第2話

「シズマから大体、話は聞いています。黒の魔人――巨大な身体を持つ魔人だと。だけど、疑問なのは、彼ら、黒の民族はどうやってそんなものを作ったのですか」

 フェンの問いに、ミアの身体を借りた風神は静かに目を閉じる。

 やがて、開かれた翡翠色の瞳には、険しい色合いがあった。心底、その存在のことを憎むように、低い声で紡ぐ。

「皆目、検討もつかん。ただ、何人もの狂信者たちが命を捧げ、そして、土くれを組み合わせて作られた、大きな化け物よ」

「それを――ミアの一族が、ずっと封印を守り通していたのですね」

「うむ、カグヤという土地から代々、見守り続けていた。五十年に一度、巫女たちに神の力を貸し、封印を締めつけ続けていた、のだが――」

 一旦、言葉を切ると、風神は眉を寄せ、首を傾げて告げる。

「先代の巫女が、封印を施してから数年しか経っていないのにも関わらず、急激に封印が緩みつつあるのだ」

「急に、ですか? それは些か妙な気は致します、ね……」

 フェンは、わずかに眉を寄せて控えめに告げる。風神はため息交じりに頷く。

「思えば、兆候はあった。先代の巫女が封印を締め直したときは、まだ前回から三十年しか経っていなかった。しかも、その巫女は殺されてしまった――何者かの手でな」

「まさか、黒の民族――?」

「分からぬ。その日は風がなく、わしが降りることもできなんだ」

 その言葉は、無念が滲んでいた。悔しそうに顔を歪め、彼女は感情を吐き出す。

「故に、幼いミアに責務を負わせることになっている――あのとき、わしが感づいておれば……」

「――風神様……」

 フェンは目を伏せさせていたが、やがて視線を上げると、はっきりと告げる。

「水神の巫女――微力ながら、お力添えさせていただきます。必ずや、ミアの助けとなり、魔人の封印を成し遂げます」

「ウェルネス王国騎士団も、力添えする」

「二人とも――感謝する」

 風神はありがたそうに告げると、フェンと静馬を順番に見て言葉を続けた。

「今、辛うじてだが封印は機能している。だが、その下で魔人は着々と力を蓄えているようだ。できれば早く封印を施してしまいたい」

「了解した――では、そのように手配し、封印の祠に直行できるようにしよう」

「よろしく頼む。剣士の子よ」

「必ずや。フェンは、アッシュ殿下に伝えがてら、慰めておいてくれるか?」

「あはっ、分かった。フォローしておくね。では、風神様――御機嫌よう」

「うむ」

 フェンは恭しく一礼してから、船室に向かっていく。それを見届けてから、静馬は口を開いた。

「それで――風神殿、一つよろしいか」

「なんだ、剣士の子よ」

「何故、アッシュ殿下を避けた?」

 その言葉に、風神は大きく目を見開き、苦笑いを浮かべた。

「避けただと? そのような訳あるまい――ただの偶然よ」

「とぼけなくても構わない。こちらは告げ口するつもりはない」

「――ふむ」

 彼女は少しだけ真顔になった。静馬を真っ直ぐに見つめ返して問う。

「どこで、分かった?」

「ミアの一言――『目つきが怖い』といったが、彼女はそんな言葉を使わない、心優しき子だ。ましてや、殿下とは初対面に近いのに……その無遠慮な子でないのは、短い付き合いでも分かっているつもりだ」

 静馬の言葉を聞いていた風神は少しだけ笑みを浮かべて頷く。

「そうだな――彼女は優しい子だ。認めよう。ああ言わせたのは、我の入れ知恵だ」

「では、何故――?」

「あのアッシュという男が、信頼できないからだ」

 その言葉に、少しだけ静馬は眉を寄せた。風神の顔に表情はない――真顔で、告げる。

「あの男から、妙な気配がするのだ。あやつを通して、誰かの気配がするような、雰囲気でな――剣士の子よ、気をつけるがいい」

「心には、留めておきましょう」

 そう言葉を返すと、風神はほんの少しだけ寂しそうに微笑み――。

 その身体から、気配が抜けていく――翡翠の色が抜け、ミアはぱちくりとまばたきをし、少しだけ申し訳なさそうに言った。

「ごめ、ん――シズマさん、風神様の仰せで、アッシュさんには失礼を……」

「ああ、気にしないでいい。神様も考えがあってのことだろ」

 静馬はひらりと手を振って事もなげに言い、傍でずっと話を聞いていた飛鳥に視線をやる。彼女はその視線だけで意図を汲み取り、ミアの傍に寄った。

「じゃあ、ミア、ごはんにしない? まだ食べていないでしょ」

「ん――ありがと。アスカ」

「いえいえ。では、静馬様」

「ああ、行ってらっしゃい」

 手を振って静馬は船室に戻る飛鳥とミアを見送る。そうしてから、ふむ、と顎に手を当てる。思い起こすのは、風神とミアのやり取り――。

 なるほど、と納得する一方で、少しだけ疑問に思うことがあった。

(アッシュ殿下に――何か、妙な気配がする、だと?)

 彼からしてみれば、巻き込まれた側の人間なのだ。彼が、敵側の人間である可能性は限りなく低い。それなら、助けを求めた相手であるフェンまでグルということになる。

 だが、共に戦って分かる――フェンは、信じるに足る人間だ。

 その彼女が信じ、想う相手を疑えるはずがない。

 とはいえ、風神も嘘をつく必要があるとは思えない。

(念のための保険は、必要か――)

 静馬は懐から紙切れを取り出すと、小さな文字を書きつけていく。

 その傍に、ふわりと一匹の鳥が舞い降り、欄干に留まる。澄んだ瞳の、一匹の鷹。その首筋を指先で撫でると、紙切れを細く巻いて彼の脚にくくりつける。

 その鷹は、静馬を軽く一瞥すると、欄干を蹴って羽ばたいた。

 悠然と羽ばたく姿は、真っ直ぐにウェルネスに向かう。その鳥を見送ると、静馬は踵を返した。

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