第3話

 アッシュと静馬が、怪死事件について語り合っている頃――。

 フェンは、ゲイリーとミアの部屋に足を運んでいた。軽く扉を叩くと、しばらくした後、少しだけ扉が開き、白髪の少女が顔を見せる。

「――あ、フェン」

「うん、こんばんは。ミア。ゲイリー殿は、調子どう?」

「んん、あまりよくないみたい……」

 そう言う彼女は少しだけ弱気に見えた。扉を開け、彼女は中へと通してくれる。

 そこには、ぐったりと仰向けで寝ているゲイリーの姿があった。

(無理もない……あんな荒波の航行だったのだから)

 フェンたち騎士は三半規管が優れている。また、ミアも船酔いはしないので、大丈夫だったが――ゲイリーはもろに荒波の影響を受け、船酔いして衰弱。

 陸にあがっても、まだ血の気が戻らず、息も浅い――。

「ん……ああ、わざわざ……」

 ゲイリーが気づいて弱々しく笑みを見せる。フェンは少し笑って手で制する。

「大丈夫。休んでいて」

「すまねえ……」

 ゲイリーが弱々しく言い、目をつむる――ミアはその傍に歩み寄り、せっせとその頭の上に濡れ布巾を置き、ゲイリーの手を握る。

 その瞳は必死そうに揺れている。その露わになった感情を目にし、フェンは戸惑う。

(こんなに、感情豊かだったっけ、ミアって――)

 ふと、部屋がノックされて思考が戻される。フェンが代わりに扉を開けると、そこには土鍋を持った飛鳥が顔を出した。

「あ、フェン殿、こんばんは。ミア、粥を作ってもらったよ」

「あ――そこに、置いておいて」

「分かった」

 飛鳥は傍に土鍋をサイドテーブルに置き、そのまま、彼女はフェンをちらりと見つめて訊ねる。

「フェン殿の御用はお済みですか?」

「あ、うん、ゲイリーの様子を見に来ただけですから」

「では、少しお手伝いをお願いできますか?」

「分かった――じゃあ、ミア、ゲイリー殿、失礼するね」

「……ん」

 相変わらず、真剣な表情でこっくり頷くミア。今までの無表情さは感じられない、どこか思いつめたように、じっとゲイリーを見つめている。

 それを見届けてから、フェンは飛鳥と共に外に出る。

「それで――アスカ、何を手伝えばいいですか?」

「そうですねぇ……じゃあ、私の話し相手でもしていただけますか?」

「――え?」

 しれっと笑顔で飛鳥が言った言葉に、フェンは思わず目を見開く。

 彼女はくすりと笑いながら、そのまま宿の廊下を歩いて行き、一室を開ける。どうぞ、と促され、よく分からないままフェンは部屋に入る。

 そこは、飛鳥の部屋のようだ。小さな荷物が置かれただけの、個室。

「すみません、手伝い、というのは方便でして。ミアとゲイリー殿を、二人きりにさせてあげたかっただけです」

「あ――」

 ふと、その言葉ですとんと胸の内に収まるものがあった。

(そっか……ミアが、あんなに感情を剥き出しにしているのは……)

「……やっぱり、ミアってその……ゲイリー殿が……」

「多少なり、意識しているでしょうね。船内で、仲良くしていたみたいですし」

 飛鳥はさらりと認めながら、フェンに椅子を勧めてくる。フェンが椅子に腰を下ろすと、飛鳥自身はベッドに腰を下ろし、半眼を向けた。

「――というかですね、フェン殿、何故、貴方が気づかないんですか……?」

「……え? ああ、いや、仲がいいなあ、とは思っていたけど」

「なるほど、これはアッシュ殿下もやきもきするわけですね……」

「そ、それはどういうことかな? アスカ」

 飛鳥は頭を少しだけ抑え、困ったような笑顔を浮かべて優しい視線を向けてくる。

「いえ、フェン殿はそのままの天然でよろしいかと」

「わ、私ってやっぱり天然かな……?」

「そうですね。この旅の一行の中では、一番、フェン殿が天然です」

 はっきりと断言されてしまう。ぐさっと音を立てて言葉が胸に突き刺さった気分だった。フェンは引きつり笑いを浮かべ――ふと、思い至る。

(そういえば、時々、殿下も飛鳥みたいに困った感じで額を抑えているっけ)

