第3話

「――アスカ、ちょっと、いい?」

 船室に戻ったミアは、ふと思いついたように視線を上げ、隣に立つ飛鳥を見つめる。

 飛鳥はわずかに首を傾げる。ミアが足を止めたので、飛鳥はその傍で片膝をついた。

「何かな、ミア」

「その、ごはん、だけど……」

 ふら、ふらと視線が泳ぐ。要領を得ず、何を言いたいかはさっぱり分からない。

 だが、その頬がわずかに赤くなり、ちら、ちらと下の船室に向いている。静馬やアッシュならそれでも分からないだろうが――同じ乙女心の飛鳥は、ああ、と合点した。

(小さくても、乙女なのね。ミアは)

 微笑ましく思いながら頷き、飛鳥はミアの手を引いて歩き出した。


 その少し後――階下の狭い船室では、ぐったりとした男がいた。

 言わずと知れた、災難男、ゲイリー・ルードマンである。

 固い寝台に横たわり、真っ青な顔でぶつぶつと恨み言を言う。

「くそぅ、あの殿下……雑な扱いしやがってぇ……こっちは怪我人だぞ……?」

 その船室には、雑多に物が置かれている――いわば、物置だ。

 船倉に収まり切らなかった木箱の山が多数ある。ゲイリーの寝台も、実はその木箱を流用している。おちおち寝返りも打てない。

 本当は、アッシュは容赦なく彼を船倉にぶち込もうとしたが、静馬がさすがに可哀想だと言い、物置のような一室が与えられていた。

 その寝台の上で、船の揺れに耐えながら、うえぇ、と彼は呻く。

(俺、なんか殿下に気に障ること、言ったっけなあ……)

 そんなことは言っていない。ただ、以前、ゲイリーの口の軽さが原因で、フェンに災いを呼んだことがある――それを、アッシュが根に持っているだけである。

 固い木箱の上で、ぐったりとしていると――不意に、扉が叩かれる。

「ん、どーぞぉ……」

 力なく応じると、扉が控えめに開く。ゲイリーはちらり、と片目で見ると――そこには、おずおずと中を覗き込んでいる、白髪の少女と目が合う。

「ミアじゃねえか……どした?」

「ごはん、持ってきた……けど、大丈夫?」

「あー……」

 少しだけ悩む。食欲はない。むしろ、吐き気がする。

 だが、彼女の手に、大事そうに持たれているのは――ほかほかと湯気を立てているおかゆだ。それを見やり、ゲイリーは内心でため息をつく。

 だが、それを押し隠して、ゲイリーは身を起こして、手招きした。

「丁度、腹が減っていたんだ。助かるぜ。ミア」

「あ――よかったぁ」

 ささやかな笑顔を浮かべるミア。無表情な彼女が見せる、無防備な笑顔にどこか心が癒される。アッシュの殺伐な笑顔とは大違いだ。

 静馬の仕方なさそうな、優しい笑顔もいいのだが――。

(シズマさんのは、どっちかっていうと、なんか胃に優しい笑顔なんだよなあ、あの笑顔で凄まれると、心が削れるし)

 やっぱり女の子の笑顔だなぁ、としみじみ思いながら、ミアが差し出す粥を受け取る。

 木の椀の中の粥は、米がいい感じに煮崩れている――ほのかに香る出汁に、なかったはずの食欲が刺激される。

「もしかして、これ――」

「ん、シズマさんが出してくれた、米料理」

 思い出す。港町へ向かう途中でで、静馬が振る舞ってくれた手料理だ。同行した騎士たちは料理ができなかったので、彼が手早くこしらえてくれたのだ。

 焚いた米を握り固めただけの料理、おにぎりを、粉末出汁のスープで煮込んだもの。

 おかゆというのかと思えば、彼の郷土ではこれを雑炊と呼ぶらしい。

「ゲイリー、これ、好きだったから……」

 どうかな、とおずおず上目遣いに見つめてくる。ゲイリーは笑みを浮かべ、それを受け取り、口に運び――微かに目を見開く。

(こ、これは――)

 塩が、濃い。しかも、ざらり、と何か苦い味――どこか焦げたのか炭の味だ。

 それを飲むに躊躇し――ミアと目が合う。

 どこか、心配そうに、びくびくと怯えるような眼差し――何かを怖がっているような視線だ。それを見て、ゲイリーはぐっと喉仏を動かす。

 ずずっと勢いよく椀の中身を啜り、無理矢理、笑みを浮かべた。

「美味いっ! こんなもの、食ったことがねえ!」

「ほ、本当……?」

「ああ、シズマさんのも美味かったが……これはこれで」

「よ、かったぁ……」

 へにゃり、と眉尻が下がる。心からほっとしたような様子に、やっぱり、とゲイリーは納得した。

(これ、ミアが作ったな? シズマさんあたりからレシピを聞いて)

