第2話
激しい揺れに、思わず全員が体勢を崩す。天井から細かい砂が零れ落ち、周囲から軋むような音が響き渡り――ぴしり、と地面が罅割れた。
静馬が息を呑み、後ろへと跳んで下がる。その間にも、大理石に亀裂が広がっていく。
その亀裂からは、黒い靄が溢れ出てくる――吐き気がするほど、いやな気配だ。
「ごめ、んなさい……っ、間に、合わなかった……っ!」
ミアが今にも泣き出しそうな声を出す。静馬は冷や汗を滲ませながら訊ねる。
「まさか――やっちまった、か?」
「そうみたいだね……」
神域の生物は、血を忌避する傾向にあるが――魔の生物の一部は逆に血を好む、と聞いたことがある、気がする。
その記憶が正しければ、きっと、この〈怪物〉もその一部なのだ。わざと手下を段階的にぶつからせて、より多くの血を流させ――復活しようとしている。
息を呑んだ瞬間、さらに、ぐらりと地面が揺れ――大理石が、大きく軋んだ。
視線を大理石の台座に向ける。直後、轟音を立てて大理石の台座が崩れ落ちた。地下の大穴に吸い込まれるように、大理石が消えていく――。
不意に、その虚空から何かが突き出るように飛び出た。
柱――違う、これは……。
「巨大な、腕……? まさか、これが――!」
「――ウェルネスに眠る〈怪物〉――くそっ!」
静馬が吐き捨てた瞬間――激しい衝撃と共に、地面が大きく揺れた。体勢を崩した一行の足元に、ひび割れが広がっていく。
まずい――と思った瞬間には、足元の崩落が始まっていた。
(殿下――!)
思わず主を護ろうと踏み出した足が、空を切る――そのまま、フェンは為す術もなく、崩落の渦へ巻きこまれていった。
「く――っ!」
地面の崩落の中――静馬は、アッシュを担いで宙を跳んでいた。
足場の崩壊を察知し、いち早くその場から離脱した――ものの、天井が崩落し、瓦礫が一気に降り注ぎつつある。アッシュを担ぐ手に力を込め、気迫と共に跳躍。
そのまま、中空の瓦礫を足かけ、それを蹴って宙を舞った。
「ぐっ――!」
暴力的な機動に、アッシュが息を詰まらせたように呻き声を上げる。
(申し訳ございません――ですが……ッ!)
切羽詰まりながらも、中空で体勢を立て直し、瓦礫を蹴って跳び続ける。
その間に、視線を走らせる――フェンとミアは崩落に巻き込まれたのか、姿が見えない。ユーラは瓦礫の中を静馬と同じように跳んでいた。
視線を合わせ、目で奈落を示す――彼女は頷いて、瓦礫を蹴り、崩落した闇の中に身を投じていく。意図を、察してくれたようだ。
(ユーラにフェンたちを任せて、自分はひとまず殿下を――!)
降り注ぐ岩や瓦礫を足掛かりに三角跳びを繰り返す。邪魔なものは太刀で斬り捨てる。
無茶な機動で呼吸もままならないのか、アッシュは必死に静馬にしがみついている。その中で、静馬は三角跳びを繰り返し――視界が、一点を捉えた。
脇にぽっかりと空いた空洞――岩棚、だ。
(よし、助かった――ッ!)
瓦礫を蹴り、上手くそこに跳んで着地――アッシュを肩から降ろすと、彼は荒い息をついてその場に座り込んだ。静馬も息を整えながら、背後を見やる。
崩落は、収まっている――だが、眼下には、真っ暗な闇が広がっている――。
崩落した頭上から、光は差し込んでいるが、それでも見通すことができない。
アッシュは息を乱しながら、それを覗き込んで震える声を紡ぐ。
「――くそ、はやく助けにいかねば……」
「ええ、助けに行きます――が、アッシュ殿下、貴方は逃げて下さい」
その言葉に、アッシュの紅い瞳が静馬に向けられた。
火花を散らさんばかりの、激しい眼光が突き刺さる。
だが、静馬は怯まずにその目を見つめ返した。諭すように静かに言葉を重ねる。
「貴方は、火の国の首脳であり、次代を担う方です――ここで無謀に命を散らせば、互いの国の為になりません――分かりますね」
その言葉に、アッシュは口を噤んだ。迷うように一瞬だけ視線を伏せさせ――重苦しく、息を吐き出す。やがて低い声で応じる。
「――ああ、そうだな。分かっているとも」
だが、その言葉とは裏腹に、アッシュの瞳は燃え上がるような熱を湛えていた。揺らぐことない、激しい鮮紅の眼光を向けて言葉を続けた。
「分かっていても――俺は、ここから退かない」
「――殿下」
思わず、静馬は呆れ返った。
人の気も知れないで、好き勝手を仰る御仁である。きっと、フェンからしても、アッシュが無事でいてくれることを祈っているはずだ。
それに――こっちが何の手立てを打っていないわけではない。
「私の部下、ユーラが対応に当たっています――彼女を、信じてくれませんか」
「信じている。付き合いは短いが、あの者の腕前は、確かだ。それに、シズマ、お前は彼女を信じているのだろう?」
「はい、飛鳥と同じくらい、信頼しています」
「なら、俺はユーラを信じるお前を信じているさ」
そう告げた彼は、笑みを浮かべる。いつもの皮肉な笑みではない、どこか儚げな色合いを深めた――たった一人の男としての、素顔がそこにあった。
「だが――それでも、迎えに行きたい。建前や立場、理屈もなく、単純な気持ちだ」
その真っ直ぐな瞳に感じる意志を感じ取り――静馬は少しだけ目を瞑る。
そこからか感じるのは、とても単純な一人の人間の意地だ。
大局として見れば、ひどく愚かで、感情的な行動だ――。
だからこそ――静馬は、心惹かれてしまう。その、勢い任せな行動に。
静馬は目を閉じると、深呼吸した。気持ちを落ち着け、目を開いた。
アッシュは真っ直ぐに見つめてくる。その鮮紅の瞳が、愛しい人の深紅の瞳と重なって見える。それに、静馬の心がわずかに揺れ動いた。
「――アッシュ殿下、無事は、保証できません」
「百も承知だ」
「合理的でもない」
「もちろん」
「全く――正気じゃない」
「それは、お互い様ではないか?」
アッシュは笑みをこぼして、手を差し出してくる。迷ったのは、わずか一瞬だった。
ため息をこぼし、静馬はその手を掴む。不敵な笑みを返しながら、彼の身体を引き上げる。
「行きましょう。殿下――ああ、その前に」
動き出す前に、アッシュの方を見やる。うん? と眉を吊り上げた彼を見つめ、目を細めて告げる。
「フェンを助けたら――その、笑顔で話してください。王子としてではない――彼女を愛した、アッシュという一人の男として」
「善処――いや」
皮肉な笑みを浮かべかけ――アッシュは首を振ると、苦笑いした。
そして、目元を引き締め、不敵な笑みで頷く。
「必ず、そうしよう」
拳を持ち上げると、こつんとぶつけ合わせる。そうしながら、静馬は視線をさまざまに送って少し考え込み――視線を、上方へ向ける。
「――恐らくですが、フェンとユーラなら窮地を抜けているはずです。となれば……」
「外を目指している、というわけか。ならば、その合流地点を目指すべきか」
「そうなります――少し、荒い道になりますが」
「俺のことは気にしなくていい――行くぞ」
二人は笑みを交わし合い――そして、軽快な足取りで瓦礫の中を駆け始めた。
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