第12話

 彼はフラスコの栓を開けながら、もう片方の手で何かを用意する。鉄の板を目の前に置き――彼はフラスコを傾ける。

「よく、見ていてください――どうなるかを」

 彼はそう告げると同時に、中身を鉄板の上へと垂らし――その液体が、鉄の板に広がった瞬間、その液体がいきなり激しく泡立った。

 まるで、熱せられた鉄板に水を垂らしたかのよう。思わずアウレリアーナは息を呑む。

「これは――」

「鉄が、溶けているのですよ」

 クウヤは淡々とそれを告げると、鉄板を持ち上げる――そこには、液体を垂らした部分が凹んでいる。一部では穴が空き、向こう側が見えていた。

 クウヤはそれを慎重に石釜の傍に置くと、今度はそこからぼろ布を取り出して地面に置く。

 布の上に、クウヤはまたフラスコの中身を振りかける。

 また激しく音を立てて溶けるかと思いきや――何も、起こらない。

 アウレリアーナは眉をひそめる。だが、傍にいたシンクは警戒するように、アウレリアーナを庇い、懐の赤子の目を覆う。

「気をつけて下さい。アウラ様」

「はい、少し眩しいので」

 クウヤはそう告げながら石釜の中から燃えさしを取り出す。クウヤは湿った布から遠ざかるようにして、燃えさしを放り投げる――。

 その火が、布に落ちた瞬間。

 ぼんっ、と大きな破裂音が響き渡り、大きな火柱が立った。

「――ッ!」

 思わず身を引くほどの威力――だが、その火は一瞬で消えて、何も残らない。

 火柱があった場所には、少しばかりの燃えさしがあった。

「こ、れは……こんな、液体が……あの、花から?」

「ええ――これは、コンサン――混ざる酸、と書きます」

混酸コンサン……」

「ある地方では、聖なる油――聖油と呼ばれます。ウェルネスではそちらの方が、覚えがいいかもしれませんね」

 聖なる油。聞いたことがある。

 魔を退けるための油であり、特殊な錬成術で、製法は不明。悪魔に振りかけると、たちまち浄化してしまう。人間の肌には、強すぎる酸で――。

「触れたら焼けただれてしまう、猛毒――」

「そういうことです。それが、この花を抽出したら出てきました」

 クウヤはげんなりしたような表情で、石釜の傍の花瓶を指差す。そこには、真っ白な花がまるで観賞物のように飾ってある。

 そんな可憐な花から――こんな劇薬が、できるとは。

「――事情を聞いて、ますます納得したわ。絶対に国に入れてはいけないわね」

「まあ、制限すれば問題ないとは思います――先ほどは、きつく言い過ぎましたが」

 クウヤは少しだけ申し訳なさそうに言うと、その花を眺めながら言う。

「いろいろ実験をしましたが、こちらは地上で生えているうちでも珍しい、水媒花ですね。その花粉にはアオカビの一種が共生しており、抗生物質などの生成もできると思います。ですが、この根っこがひげ根状なので、水の管理には気をつけないといけなく――」

「ストップ、ストップ、ごめん、よく分からない」

 アウレリアーナが額を抑えながら止めると、クウヤはあはは、と苦笑いを浮かべて手に取ったフラスコに栓をする。

「要するに、花びらは猛毒ですが、花粉は薬になります」

「そういうものなのね」

「あと、水媒花なので、洪水が頻繁に起こるような、水が豊かな場所でないと自生しません。なので、このウェルネス地方で繁殖することはほとんどあり得ないと思って下さい」

「はぁ、なるほど」

 確かに、ウェルネスでは洪水など滅多に起きない。その意味では、安心かもしれない。

「ただ、人工的に繁殖させることが可能なので、制限はさせて欲しい、ということです」

「よく分かったわ――もし良ければ、この花の研究を、引き続きしてくれる? 特に花粉の方で、何か薬が作れるのなら――」

 その言葉に、クウヤとシンクは意味ありげに顔を合わせた。

「やってはみますが……ペニシリンならもう作ったしなあ」

「でも、アオカビからペニシリンの生成は手間だけど、もしかしたらこの花からなら、成分が直接抽出できるかも」

「花粉だけ選り分けて、木炭と混ぜ合わせて――でも、取れる量が少ない?」

「どうなんだろう? 一旦、抽出して遠心分離してみて――」

(な、何を言っているのが分からない……ペニシリン、って何なの?)

 アウレリアーナは困惑を隠せず、その議論を見守っていたが――それを遮ったのは、赤子の泣き声だった。

 慌ててシンクが抱きかかえ直し、小さく目を見開く。

「あ、おしっこしちゃったのね。気づかなかった――」

「シンク、僕が抱っこしているから、替えのおむつを」

「あ、分かったわ――お願いね。クウヤ」

 赤ん坊が母親から父親に譲り渡される。クウヤはよしよしと腕の中で赤ん坊をあやしながら、視線を上げてアウレリアーナに苦笑いを見せる。

「すみません、見苦しいところを」

「ううん、いいわ。それにしても――羨ましいわねぇ……名前は、ソラ、だったかしら?」

「はい、真紅シンク空也クウヤ、二人の名を取って真空、と書いてソラです」

 軽く指先でカグヤの伝統文字、漢字で書き示してくれる。

(なるほど、二人の文字ね――だけど、私たちの場合は、難しいか)

 そういうことができるのが、少しだけ羨ましいと思っていると――ふと、クウヤが眉を上げる。

「――どうしたの? クウヤ」

「いえ、人の気配と――シンクが話している気配が。客、ですかね? こんな僻地に一日で二組も客が来るなんて」

「シズマも大概だけど、貴方も気配察知すごいわね」

「シズマさんには負けますよ」

 そう言葉を交わし合っていると、表の方からシンクが顔を出す。

「あの――クウヤ、お客様で、シズマさんの知り合いらしいのだけど」

 その言葉の途中で、その後ろから顔を出したのは――見覚えのある男だった。アウレリアーナは思わず目を見開く。

「え――なんで、ゲイリー殿が、ここに?」

 そこに所在なさげに立っていたのは――ゲイリー・ルードマンだった。

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