第4話
ミアが目を覚ましたのは、それからしばらくしてからだった。
ユーラの膝の上で微かに動き、瞼を震わせる――ユーラはそれに気づくと、顔を覗き込みながら、腰の巾着から竹の水筒を取り出す。
「気が付きましたか。ミアさん――水は、飲めそうですか?」
「は、い……ここ、は……?」
弱々しく言葉を紡ぐミアに、ユーラは甲斐甲斐しく水を与え、軽く汗を拭く。しばらくと朦朧としていたミアはぼんやりとした目でフェンを見つめ――ひゅっと音を立てて息を呑んだ。
「そう、だ――っ! 魔人……っ!」
「落ち着いて、ミア。まだ、完全には覚醒していないみたい」
フェンはなだめながら告げる――巫女としての感覚が、しっかりとその魔物の気配を捉えている。封印は解けているが、完全に覚醒し切っていない。
要するに、寝ぼけている状態なのだ。
むしろ、覚醒していれば、フェンたちはとっくに瓦礫の下だ。
「多分だけど、力を今、蓄えているのかな……?」
「は、い……力を十分に蓄えたら、暴れ出すと、思う……その前に、封印しないと」
「封印をかけようとすれば、絶対暴れ出すけどね……」
フェンはため息をつきながら、ユーラに視線を向ける。彼女はこくん、と頷いて腰を上げる。ミアを支えるようにして、立ち上がった。
「とにかく、ここから脱しましょう――いつ、押しつぶされるか分かりません」
「そうですね。ミア、動ける?」
「ん、出発――」
三人は腰を上げてゆっくりと移動を始める。ユーラは鼻を鳴らし、迷いのない足取りで瓦礫の中を進み始める。
「こちらに、風の流れが、あります。上手く、地表まで穴が空いて、いると思います」
「足元に気をつけてね。ミア」
「ん――ありがと」
瓦礫の山を、手を貸し合いながら登っていく。ひょいひょいと身軽に駆け昇るユーラに続き、ゆっくりとフェンとミアが足場を確かめて上がる。
ユーラが登りやすく安定しやすい道を選んでくれているとはいえ、かなりの急こう配で瓦礫に山だ。少し間違えれば、奈落の底に転落する。
ミアは息を切らしながら、休み休み登っていく――フェンはそれに手を貸しながら、ふと少し気になったことを訊ねる。
「ミア――もしかして、巫女としての力が小さい……?」
彼女の登る足が、少しだけ止まる。視線を少し落とし、彼女は力なく頷いた。
「ん……分かって、いる。自分でも、力がないことが……」
「――そっか」
「ごめん、なさい……私に、力があれば、こんなことには……フェンを、巻き込まずに済んだのに……」
「ううん、気にしないでよ。ミア」
手を貸し、彼女を上の方に引き上げる。フェンは軽く息を弾ませながら笑いかける。
「私だって至らないところを、殿下に――それに、今回はシズマたち、こうやってユーラさんにも助けてもらっている……困ったときは、お互い様なんじゃないかな」
その言葉に、ミアは答えない――ふと、その手から震えが伝わってくる。
フェンが振り返ると……そこでは、ミアが肩を震わせながら、小さく口を開く。
「でも――私が、ちゃんとしていれば、みんなを巻き込まなかったのに……っ」
ミアはくしゃりと表情を歪める――その瞳には、今にもこぼれ出しそうなほど、涙が湛えられている。震える声を聞きながら、フェンは心がずきりと痛む。
(――こんな小さな背に……どれだけ、大きな荷を背負い込んだのかな……?)
ずっと、一人だったのだろう。
たった、一人で頑張ってきたのだろう。
誰にも知らずに、責務を追って――この〈黒の魔人〉を鎮めようとして。
その責任を果たせずに、今、押しつぶされそうになっている――。
小さく縮こまった姿を見ていられず――フェンは、手を差し伸べる。
「だとしても――ミア、それは貴方のせいではないよ」
ゆっくりと諭すように、目を細めて告げる。見上げたミアの、縋るような視線に応えるように優しく微笑みかけ、その手を掴む。
「それどころか、私は感謝している――貴方が、この地に呼んでくれたおかげで、シズマたちという、素敵な友人に会えた。その巡り合わせに感謝すれど、恨む筋合いはないよ」
「――でもっ!」
ミアが耐え切れないといった様子で声を上げた瞬間。
ずん、とわずかに地響きが鳴った。がらり、と瓦礫が崩れ、ミアの体勢が崩れる。あ、とフェンはその手を握りしめ――。
「デモもストライキでも、ありません」
不意に伸びた、もう一本の手が、ミアを支えていた。
いつの間にか、滑り降りていたユーラが、しっかりと彼女を支えながらそっと足場の上に降ろす。そして、真っ直ぐにミアの目を見つめる。
どこか、呆れた様子のユーラが腰に手を当てて、小さな声で言う。
「――貴方は、ゲイリー殿が仰っていたこと、覚えていないのですか」
「……え?」
「大丈夫――お前は、一人じゃない。そんなことを、ゲイリー殿が仰っていた、ではありませんか。シズマさん、アスカ殿、それにフェン殿――そして、貴方の帰り、を待っている、ゲイリー殿がいます」
そこで一つ吐息をつくと、ユーラは少しだけまばたきをして訊ねる。
「まさか、傍にいるみんなに迷惑をかけたくないから、一人で頑張ろう――そう思って、意気込んでいたのではないでしょうね?」
その言葉だけは、途切れ途切れではなく、真っ直ぐに聞こえた。
その一言に、ミアは黙り込んでしまう――その白い頬が恥じるように赤くなっている。そのミアに、ユーラは目だけで笑って告げる。
「――させ、ませんよ」
「……え?」
ミアが驚いて顔を上げる。ユーラは、そっと手を差し伸べて手を掴む。
「むしろ、ウェルネスの命運を、貴方一人だけに、担わせる――それほど、恥知らずな騎士は、この国には、いません。筋を、通すなら――これは、私たち、ウェルネス王国の全体の責任、なのです」
「もっと言えば――この全世界の責任でもあるよ。だから――」
ユーラとフェンは、呼吸を合わせてミアを傍に引き上げる。その手を握ったまま、二人でミアに語りかけた。
「一緒に、その重荷を、背負わせて」
「あ――」
ミアは思わず言葉を失い――その目から、ぼろ、ぼろと涙がこぼれ出てくる。
くしゃりと顔を歪めて、ぐっとその手を縋るように握り返してくれる。フェンはその声なき訴えを受け止めて、そっと傍に引き寄せた。
「――さぁ、一緒にがんばりましょう。ミア」
「ん――っ!」
こく、こくと頷くミアの手をしっかり握り合い、ユーラとも頷き合って前へと進んでいく。
わずかに、濃くなってきた魔の気配を背に感じながら――。
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