第4話
じんわりと冷たい感触が額に広がるのを感じて、ゲイリーはぼんやりと瞬きした。
靄がかかっていた意識が、次第に浮上してくる。横にいる少女の息遣いと、そっと手が握られる感触。小さくて熱くて――だけど、柔らかい感触。
視線を動かすと、横には一人の少女と、目が合った。
「あ――ミア、悪い……」
「ううん……ゲイリー、喉乾いていない?」
「いや、大丈夫だけど……もしかして、ずっと傍に?」
こくん、と小さく頷いたミア。その目つきは、当たり前だとばかりに見つめられていて、少しだけゲイリーは戸惑い、苦笑いを浮かべる。
「つってもよ、明日早いだろう? ミア。俺はいいから、休め、って」
「いや」
「お、おう、即答かよ……」
「だってゲイリー、さっきまでうなされていた……すごく、心配だった」
「ま、まあ、な」
なんだかひどい夢を見ていた気がする。
たくさんの巨人に追い回されて、逃げても逃げても追いかけてきて――最後の最後に、捕まって押しつぶされそうになる。
結局、ゲイリーはそのまま、潰されて――白い花びらに変わってしまい、風で吹き飛ばされて消えてしまう、という結末だった。
おまけに、その巨人の顔が、アッシュにそっくりだったのだ。
(俺、そんなにあの人、苦手だったっけ……いや、苦手か)
無意識のうちに、夢に出てしまうぐらいに。
ゲイリーが冷や汗をかいていると、ミアはいそいそと布巾を取り出し、彼の額に手を伸ばして拭いてくれる。
「すごい冷や汗……大丈夫、なの?」
「あ、悪夢だったからな。まあ、気にするな、夢見が悪いのはいつものこと――」
軽口でごまかそうとして――ふと、ミアが真っ直ぐな目つきで見ていることに気づく。まるですがりつくようで、瞳が揺れている。
ゲイリーの手を握る、小さな手に込められた力。
それがあまりに必死に感じて――ゲイリーは思わず言葉をつぐむ。
居心地の悪い沈黙が、二人の間に走った。ミアは少しだけ視線を伏せさせ――震える声で小さく言葉を紡ぐ。
「――心配、なの」
「う、ん?」
「ゲイリーまで……いなく、なっちゃうのかな、って」
その言葉に、虚を衝かれて――思わず、黙り込んでしまう。
(そういや、ミアって――あのよく分からん、黒の民族、とかに追い立てられて……)
家族も亡くした、と静馬から話を聞いていた。
きっと、その血筋が災いして――何もかもを、失ってきたのだろう。
故郷も、家族も、何もかも。
その中で、やっとできた絆なのに、それまでを失ってしまったら――。
「――悪りぃ、ミア。しっかり、お前のことを考えていなかったわ」
ぼんやりと口にする。そっとミアの手を握り返し、真っ直ぐにその目を見つめ返す。
すがるように、ミアの視線がゲイリーに向けられる。その視線に、思わず怯みそうになって――だけど、それを自分で叱咤する。
(俺は、何のために、ここに来たんだよ……っ!)
ミアが心配だったから。傍にいてやらないと。
そう思って、ついてきた。だからこそ――彼女に、心配を掛けさせたらいけない。吐き気を忘れろ。気力を奮い立たせろ。
彼女の手を握り返して、ゲイリーは笑いかける。
「大丈夫だって――お前は、一人じゃないからよ……シズマさんやアスカさんもいるじゃねえか」
「でも、ゲイリーは……」
「俺もいる。大丈夫だ。死にはしねえ」
はっきりと力強く断言し、力を込めて彼女の手を握る。しっかりと、彼女の目を見つめ返した。
「――むざむざ、こんなところで犬死するために、海を渡ってきたわけじゃねえんだからよ。ミアに、いろんな物語を聞かせないといけないからよ」
「いろんな、物語?」
「そうだぜ? 俺が話した『女勇者リーファ』の他にも、いろんな不思議な夢物語があるんだ。それを聞かずに暮らすのは勿体ないし。この世界にある、いろいろな景色を見ないのは損だぜ。ミアは、まだまだ何も知らないからな」
「いろんな、景色……」
「おう、いろいろ見せてやるぜ。だからよ、今日はもう寝な――明日が正念場なのは、ミアが一番分かっているだろう?」
そっと手の力を緩め、促すようにゲイリーは笑いかける。
それでも、ミアは手を離さない。言葉では納得したようだが、それでも安心できないのだろう――顔が、少しだけ不服そうだ。
その彼女が、ん、と小さく頷くと、椅子から腰を浮かし――。
ベッドの上によじ登ってくる。
「――あの、ミアさん?」
「なに?」
「なんでベッドに?」
「寝ろ、ってゲイリーが言うから」
「いや、そういう意味じゃなくて……」
「……だめ?」
くりくりした瞳が、食い入るように見つめてくる。間近の距離で、愛嬌のある顔立ちで――それに、思わずくらりと来る。
苦悩と葛藤が頭の中でせめぎ合い――彼女の目を見た瞬間、思考を放棄した。
(――ったく、そんな目で、見られたら……)
捨てないで、と言わんばかりの懇願するような目つきに――ゲイリーは観念した。
そのミアの肩に手をやり、優しく自分の方へと引っ張り寄せる。あ、とミアは吐息をこぼし――嬉しそうにゲイリーの身体に身を寄せて寝転ぶ。
小さいけど、柔らかい感触。ゲイリーはまた、くらりと来て――。
(いや、待て、ガキになんでこんな悩まされねえといけねえんだよ……!)
必死に自制していると、横でミアがゲイリーに抱きつくようにして、嬉しそうな声で訊ねてくる。
「ね、それでいろんな景色って何があるの?」
「そうだなぁ、一面、雪原の大地とか、天空に広がる光のカーテン、鏡のような砂漠、天衝くような岩山。ウェルネスだと――そうだな」
視線を降ろすと、ミアと目が合う。どこかくすぐったい気分になりながら、その頭を撫でて――その白い髪を指先に絡め、ふとつぶやく。
「純白の花吹雪、とかな」
「それ、って?」
「水の国の奥地にある――そうだな、清流の源泉のあたりの原っぱだけどよ、そこに一面の白い花が咲き誇っているんだ。月の夜に吹く風に乗って、その花びらが舞い散るんだが」
一度見ただけだが、それはとても幻想的だった。
舞い散る白の花吹雪が、月光の中で光を散らしながら風に揺られる。
まるで、星の中に包まれて立っているかのようだのだ。
(その中に、ミアが立っていたら――それは、きっと)
息を呑むほど、美しいのだろう。そっとその髪を撫でながら笑いかける。
「全部終わったら――それを見せてやるよ」
「いい、の?」
「おお、ついでに、一緒にいろんなところを旅して、いろんな飯を食って、いろんな酒……はダメか。まあ、軽い遊びとかもして、な」
ただ、悪い遊びはできないから、健全な遊びを考えないといけないか、と思いながら、ミアの頭を撫でていく。すると、ミアの瞼がとろんとしていき――。
「ね、ゲイリー……約束、だよ……?」
「ああ、絶対だ。一緒に、見て回ろう」
「う、ん……ゲイリー、ずっと、一緒……」
そうつぶやき――やがて、すぅ、すぅと寝息を立てていく。
さすがに、夜を徹した看病で疲れているだろう。ゲイリーはその頭を撫でながら目を細めて――彼の瞼も重たくなっていく。
しばらくすると、その部屋には二人の穏やかな寝息がずっと響き渡っていた。
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