第3話
かつん、と何かが肩に当たり――意識がゆっくりと浮上する。
(――ここ、は……)
ぼんやりとする視界の中、フェンはまばたきを繰り返す――誰かに担がれている。足が引きずられている感触に気が付いた。
「だ、れ……」
「気が、つきましたか」
淡々とした声だった。聞き覚えが――あるような、ないような……。
自分を背負っている、小柄な身体に気づき――まばたきを繰り返す。
「も、しかして……ユーラ、さん?」
「はい――御無事で、安心、しました」
足が止まる。ゆっくりと身体が降ろされた。地面に足を踏ん張ろうとして――力が入らない。そのまま力なく、地面に座らされる。
目の前にしゃがんだ小柄な少女の瞳が、真っ直ぐに見つめてきた。
「大丈夫ですか――どうぞ、気付け薬です」
手元に、小瓶を握らされる。力の入らない手でそれを持ち上げ、口に運ぶ。
それが喉を通った瞬間、かっと焼けるように胸が熱くなり、思わず咳き込んだ。視界が次第にはっきりしてきて、四肢の感触も戻ってくる。
辺りを見渡す――そこは、瓦礫の山だった。
駆け抜いた石造りの回廊――のように見える。端々が崩れて瓦礫と化しているが、元の造りが丈夫だったおかげか、持ちこたえてくれている。
その回廊の床で、フェンは座り込んでいる。顔を覗き込んでいるユーラの傍には、ミアが仰向けに寝かされている。
「けほっ――でん、か、は……?」
「大丈夫です。シズマさんが守っています――フェン殿に、身体に異常は?」
「ひとまず、は大丈夫です――」
「――そう、ですか」
ユーラはじっとフェンの目を見つめていたが、すぐにその隣に腰を下ろした。
「少し、休んでから、いきましょう――私も、疲れました」
「はい――ありがとうございます」
「礼は、不要です」
ユーラはそう告げながら、ミアの身体を抱き寄せ、膝の上に頭を載せる。そして、崩落現場の先をぼんやりとした視線で見つめる。
「あの巨大な腕――あれが、例の〈黒の魔人〉ですか?」
「はい、ほとんど間違いないと思います――完全に、封印が解けきれていないようですが」
「なるほど、随分なものが、この地底に眠って、いたものですね」
途切れ途切れの話し方――だけど、何故か聞き取りにくいわけではない。
ささやくような喋り方の彼女は、一つ吐息をついて首を振る。
「他国の面倒に、巻き込んで、申し訳なく思います」
「気にしないで、下さい――困ったときは、お互い様ですよ」
そう言うと、彼女は何も答えずに膝を抱えた。ぼんやりとした表情のまま黙り込む。
自然と訪れる沈黙。フェンもぼんやりしながら、ちらりとユーラの横顔を見る。やはり、無表情でその機微が分かりにくいが――。
「――どうか、されましたか?」
「あ、ううん……シズマとは、付き合い、長いのですか?」
「……アスカ殿や、アウレリアーナ殿下、よりは短いです」
「その割には、息が合っている、というか」
「――そう、でしょうね」
ユーラの表情は、相変わらず変わらない。だが、どこか雰囲気が緩んだ気がした。そして――同時に、どこか儚げな雰囲気が伝わってくる。
彼女は膝を抱えたまま、フェンを横目で見つめて訊ねる。
「アッシュ殿下は、私のようなものを、使われますか?」
「ユーラさん、みたいな?」
「暗殺者という意味です」
「ああ――」
どうにも、そんな雰囲気がしないので一瞬、忘れかけていた。
フェンは人差し指を顎に当てて少しだけ考え込む。オルフェのような切れ者を使うときはあるが――基本的には、彼はそういう手段を使わない。
そもそも、騎士たちは正々堂々を好む。暗殺者など、毛嫌いする存在なのだ。
「使わない、と思いますが」
「そうでしょうね。アウレリアーナ殿下も、密偵は使っても、暗殺者は使いません。そのような粛清は、絶対にやらせないようにしています」
「え――じゃあ……」
思わず、口ごもる。目の前の、ユーラは何なんだろうか。
「ユーラさんは、暗殺者ではなくて――密偵として活動している、ということ、ですか?」
「そう、ですね。ただ、暗殺もやりますが」
「――あれ?」
言っていることが、矛盾している――どういうことだろうか。
まるで、謎かけ。そこで初めて、ユーラは口角だけを吊り上げる――貼り付けたような、不気味な笑顔を浮かべてささやく。
「つまり――私が、独断で暗殺を、請け負っている、ということです」
「え――」
「アウレリアーナ殿下は、穏健派、です。それでも改革を、行えば反発は必至――絶対に成功する、ことはありません。ですから、私は、裏で手を回し、この手を血に染める。主に、絶対に気づかれないように――」
そこで一息つくと、彼女は無表情に戻る。代わり、目がわずかに細められた気がした。
「その想いを汲み――尚且つ、共に手を汚してくれる、大切な人――それが、シズマさんです。裏で暗躍する者同士――そんな絆が、あの人と、私の間には、あります」
その目が揺れ動く――ああ、とフェンは思わず内心で納得した。
彼女は、表情がないわけではない――ただ、その目つきに全てが浮かんでいる。
それを察するには、フェンには年月が少なすぎる。
(シズマは、きっと彼女を理解しようと、ずっと傍に居続けた――)
なるほどね、とフェンは頷いて告げる。
「ユーラさんは、どこか、暗殺者っぽくないな、と思っていたのですけど」
「――少し、心外ですが。何故、そう思われた、のですか?」
どこかむっとしたような口調のユーラに、フェンは少しだけ笑いながら目を細める。
確かに、手を合わせたときのユーラは、明らかに暗殺者だった。
氷のように冷たい眼差しに、感情を感じさせない能面のような表情――。
だけど――シズマの隣に立つ彼女は、少しだけまとう雰囲気が異なった。
「――シズマさんを、大切に想っている。それが、ありありと伝わって来たから」
その一言に、思わずユーラは少しだけ目を見開き――わずかに、淡く微笑んだ。
「なる、ほど――それは、仕方ない、ですね」
「うん、私も納得しました。二人の、絆について」
「秘密を共有する、仲ですから」
「ちなみに、それを私にバラしてもいいのですか?」
「構い、ませんよ。いざとなれば、口封じできますし」
「――しれっと怖いこと言いますね……」
「冗談です」
彼女はぎこちなく笑みを見せ――真っ直ぐに、フェンを見つめる。
「なにより――貴方は、シズマさんが信じている人ですから」
それは、静馬によく似た、相手の心を射抜くような――澄んだ眼差しだった。
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