 その後、決まって殿下は怒りだす。その理由は、全く分からなかったが……。

「もしかして、アッシュ殿下が怒りっぽいのって、私の天然のせい……?」

「まあ……きっと一因はそうだと思います」

 認められ、フェンはがっくりと肩を落とした。その落ち込みように、飛鳥は慌ててフォローの言葉を加えていく。

「だ、だけど、アッシュ殿下もそういうフェン殿を好ましく思われていますし……」

「で、でも……殿下を、困らせていた、よね……?」

「……まあ、それは否定しません」

「はあぁ……」

 谷底から響いてくるような、低いため息だった。

「ちょ、フェン殿、そんな落ち込まれなくても……」

「でもね、アスカ……私としては、どちらかというと、アッシュ殿下の方が天然だと思っていたから……あの人も、少し抜けているところがあるよね?」

「――いえ、思い当たりませんが」

「何でっ? 時々、後ろ髪に寝癖つけていたりするし、紅茶と間違えてお酢飲むときもあるし、あとは、あとは……」

 ちなみに、紅茶と間違えてお酢を飲んだ事件は、友人のオルフェが悪戯で仕掛けただけであるのだが、そのことをフェンは知らない。

 フェンは記憶を探り、アッシュの失敗を語ろうとすると――ふと、飛鳥の温かい視線に気づいて、口をつぐんだ。くすり、と飛鳥は笑みをこぼす。

「――よく、アッシュ殿下のことを見ているんですね」

「そ、れは……当たり前、だよね?」

 護衛の騎士でもあるのだから、とフェンは頷くと、飛鳥は苦笑いを浮かべた。

「そうですね。相手の一挙一動を逃さず見ていないと分かりません――私も、そこまで静馬様を見ていられるかどうか」

「――あ」

 飛鳥の言わんとしていることに気づき、フェンは思わず口をつぐむ。

 それはつまり、フェンは四六時中、アッシュのことをずっと見つめているから気づけることであって――だから、その、つまり……。

(あ、まさか天然、って、こういう……?)

 思わず恥ずかしくなってくる。だが、フェンは負けじと飛鳥の方を睨み返した。

「で、でもっ、アスカもシズマのことずっと見ているよね? 相手の癖とか、呼吸までしっかり読み取っているし!」

「それはまあ……目が離せない方ですからね」

 少しだけ頬を赤らめる飛鳥が、ぶつぶつそう言いながら視線を逸らす。

「ちなみに、どんなところが目離せないのかな?」

「身勝手なところとか、楽観的なところとか……本当に、静馬様は……」

「とか言いながら、少し嬉しそうだね。アスカ」

「それは――否定、しませんけど」

 彼女は一つ吐息をつくと、荷物に手を伸ばした。その中から取り出されたのは――瓶。鮮やかな色合いの酒が入っている。

「――アスカってお酒持ち歩くんだ」

「というか、これは火の国土産で、静馬兄さんと飲もうと思って、港で手配しておいたのですが……」

 そう言いながら彼女は手馴れた様子で栓を引き抜いてしまう。部屋に置いてあった木のコップを、フェンに投げ渡しながらにこりと笑った。

「折角ですから、飲んじゃいましょう。フェン殿」

「え――でも」

「むしろ、大切な主君の愚痴の言い合いですよ。酒がないとやっていられませんよ。はい、フェン殿、ぐいっといきましょ、ぐいっと」

 強引な言い方に少しだけフェンは戸惑いながらも――だけど、嫌ではない。

 思わず笑みをこぼしながら、コップに酒を受けつつ軽く応える。

「いいですけど――明日の出陣に差し支えない程度で、よろしくお願いしますね」

「はいっ、もちろんです」

 そういう飛鳥は嬉しそうに目を細めて微笑む。

(ゲイリー殿には少し悪いけど……)

 今日は、楽しい夜になりそうだった。

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