第10話

「――言いたいことは、それだけか?」


 思わず出た言葉に、自分自身を殴り飛ばしたくなった。

 もっと優しい言葉をかけることもできるだろうに――。

 だが、もう迷わない。気づけば、アッシュはフェンの目を真っ直ぐに見つめている。

「お前は、阿呆だな、本当に救いようのない阿呆だ」

 その言葉に、フェンはわずかに表情が揺れた、気がした。

 銀髪のベールに隠されて分からない。傷つけただろうか――ちら、とそんなことが脳裏に過ぎるが、噴き出した言葉は止まらなかった。

「役に立たないだと? どの口でそれを言うんだ。お前はこれまで、どれだけ俺や、俺たちの国に貢献したと思っている――数々の事件を、忘れたと言わせないぞ」

「だ、だけど、海賊では――」

「知るか。むしろ、役に立たなかったことを喜べ。お前の力を、使わずに済んだ、それだけの敵だったということなのだから」

 ふん、と鼻を鳴らす――相変わらず、自分を過小評価したがる癖が、抜けないようだ。

 いつの間にか、フェンはアッシュの方をぼんやりと見つめていた。水面のように揺れる、蒼い瞳を、いっそ睨みつけるように見つめる。

「お前が役立たずだったことなど、一度としてない」

「う――で、も……」

 強い語気に押され――それでも、納得できないようにフェンは口ごもる。

 ああ、そうだろうな、とアッシュが逆に納得した。彼女は、そういう人だ、自分に自信を持つことができない。むしろ、持っていたら自己犠牲に走らない。

 なら、とアッシュは口を開く。

「――俺のことは、信じられないか」

「……え?」

「お前を信じる、俺のことを信じられないのか、と聞いている」

 言っていて思う。ひどく強引で、身勝手で――ずるい言い様だと。

 こういってしまえば、彼女は納得せざるを得ない、と知っているのだ。まるで、主従関係を盾にしているようで、わずかに胸が痛むが。

(それでも――あいつの憂いた顔を見るくらいなら)

 この程度の、罪悪感は、安いものだ。

 やがて、フェンが上げた顔には、仕方ないな、とばかりに苦笑いを浮かんでいた。

「ずるいです。殿下……そんな言い方するなんて」

「ふん、なんとでも言え」

(――お前の笑顔のためなら、どんな詭弁でも弄してやる)

 内心で言葉を続けながらフェンを見つめると、彼女は小さく、ちいさく笑み零れる。

「信じます。殿下を」

 はっきりとした、声だった。いつもの芯を感じさせる言葉と、強い眼光。

 それを聞いた瞬間、ほっとアッシュは安心して――それを表に出さないように、眉に力を入れながら言葉を返す。

「ふん――それなら、いい」

「……でも殿下、もう少し、言葉を選ばれた方がいいんじゃないですか? 誤解を招く良い方でしたよ? 私だから、なんとなく真意が分かりますけど」

「――余計なお世話だ」

(お前以外に、こんな言い方するはずないだろう……)

「全く、仕方のない殿下ですね」

 アッシュの内心を知ってか知らずか、無邪気な笑いをこぼすフェン。その肩が軽くぶつかり合う。だけど、今は気にならない。

 じゃれつくように、フェンは肩に頭を寄りかからせながら、笑って言う。

「もう少しだけ、こうしていていいですか?」

「――ふん、好きにしろ」

 好きなだけ――甘えてくれればいい。

 そう思ったアッシュの肩に、フェンは寄りかかりながら目を閉じる。ねだるように、微かに顎を逸らして――そっと、頬を赤らめて。

 二人の距離は、次第に近づき、なくなっていく。

 そのままの距離で、二人は二人だけの、甘い時間を過ごしていく。

 時間の許す限り――いつまでも……。


 ――こん、こん。

 軽いノックの音に、二人は思わず我に返った。

 二人だけの逢瀬に夢中で気づかなかったが――いつの間にか、時間が経っていたらしい。慌ててフェンは身を離し、髪を手櫛で整えながら立ち上がる。

 アッシュは深呼吸して切り替えると、声を発した。

「入れ」

「――邪魔をして申し訳ありません。失礼します」

 そう前置きして開けた扉から少し顔を伺わせた静馬は、二人を見つめて告げる。

「アッシュ殿下、陸地が見えて参りました。ウェルネスです」

「――そうか。都合、三日かかったことになるか」

 アッシュは平然を装って告げ、フェンは咳払いして同意する。

「はい、潮流、風向き、さらに海賊の妨害があったので、少々伸びましたが」

「これからが本番だ。シズマ、気を引き締めていくぞ」

「ええ――では、お二人とも、身だしなみを整えてからお出でくださいませ」

 どこか言い含めるような口調で静馬は告げてから、部屋から出て行く。

 何か感づいているような言い様だった。いや、まさか――。

(初めから、お邪魔して、と前置きしていたな……)

 盗み聞きをしていた? いや、そういう男ではないのは、知っている。だが、それでも察していたのだろう。

「くそ、あの男は本当に一体、どういうやつなんだ……」

 乱れた服を直しながら、憤然とアッシュは立ち上がる。その傍で真っ赤な顔をしたフェンが身だしなみや首元を気にし、こそこそと訊ねてくる。

「痕とか、ついていませんよね……?」

「ふん、知るか」

「え、ちょ、殿下――っ!?」

 フェンの慌てた声を背に聞きながら、アッシュは足音を鳴らして外に出る。階段を上って甲板に出ると――夕焼けが、視界を焼いた。

「――ッ」

 瞬きを繰り返し、目を細める――その夕焼けの方向に、何かが見える。

 久方ぶりに見える、陸地――建物が、見えてきている。

 石造りの建物が、立ち並んでいる港町。アッシュがそれを認めると同時に、静馬が隣に並んで静かな声で告げる。

「あれが――ウェルネスの港町、ジェバドです」

「――広い、な」

 遠くとも一目で分かる。何隻も大型船が停泊している。その町の中央には、背の高い塔が立ち、光を放っている。巨大な、交易港。

 アッシュが初めて見る、他国の港町だった。

「わぁ……!」

 遅れて出てきたフェンが隣に並んで声を上げる。その火の国の二人に向かって、静馬は微笑みながら、手でその陸を示した。


「ようこそ――ウェルネス王国へ」

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