたいね」

「どうだかな――彼には、随分と学ばされた」

 殿下が珍しく殊勝に告げている。くすり、とアウレリアーナは笑って続けた。

「いずれにせよ、我が国はいろいろと面倒をかけたわ。礼を言うわね」

「それなら、今後の我が国との取引を、前向きに考えてほしい」

「ええ、もちろんよ。お互いの国の繁栄のために頑張りましょう。まあ、細かい話は、王都について話すとして――もう一つだけ、今のうちに言っておきたいことがあるの」

 彼女はそこで言葉を切ると、温もりの込めた声で囁くように告げる。

「シズマを――私の、大切な人を助けてくれて、ありがとう」

 その言葉は、一人の女性の真っ直ぐな言葉だった。アッシュは、ふっと笑う。

「なら、どういたしまして、と答えよう」

(薄々、気づいていたけど……シズマと、アウレリアーナ、って……)

 やはり、互いに好きなのだろう。想いも、通わせている。

 だが、事前の情報には、それがなかった。つまり――。

「アウレリアーナ殿下は、苦労されているのだな。道々ならぬ関係に」

 フェンの内心を代弁したような言葉を、アッシュが紡ぐ。微かに、アウレリアーナが苦笑いする気配が伝わってきた。

「どうかしらね。私はシズマを信じているから、然程、苦労もしないわ」

 そう言い残して立ち去ろうとし――ふと、アウレリアーナが足を止めた。

「ああ、そう、忘れていたわ――アッシュ殿下、これを」

 何かが風を切り、投げられたようだ。アッシュは両手を持ち上げ、それを受け取る。

 それは、一振りの剣――アッシュが土巨人に突き刺した、長剣だった。

「返すわ――それと」

 悪戯っぽくアウレリアーナはにやっと笑い、フェンの方に視線を注ぐ。

「やっと手を放してくれたわね。フェン」

「あ――」

 剣を受け取るために、アッシュは両手を使ってしまった。

 見開いた目で思わず彼を見やる。慌てて、彼は視線を逸らしたが、フェンは見逃さなかった。分かりにくいが、彼の目は少し充血していて――目尻が赤くなっている。

 まるで、泣き腫らしたような目に、フェンは目を見開く。

「それじゃ、ごゆっくり」

 ひらひらと手を振りながら出ていくアウレリアーナ。


 その後には、居心地の悪い沈黙が広がっていた。

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