第5話
(――いつも、いつも、なんでこんな貧乏くじ、ばっかり……ッ!)
ゲイリー・ルードマンは悪態をつきたい気分を必死に堪えていた。
相変わらず乗っている荷馬車は最悪だ。激しい揺れに吐き気が込み上げてくる。まだ、あの船の上の方がまだマシのように思える。
乗り心地は最悪。下手に罵れば、舌を噛みそうだ。
(くそっ、まるであのときの、再来だなぁッ、おいッ!)
思い起こすのは、このウェルネスに来て最初に巻き込まれた逃避行だ。
あのときも、上からミアが降ってきて、後ろから追い立てられて――必死に、逃げるしかなかった。それしか、選択肢がなかった。
だけど、今は違う――彼は、自分の意思で、こうすることを決めたのだ。
(俺だって、こんなことしたくなかったよ! でも、でもよ――!)
アウレリアーナの部隊から拝借した、兵站の荷馬車を駆りながら、ゲイリーはぐっと目をつぶる。思い起こすのは――数日前、見た光景。
あの、港町の宿屋で見た、ひどい悪夢の光景。
目を開ければ――その光景に、そっくりだ。
巨人たちが腕を突き出して、握りつぶそうとしている、その光景に。
それに気づいた瞬間、いても経ってもいられず、近くにあった荷馬車を駆りたてて戦場へと繰り出していたのだ。
(ああ、なんでこんな目に……自分から遭うんだよ……)
やってらんねえぜ、とゲイリーは涙目になりながら馬を駆りたてた。
そもそも、ゲイリーは吟遊詩人である。
文字も読め、教養もあり、面白おかしくいろんなところで語り明かしているだけの、ただの詩人だ。戦場に出る筋合いは、一切ない。
間が抜けていて、儲け話に釣られてトラブルに引っ掛かることはある。
それでも、戦場で馬を駆るなんてことは――絶対に、あり得ないはずなのだ。
今も彼の膝は震えている。何なら涙も流している。声が震えている。今にも小便をちびりそうだ。さっき、クウヤの家でトイレ行って正解だった。
(それでも――俺は、俺は……っ!)
ここで行かないと、後悔する。それが分かってしまったのだ。
あの夢みたいに――ミアが握りつぶされて、白い花びらみたいになっちまう。
だから、肚の底から、勇気を振り絞る。
ついてねえ、と嘆くのは止めた。最低で最悪なんて感想もいらない。
(最高で最良のハッピーエンドを目指す――それしか、ねえだろ!)
前から迫るのは、あの悪夢でも見た土の巨人だ。大きな手を振りかざしている。あれを見た瞬間、胃袋が鷲掴みにされたように気分が悪い。
だが、ゲイリーは強気に鼻で笑い、さらに馬を駆る。
「てめえらよりも、夢の連中の方が、怖かったぜッ!」
(だって、夢の中の巨人は、全部アッシュ殿下の顔をしていたんだからな!)
まだのっぺらぼうの方がマシだぜ、とゲイリーは必死に強がる。その一つの土人形が一気にこっちに迫り、大きく拳を振るい――。
瞬間、爆音と共にそれが弾け飛んだ。
「全軍突撃ッ! ゲイリー殿の進路を確保せよ!」
その凛とした声は、飛鳥のものだった。追いつけないなりに、必死に棒火矢で援護射撃を行ってくれている。それに、ゲイリーは笑みをこぼす。
(そうだ――俺が、自分で言ったことじゃねえか……!)
『お前は、一人じゃない。それさえ忘れなきゃ、大丈夫だ』
どんな英雄も一人で偉業を成し遂げたわけではない。
どんな英雄も最初は騎士でも戦士でもなかった。
それは、古今東西、どんな物語でも物語っていて――それは、吟遊詩人たるゲイリーが一番、よく分かっているのだ。
だから――彼らの一番すごいところを、彼がよく知っている。
(だから――今だけでいい。俺に力を貸してくれよ。物語の英雄たち……!)
彼らがすごいのは、努力をしたことではない。
一人で戦ったことでも、剣を手に取ったことでもない。
あきらめなかったことでも、逃げなかったことでもない。
ゲイリーは英雄たちの名前を思い浮かべながら、必死に自分を奮い起こし、その視線を上げる。ミアと、視線が合った。
あきらめたはずのミアの目が、大きく見開かれる。
その距離まで――少しだけ、足りない。
だから――ゲイリーも、英雄たちと同じように。
「ミアアアァァッ!」
(その手を伸ばして――運命を、掴めッ!)
瞬間、ゲイリーの腕に衝撃が走った。
必死にそれを堪えて、それを抱き留める――恐る恐る、目を開けると、そこにはすっぽりと腕の中に収まる、小さな少女の姿があった。
ミアは、瞳を揺らしながらゲイリーを見上げている。
それに、ゲイリーは必死に笑みを浮かべた。
「あ、はは……約束、守りに来たぜ……」
その言葉はあまりに弱々しくて震えていて――とても、情けなかった。
それでも、ゲイリーは見せつけた。
数々の英雄と同じく――最初の一歩を踏み出す、という、偉業を。
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