第9話

 フェンとユーラは、少しだけ距離を空け、お互いに向き合う。

 離れているとはいえ、十歩ほどの距離――警戒しなければならない。

 フェンは気を引き締めていると、ユーラはぼんやりとした顔のまま、力を抜いて息を吸い込む。そのまま、彼女は腰に帯びた剣に手を掛けながら、静馬に視線を向けて口を開き――。


 ふっ、と視界から少女の影が消えた。


「まずは、一本」

(――え?)

 小さな声が、間近で聞こえて瞬きをする――それで初めて、喉元に刃が突きつけられていることに気づいた。間近な距離で、黒い瞳がじっと見つめてくる。

 刃を引き、彼女が距離を取る――少し遅れて、呼吸が大きく乱れた。

 嫌な汗が噴き出てくる。まさか、と口を開いた。

「静馬の方に、視線を誘導して――その一瞬の後に、視界から、外れた?」

「理論的にはそうなるだろうね。じゃあ、二本目、構えて」

 事もなげに静馬は先を促す。慌ててフェンは剣を構える。

 今度はユーラもしっかりと剣を抜いて構えている。じり、じり、と一歩ずつ距離を詰めてくる――その構えは、明らかに隙だらけだ。

 誘われている。迂闊に、打ち込めば――やられかねない。

 思わず、一歩引きかける――その一瞬に、ユーラは踏み込んできた。振り上げた刃を一気に――手放した。

「ッ!」

 不意の投擲。大きく体勢を崩しながら、剣で受け止めて刃を弾く――その火花と手の感触に、一瞬だけ思考が真っ白になり。

 その首筋に、冷たい感触が走る。白刃の、気配だ。

「――二本目」

「見事――距離を取って」

 静馬の声を合図に、再び間合いを取るユーラ。

 しばらく硬直していたフェンだったが、アッシュの視線に気づき、大きく深呼吸する。いけない、もう二本を取られてしまった。

 このままでは、為すこともできずに、負けてしまう――。

 距離を取り、平静を保ちながら――分かったことを、はっきりとぶつける。

「ユーラさん、貴方は――暗殺者、ですね」

「――さて、ね」

「不意打ち専門の武術――分かってしまえば、どうということは、ありません」

 彼女が手にしているのは、短刀。間合いを測りながら、フェンは告げ――。

 一気に、地を蹴って距離を詰める。

 踏み込みと同時に、鋭い突き――それをひらりとユーラは軽い足取りで躱す。

 だが、その間合いを詰めるように、横薙ぎ、斬り降ろし、斬り上げ、突き――無数の連撃で、攻撃の手を緩めない。

 奇手の相手の常道は、たった一つ――選択肢を、奪ってしまう。

 連撃で避けに徹させる。それで体力を切らさせて、追い詰めていく――。

 掠める刃に、ユーラはわずかに目を見開く。そして、一瞬、身体が後ろに浮く。

(そこ――ッ!)

 その隙を、逃さない。一気に畳み掛けの踏み込みを、放つ――。


「――〈惑足〉」


 その言葉と共に――眼前に、刃が迫っていた。

 フェンは目を見開き、踏みとどまろうとする。だが、踏み込んで移動した重心は、容易には戻らない。身体を捻り、紙一重でその刃を避ける――。

 だが、その隙をユーラは逃さない。

 体勢を立て直そうとするフェンの首に、刃が突きつけられた。

「はい、三本先取。勝負あり」

 その言葉と共に、ユーラは吐息をつき――刃を引っ込めると、代わりに手を差し出した。

「大丈夫、ですか? 足を、捻っていませんか?」

「だ、大丈夫――い、今のは……?」

「〈惑足〉という技です。足の動きで、後ろに行く、と見せかけただけです」

 後ろに行くと見せかけ、前足に重心を残し、逆に踏み込む。そうすることで、相手の踏み込みを誘いながら、刃を突きつけることができる。

 彼女は軽くそう説明し、眠たげな瞳で首を傾げた。

「テクニックは企業秘密ですが――私にこの技を教えてくれた人は、足捌きだけで相手の足元を狂わせ、転倒させることができます」

「――まいった、参ったよ」

 フェンはため息をついて首を振る。静馬は苦笑い交じりにユーラの隣に並ぶ。

「彼女は闇討ち専門で、こと室内戦闘に関してなら、自分よりも秀でる。バランスを考えた戦略的判断だよ」

「とはいえ、シズマさんに、勝ったことは、ないですが……」

「そこは場数の差だな――まあ、それはフェンにも言えることだが」

 ユーラの頭に手を載せて労う静馬は目を細めながら、そっと彼女の腕に触れる。

 その袖が真一文字に引き裂かれている。それに気づき、微かにユーラは目を見開いた。

「これは――」

「フェンの突きだな。余裕を以て躱したように見えたが――斬られた、か」

「――不覚です」

 ユーラは微かに俯いて唇を噛む。静馬はフェンに視線をやり、笑みを見せてくれる。

「ユーラ相手に、初見で一撃加えられる――それだけの腕前の人間はあまりいないぞ?」

「――慰めてくれているのかな?」

「残念ながら、慰めを言えるほど出来た人間ではなくてね。ただの、事実だ」

 彼はそう言いながら、二人を言う。素っ気ない口調だったが、不思議と温もりを感じさせてくれる言葉だった。静馬は、アッシュを振り返って訊ねる。

「では――不服ありませんね? 殿下」

「ああ、実力は分かった。火の国の騎士を下すのなら、文句はない」

 アッシュはそう答えながら、フェンの方に視線を向ける――叱責を覚悟し、顔を引き締めるフェンに、彼はゆっくりと、どこかためらいがちに口を開く。

「――怪我は、ないか」

「え、あ……はい」

「なら、構わない――よく、やったな」

 飾らない労いの言葉。それなのに――何よりも嬉しい。何故か顔が赤くなってしまう。

 ごめんなさい、とか、失礼しました、とか――そんな言葉が吹き飛んでしまって。

「――はい」

 フェンは俯きながらそう答えるのが、精一杯だった。

 静馬は二人のやり取りを微笑ましく見守っていたが、やがて手を打ち鳴らして全員の注目を集め、はっきりとした声で告げる。

「では、作戦を開始する――各々の持ち場で最善を尽くせ!」

「はっ!」

 草原の風が吹き渡る中、騎士たちの凛とした声が響き渡った。

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