第7話

 翌朝、夜明け――。

 ウェルネスの平原に、朝日が差し込み、闇が取り払われる。

 その瞬間を見計らい、ウェルネスと火の国の混成軍は港町を出立した。

 馬蹄を街道に響かせ、駆け足で行軍――夜明けの涼しい風を浴びながら、ミアを後ろに乗せた飛鳥が先導して馬を駆けさせる。中列で駆けるアッシュとフェンは物珍しげに辺りを見渡していた。

 広がる平原はただ広く、田んぼや畑しかないが、目新しく映るらしい。

「あれは、水田ですね――稲作については知っていましたが」

「ふむ、さすが最大級の農耕国家――小麦の栽培はしないのか?」

「ここら東方の一帯は、水はけが悪いので稲作が主流です。王都付近が、小麦の栽培が盛んですね」

「ふむ――なるほど。稲作か」

 為政者らしい顔つきで、少し考え込むアッシュ。フェンはその隣に馬をぴったりとつけながら、広がる景色を眺めて少し残念そうに告げる。

「ゲイリー殿も来られればよろしかったのですが――」

「ん……体調が、戻らなかったから、仕方ない」

 小声で答えたのは、ミアだった。その言葉は、どこか自分に言い聞かせるようだった。

(まあ……ゲイリーを港町に残すように強弁したのは、ミアだったからな)

 ゲイリーはついてこようとしたが、体調が万全ではない、とミアが声を上げ、アッシュがそれに賛成するように、冷え切った口調で言い放ったのだ。

『ついてきてもいいが、死んでも責任は取らないぞ。足手まとい』

 その言葉で、ゲイリーは引きつった笑みと共に引き下がった。

 だが、何も役に立たないのは気が咎めるようだったので――静馬はこっそりとゲイリーに『あること』を頼んでいた。

(まあ、いわば保険なんだけど――万が一が起きないことを、願うけど)

 騎士も一人つけているし、彼に関しては問題ないだろう。

 どちらかというと――ゲイリーから離れた、ミアの方が静馬は少し心配だった。

 離れ離れになって少し不安がっているかと思いきや――その表情には、どこか張りつめた気迫を感じる。何か覚悟を感じさせる顔つきだ。

(何か――決死の覚悟でも決めていなければいいんだけど……)

 どこか、その表情は危うい。静馬は少し気に掛けながら、明るい口調で話を切り換える。

「まあ、いずれにせよ、事が終わったらゲイリー殿にも労おうか。フェン」

「そうだね、彼はお酒が好きだから、何か……」

「なら、米酒でも差し入れすれば、元気になるかな」

「――米酒?」

「カグヤには、この稲を使った、米酒が主流なんだ」

「へぇ――世界は広いなあ」

 フェンの感心したような声を聞きながら、静馬は辺りを見渡す。

 夜明けからすでに小作人たちは仕事を始めている。中にはこちらが中臣隊だと気づいて、手を挙げて挨拶してくる農民もいた。

 静馬は手を挙げて挨拶し返すと、フェンはへぇ、と小さく声を漏らした。

「顔見知りなの?」

「中臣隊の四分の一は、東方出身でね――顔馴染みも多いさ」

「カグヤ――自治州、か」

 アッシュが何故かぽつりとつぶやく。馬首を並べると、彼は口を開いた。

「自治権を、認めているんだな」

「それを条件に、旧カグヤ王国は併合を認めましたから」


 旧カグヤ王国は、伝統ある国であったが、大国ウェルネスの圧力に呑まれようとしていた。だが、カグヤの民はそれに反発――激しく抵抗をした。

 騎士たちの侵攻を一時退けるほどの猛攻だったが、両国激しく消耗していく。

 そこで、カグヤは自国民を護る為に、ウェルネスは騎士たちを温存する為に、自治権を認めた併合を為したのである。


(――ま、そのときの自分は、そのカグヤの弱腰の姿勢が許せなくて出奔したのだけど)

