第三章 大航海

第1話

 静馬とアッシュが邂逅してから、わずか三日後――。

「――なあ、フェン殿」

「なんですか。シズマ殿」

 二人は並んで地平の彼方を見つめていた。二人ともどこか、遠い目をしてため息をこぼす。

 その視線の先には、広がる青。穏やかな風が波を立てる水面が、どこまでも遠くまで続いている――視界一杯に広がる、大海原だ。

 それをじっくり眺め、陽の光を反射する水面に目を細めながら、静馬は呟いた。

「アッシュ殿は、もう少し、聡明な方だと思ったのだが――」

「聡明というのは、時と場合に寄る、とあの人の傍にいて、思い知らされます」

「なるほど、名言だな――確かにその通りだ」

 納得したように頷き、その柵に肘を載せる――船の、欄干の柵に。


 今、一行は――大海原で、船の上にいた。


 ウェルネス王国、そして、風神の巫女の要請に応えることに決めたアッシュ。

 だが、彼は王族であり、次代を担う身分――おいそれと危険のある国外、ましてや海外に出ることはできない、はずだった。

 だからこそ、彼はある強引な手段を試みる――それとは。


 事後承諾、である。


 自身の精鋭を呼び集めると同時に、ユグド商会のヘンリクに手配させ、一隻の船を確保した。それに、二百ほどの手勢を乗せ。

 すぐに、出航してしまった。

「幸い、陛下から大使として全権を委任されていた。故に、報告書だけまとめて送り、許可を得る前に出航してしまう――こうすれば、何も言えまい」

 甲板の帆柱に寄りかかり、ぬけぬけとそう告げるアッシュを振り返って、静馬はわずかに苦笑いを見せる。

「言えないというか、言わせないというか――存外、無茶苦茶なお方ですね」

「ふん――誰かのせいでな」

 アッシュは不機嫌そうにつぶやく。はて、と静馬は首を傾げ、視線を戻す。

 その先で、フェンは気まずそうに視線を逸らしていた。

「――フェン殿、少し顔が赤いような?」

「き、気のせいです。それよりも――」

 こほん、と一つ咳払いするフェンは、澄んだ瞳を静馬に向ける。

「もう、背中を合わせて戦ったんだから、他人行儀じゃなくてもいいんじゃないかな」

「――それもそうだな。フェン」

「あはっ、ありがとう。シズマ」

 すぐに意図をくみ取った静馬に向けて、無邪気な笑みを向けるフェン。

 直後、ぞくりと殺気染みた視線が、静馬に突き立った。

 ゆっくりと振り返り、視線を辿り――そのアッシュの仏頂面に突き当たる。その、鮮やかな紅い瞳がはっきりと射抜くように静馬を見つめている。

 その視線を見つめ返し――はぁ、なるほど、と静馬は納得した。

「妬かれているのですか、アッシュ殿下」

 臆せず、ぬけぬけと告げると、アッシュは大きく目を見開いた。フェンがこきん、と音を立ててその場で硬直する。

「ば、馬鹿め、そんなわけあるはず――」

「そんな殺気丸出しの視線をぶつけられれば、分かります。別段、隠すようなことでもないでしょう。その人のことを大事に思っているのなら」

「いや、だからだな――」

「四の五の言わなくても、私には分かります。下手にごまかさないで下さい」

 静馬はため息交じりに告げ、アッシュを真っ直ぐに見つける。

 澄み渡る、はっきりとした眼光に、アッシュは何も言えなくなって押し黙る。

 それを意外そうな目つきでフェンは見つめていた。

「――あの殿下が、言い負かされている」

「言い負かしているわけではないけどな」

「そうですね――静馬様は、いつでも真っ直ぐに向き合ってくれますから」

 二人の会話に入り込んできたのは、飛鳥だった。その後ろに、ミアが控えている。

 ふむ? と軽く静馬は片眉を吊り上げた。

「ゲイリー殿は?」

「お疲れの様子か、船室で寝ています」

「――そうか」

 確か、ミアの様子を寝ずに見守っていてくれたのだ。いろいろと面倒見のいい御仁だ。

 そのミアは、飛鳥の背に隠れるようにして、アッシュの方をおずおずと見ている。

「――なんだ、風神の巫女」

「う、ん……」

 ミアはぎゅっと飛鳥の軍服の裾を掴んで、ぽつりと告げる。

「目つきが、怖い、から……」

 瞬間、アッシュの表情が一瞬にして固まった。やがて、表情が抜け落ちると、ゆっくりと船室の方に向かう――幽鬼のような足取りに、静馬は引きつり笑いを浮かべた。

「あーっと、慰めた方が……?」

「自業自得だから、別に構わないよ。シズマ。それよりも――ミア」

「――ん」

 飛鳥に隠れていたミアは、ちょこちょこと歩み出ると、くりくりとした瞳でフェンを見上げる。フェンはにっこりと笑い、少しだけ首を傾げた。

「船は、大丈夫そうかな?」

「大丈夫――酔わない、体質。それよりも」

「うん?」

「風神様が話したい、と」

 ミアがそう告げた瞬間、彼女の帯びる気配が変わる――ふわりと柔らかい風が、彼女の髪を持ち上げる。草原の香りを纏わせながら、翡翠の眼になった彼女は不敵な口調で告げる。

「水神の巫女――会うのは、初めてか」

「ご機嫌麗しゅうございます。風神様」

「アンジェラは、息災か?」

「はい、元気にしています。今回では、動けませんでしたが――」

「ふむ、まあ、あの水神らしい」

「ですが、力を貸してくれています」

「ミアの耳と風で感じていたとも。見事な海割りであった」

「光栄です――それよりも、風神様、改めてお聞かせください」

 挨拶を終え、フェンは背筋を正し、物怖じせずに真っ直ぐに訊ねる。


「古の民が作った、忌まわしき兵器――黒の魔人について」

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