第13話
「あ、アウレリアーナ様こそ、なんでここに……?」
アウレリアーナとゲイリーが困惑を示す中――それを遮ったのは、またしても赤ん坊、ソラの泣き声だった。慌てて、シンクが赤子を受け取り、おむつを取り替え始める。
クウヤはそれを手伝いながら、視線を二人にやった。
「とにかく――お二人は知り合いで……その、ゲイリーさんはなんでここに?」
「お、そ、そうでしたぜ、えっとシズマさんから、これをクウヤって兄さんに渡すように頼まれていましてやがって……」
変な敬語になりながら、ゲイリーは懐から手紙を取り出し、おずおずと差し出す。クウヤはそれを見て、わずかに眉を寄せた。
「なんで、僕に……? いや、ひとまず……シンク」
「うん、分かっている。お手紙、読んであげて」
ソラを妻に手渡し、クウヤは手紙を受け取ってすぐに封を開ける。
中身を取り出して目を通していき――次第に、険しい顔つきになっていく。その表情に、アウレリアーナは不安になっていく。
「ど、どうかしたの……? シズマに、何が……?」
「シズマさんは今、作戦行動中のようですね。それで、ゲイリー殿を預かってほしい、と頼んで来ています。その上で――」
すっと息を吸い込み、彼は視線を上げて告げる。
「アウラ様にこの手紙を送り――万が一があれば合流して、後詰を頼みたい、と」
「な――によ、それは……!」
クウヤの手から手紙をひったくり、その文章に目を通す。その文字は、間違いなく静馬のものだった。確かに、その手紙にはそう書かれている。
「――二枚目は、アウラ様に当てられたものだそうです」
クウヤの言葉を聞き、二枚目を急いで読んでいく。
静馬とアッシュが話し合った結果、フィラ丘陵に黒の民族の集団がいるのではないか、という結論が出たこと。
さらに、港町の神隠しは、黒の民族の仕業である可能性が非常に高いこと――。
総じて、フィラ丘陵には、伏兵が待ち構えている可能性が、高いということ。
『
「――少しぐらい、待ちなさいよ……あの猪突猛進バカ……」
「常在先陣のアウラ様が、文句を言えないと思うのですが」
クウヤが呆れたように突っ込んでくる。だが、それを華麗にスルーしながら、アウレリアーナは彼に向けて視線を上げて訊ねる。
「ちなみに、クウヤ、貴方、フィラ丘陵についてどれくらい知っている?」
「え、いや、近くにあるくらいは知っていますけど」
「他には?」
「ええと――ああ、そういえば狩りは自由にしていいけど、フィラ丘陵だけでは絶対にやったらいけない――とか言っていましたね」
そういえば、そんなことが城の資料にも書かれていた。
おむつをつけ終わったシンクが、よいしょ、と子供をあやしながら苦笑い交じりに頷いて告げる。
「あと、私――女の子は入ったらいけない、とも」
「――それは、初耳ね」
「まあ、神隠し伝説も聞くぐらいだし、人食い熊でも出るのかな」
クウヤとシンクは笑い合う。何気ない言葉――だが、とてつもない重要な気がする。
「クウヤ、シンク、なんで人食い熊だと思ったの?」
「あぁ、故郷でもあるんですよ。女は山に入ってはいけない、とか。その理由ってすごく単純で――デリカシーのない話ですが、女の人って月のものがあるじゃないか」
月のもの――生理のことだ。アウレリアーナは視線で促すと、クウヤは少しだけ真剣な表情になり、言葉を続けていく。
「で、月のものだと、出血がある。その血の匂いに惹かれて、獣が襲ってくる――だから、山には女性を入れないようにした、という一説があるのです」
「で、狩りをするな、というのも――そこで血を流せば、その人食い熊を呼び寄せる原因にもなりそうじゃないですか」
シンクがにこにこと付け足す――その言葉に、アウレリアーナは目を見開く。
「そう――血よ」
「――え?」
戸惑う三人を余所に、アウレリアーナは思考を加速させていく。
文献には、固く血を流すことを戒める文章を書いていた。
つまり、人としては血が流れると都合が悪く――魔には、都合がいい。