 そのまま、山中の楊師範に弟子入りした。今となってはいい思い出である。

 それを振り返りながら、アッシュにそれを語ると、ふむ、と一つ頷いた。

「何か、不都合はないのか? ウェルネス王国として」

「いや、別段、特にはありませんね。他の占領地域に比べて治安はいいぐらいですし、しっかりと納税してくれます」

「――なるほど、な」

 アッシュは小さく頷く。彼も一人の為政者だ、いろいろ思うところがあるのだろう。

 特に、火の国は、隣国の水の国を併合している――その意味では、この自治制度は参考になるのかもしれない。

「まあ、とにかく――これから向かう封印の祠は、そのカグヤ自治州と王都近郊区の州境付近にあります――今しばらく、ご辛抱を」

「州境、か。地図は、昨日見せてもらったが」

 静馬とアッシュは視線を交わし合う。フェンも神妙な顔で頷いた。

 昨日、静馬とアッシュで突き詰めた内容は、すでにフェンたちにも共有してある。その緊張が伝わったのか、全員が表情を引き締める。

 静馬は視線を北西に向ける。連なる緑豊かな里山――そちらの方を指差して告げる。


「目的地は――フィラ丘陵。敵が待ち構えているかもしれません、急ぎながらも慎重に参りましょう」


 街道を駆け抜け、里山の山道を抜けること、しばらく――。

 木立を抜けると、ふわりと柔らかな風が騎士たちを包み込んだ。

 眼下に広がった光景に、アッシュとフェンは思わず息を呑む。静馬も、その雄大な景色を見つめて、目を細めた。

「これは――大草原、だが……」

「草原が、模様になっている……?」

 まさに、その言葉の通りだろう。

 斜面の下には、無数の小さな丘が凸凹とあり――その中心には、ひときわ大きな丘陵がある。その丘陵に広がる草原には、濃淡がくっきりと浮かんでおり、綺麗な弧や直線を描いている。その形は、丁度、片翼だけの蝶にも見える。

「フィラ丘陵の名物です。フィラの地上絵、とかカグヤでは呼ばれています」

 ちなみに、先に話した、ウェルネスとカグヤの軍勢が衝突した現場、ともされる。その前までは、蝶が両翼揃っていたが、その激しい乱戦で片翼が消えてしまったそうだ。

 アッシュは敵の気配を警戒するように、ぐるりと丘陵を見渡し、静馬を振り返る。

「――ここに、遺跡がある、ということなのか?」

「と、ミアは言っていますね」

「うん? シズマはここの地方が故郷なのだろう? 知らないのか?」

 アッシュの指摘に、静馬は肩を竦めて答える

「このフィラの地上絵は、カグヤの住民から神聖視されているのです――神霊信仰の祠があるのは知っていますし、外から眺めたことはあるものの、立ち入ったことはないです」

 だから、ここに封印の祠がある、と言われたとき、なんとなく納得してしまった。

 どこにあるか疑問だったが、ここだったらあっても不思議ではない気がするのだ。

 そして――敵が潜伏しているとしても、確かにおかしくはない。

 静馬は咳払いをして、アッシュとフェンを見やる。

「念入りに、斥候に探らせていますが、敵どころか、人の気配はありません――これから、半数の百人ほどでミアを護衛して進みたいと思います。如何ですか、アッシュ殿下」

「それがいいだろう。多すぎでも、身動きが取れん。こちらから半数選抜する」

「こちらも中臣隊から半数を選びます。残った、半数は――」

 言葉を切り、視線を飛鳥に向ける。彼女は黙って頭を垂れた。

「飛鳥に率いさせ、ここで待機させます」

 飛鳥なら万が一でも、対応できるはずだ。

 全員は頷きを返し、それぞれが準備に取り掛かる――それを見届けながら、静馬は大草原に視線を移した。

(フィラの地上絵――か)

 風に吹かれ、草原の模様は、まるで片翼の蝶が羽ばたいているように動いている。

 カグヤが神聖視する場所。風神による、封印の祠がある場所――。

 謎めいた場所に、いよいよ足を踏み入れようとしている。それをぐるりと見渡しながら、ふと、何か違和感を覚えた。

(――こんな、土地だったか? ここは)

 どこか、歪な感じがする。嫌な予感が、絶えない。

 風が、吹く。その中で、静馬は目を閉じて深呼吸をした。

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