 ちなみに、教えたのは飛鳥である。

 ミアはその乏しい表情に、安心の笑みを浮かべてゲイリーを見つめる。そうなると、ゲイリーは後には引けない。

 覚悟を決め、がつがつと塩辛くほのかに苦い味の雑炊を食べて行く。

 だが、しっかり出汁で味付けされ、米も程よく煮崩れているので、さらさらと腹に収まっていく。落ち着くと、この強めの塩味も悪くはない。

(ま、寝汗をかきまくったからな……)

 ミアの笑顔に励まされるように、雑炊を腹の中に流し込み――ふう、と一息つく。椀の中は空っぽだ。腹に溜まった感覚を感じながら、ゲイリーは目を細める。

「ありがとうな。ミア。わざわざ飯を持ってきてくれて」

「う、ううん……べつに……」

 少しだけ顔を背ける。その表情はいつも通り、淡々としているが――その耳がほのかに赤い。手を伸ばして、その頭を撫でると、彼女は小さく囁いた。

「お礼を言うのは、私の方だよ。ゲイリー」

「え、なんで?」

「わざわざ、こうやってついてきてくれて……」

「あー、まあ、な」

 ゲイリーは頬を掻く。実は、今回の火の国からウェルネスへ行くのは、同行する必要はなかったのだ。アッシュからは残った方がいいと言われていた。

 それでも――何かが突き動かされるように、ゲイリーは同行すると告げた。

「なんでだろうなあ……まあ、乗りかかった船、っていうのはあるけど」

 この旅に同行すれば、新しい儲け話が生まれるかもしれない。

 古代兵器とやらをお目に掛かれるかもしれない。

 吟遊詩人として、新しいネタを得られるかもしれない。

 いろんな理由が頭の中に駆け巡るが――いまいち、しっくりこない。

 不思議だな、と思いながらも、目の前のミアの不思議そうな目を見つめて――ふっと笑みをこぼす。その頭を撫でながら笑いかけた。

「案外、ミアのことが心配だったかもしれねえな」

「――え……?」

「ミアってなんか、変なところで我慢するところ、あるだろ? もうちょっと気楽に振る舞った方が楽だと思うけどなあ。肩の力を抜いてよ」

 軽い口調で思ったことを告げながら、ミアの頭を撫で続ける。

 素面だったら――あるいは、普通の女相手だったら、普段のゲイリーなら言えない、歯の浮いたようなセリフだ。

 だが、ミアがまだいたいけな少女で、ゲイリーが船酔いして弱っているからこそ、彼から出た素直な感想だった。

 ミアは目を見開き、じっと彼を見つめていたが――そっと、近づいて距離を詰める。

「じゃあ……ゲイリーには、甘えていい?」

「ん? 俺か? 甘えるならもっとまともなやつがいるけどな。シズマさんとか……」

 フェンやアッシュの名前を並べようとするが、ぶんぶんと首を振るミアに遮られる。そして、見上げた目つきは――どこか必死で、縋るようだった。

「ゲイリーがいい。ゲイリーに、甘えたい」

「お、おお……まあ、別にいいけどよ」

 気圧されるがままに、ゲイリーは頷き――ふと考え込んで、椀を横に置く。

 そして、軽く手招きした。

「ほら、こっちゃ来い」

「ん? うん」

 素直に歩み寄ってくるミア。ゲイリーはその身体をひょいと持ち上げると、背を向けさせて膝の上に載せる――まるで、絵本を読み聞かせるように。

 その頭の上に手を載せ、よしよしと撫でながら、ゲイリーは苦笑いする。

「甘えさせるつっても、こういうことしかできないぞ? 俺は」

 それは、村の教師をしていたとき、本を読んで欲しい、一人の子供がせがんできたとき、こうやって読んでいたのだ。

(あいつ、やたら難しい本ばかり持ってきていたが……)

 それを思い出しながら、ミアの髪を撫でる――指通りのいい、しなやかな髪が指に心地いい。ミアは膝の上でじっとしていたが……おずおずと、ゲイリーの胸に背中を預ける。

 そして、どこか安心したように、胸に頭を預け――やがて、穏やかな吐息が聞こえてきた。

(お――寝た、のか?)

 穏やかな寝息を立てているのを聞きながら、ゲイリーは少し苦笑い。

 余程、安心したのか……だが、人を放って寝るとは……。

 だが、邪魔する気にもなれず、ゲイリーは壁に身を預け、なんとなくミアの頭を撫で続ける――忌々しかった、船の揺れが、どこか眠気を誘う。

 欠伸を漏らし、うつらうつらと、ゲイリーは目を閉じた。


「ゲイリー殿、失礼……あら」

 しばらくして様子を見に来た飛鳥は、軽く目を見開き、そして優しい微笑みを浮かべた。

 二人の様子を見つめ、彼女はそっと足音を殺して歩み寄った。

 空の容器を回収すると、部屋にあった毛布を掛けて――ゆっくりと部屋を後にする。

 最後に、その二人を見つめ――少しだけ、小さくささやいた。

「おやすみなさい、二人とも」

 その視線の先では、二人仲良く眠っている姿――いつの間にか、ゲイリーは横になり、ミアはその胸にすがりつくように寝息を立てている。

 その姿は、まるで、歳の離れた兄妹のように、優しく飛鳥の目に映っていた。

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