怪死事件――全員が、血を抜かれていた。
ウェルネスと、カグヤの大戦――フィラ丘陵での激突。
そこでも両軍の大量の血が流れている。
まさか、と唇を噛む。だが、パズルのピースは裏付けるように嵌まっていき――それでも、はた、と気づく。
(――おかしい。血の量が、多すぎる)
魔人の生成には、百人の生贄が、必要だった、と風神は言った。
実際、必要だったのが、百人分の血液だとすれば。
だが、過去の規模や怪死事件などを踏まえて考えると――優に、千人以上は血を流しているのだ。それなのに、魔人は復活していない。
(いや、それよりも、今は重要なのは――)
嫌な予感が、ぞくりと背筋を貫いた、瞬間――。
ずんっ、と激しい地鳴りと衝撃が、身体を襲った。
「――ッ!?」
「な――ッ!」
一瞬だけの地の鳴動――思わず、アウレリアーナたちは身を低くして辺りを伺う。シンクの腕の中で、赤ん坊が泣き声を上げる。
一拍遅れて、裏手に広がる林から一斉に鳥が飛び立っていく。
(やっぱり――もうとっくに魔人は目覚めてもおかしくないんだ……)
鳴き声と羽音が響き渡る中、アウレリアーナは身を起こして深呼吸する。
「もう、一刻の猶予もならないわ。出撃する」
「なら、僕も――」
クウヤが言いかけた瞬間、アウレリアーナは振り返って苦笑いを浮かべた。
「いいわ――今回の主役は、別にいるもの」
「ですが、シズマさんたちに恩返しするためにも……」
「いいえ……貴方は、妻と子供の傍にいなさい」
アウレリアーナの優しい言葉に、クウヤは自分の妻を振り返る。シンクは泣き叫んでいる赤子を必死にあやしている。
それを見つめて――クウヤはため息をつき、悔しそうに言う。
「そう、ですね。今は、二人を守らないと」
「その意気よ。私たちに任せなさい」
アウレリアーナはそう言いながら踵を返す――そうしながら、そっと自分の胸を押さえた。
何故か、胸がざわめく。どくん、どくんと鼓動する。
今の衝撃が、何かの胎動に思えて仕方がない――不吉な、前兆かもしれない。
それに胸騒ぎを覚えていると――不意に、隣に並んでその肩を叩かれる。
「――俺も行くぜ、アウレリアーナ様」
「貴方……ゲイリー……」
驚くを通り越して――思わず、呆れてしまう。
自信満々なその顔を見つめ返し、ため息をこぼす。
「死ぬわよ。貴方」
「さ、さすがに死ぬ気はないけどよ……俺だって約束したんだよ。この修羅場を潜り抜けたら――ミアと、この世界を一緒に見て回ろう、って」
それに、と彼は言葉に力を込めて――必死に笑顔を浮かべる。
「ここで引いたら……男じゃないだろう?」
(へえぇ……)
少しだけ、目を見開く。
最初会ったとき、この男は――ただのバカとしか思えなかった。
考えも浅く、根性もない。騎士には相応しくない、ただの小市民――そう思っていたのだが……今の面構えは、悪くない。
もっとも、膝が震えていて、顔面は蒼白なので決まらないが。
(まあ……及第点はあげましょうか)
正直、彼の見せた勇気に、アウレリアーナが励まされたのは事実なのだ。
「分かったわ。貴方は連れていく。だけど、後方待機。その上で、私たちは前線にいるからいつまでも守れると思わないで」
「上等……あ、でも、その前に」
顔面蒼白なまま、ぶるりと身を震わせ、少しだけ後ずさる。
「――す、少し便所行って来る……」
前言撤回だった。アウレリアーナは額を抑え、ため息交じりに告げる。
「遅かったら置いていくわよ」
「す、すぐに済ませてくる! く、クウヤさん! 便所貸して――!」
ゲイリーの後ろ姿を見つめながら――拍子抜けした心持で、ため息をつく。
緊張感がなくなってしまったが……おかげで、少し肩の力が抜けた。深呼吸をもう一つして、丘の上から辺りを見渡し、心から思う。
(――シズマ、お願いだから、無事でいてね……)
だが、その祈りとは裏腹に――静馬たちは、戦いの最中にあった。
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