第6話

(――まさか、海外の国に旅に出ることになるとはな……)

 非公式の会談が行われた数日後――中臣静馬は商店の壁に寄りかかって視線を遠くにやっていた。その視線の先に広がるのは大海原。

 静馬たちは、港町まで辿り着いていた。

 あれから、アウレリアーナと協力して船の手配や根回しを行っていた。おかげで、静馬は正式な使者として、火の国に出向くことになっている。

 同行するのは、副官の飛鳥をはじめとした、静馬の部下数名。

 そして、ミアとゲイリーの二人。少数精鋭で、二人を護衛して向かうことになる。

 部下が船に荷物を運びこんでいるのを、ぼんやりと見守っていると――ふと、横の扉が開き、商店の中からゲイリーとミアが顔を見せた。

「あ、シズマさん――手紙の手配が終わったぜ。きっちり事の次第を書いた上に、シズマさんの書きつけも添えておいた。これでばっちりだな」

「ありがとう。ゲイリー殿」

 ここの商会は、手紙のやり取りも行っている。

 渡り鳥の習性を利用し、伝書鳩のように海を渡すのだ。その分、金は掛かるのだが、以前助けた男がここの商会の者だったので、その部下が快く引き受けてくれた。

(信頼できる筋だから、恐らく届くだろうし――)

 ただ少し、気になるのは――商会の者と話していたとき、小耳に挟んだこと。

 ふと、そのことを考えていると、ゲイリーが眉を寄せて恐る恐る訊ねてくる。

「ど、どうしたんだ? シズマさん。おっかない顔しているぜ?」

「ん、ああ――さっき、ここの商会の人から小耳に挟んだんだが……」

 別に隠すことでもない。静馬は苦笑い交じりに答えた。

「神隠しが、あったらしい」

「神隠しぃ?」

 胡散臭そうな顔をするゲイリー。表情をぴくりと震わせ、ミアはゲイリーの傍に寄る。

 別に、怪談というわけではないけれど。静馬は壁から背を離しつつ、答える。

「ここの他にも、いくつか商会があるんだが――そのうちの一つが忽然と姿を消したそうだ。商館をそのままに、自前の商船と共に、商会の人間――十名くらいが突然」

「こ、こえぇな……騎士団としては、調べないといけないのか?」

「調べたいのは山々だが――残念ながら」

 静馬は肩を竦めて首を振ると、拍子抜けをしたようにゲイリーは、はぇ、と呟く。

「その商会は、借金があったそうで、給料が払えるか怪しいくらいカツカツだったらしい。だから、夜逃げの線が濃厚だな。ただ、少し引っ掛かったから――殿下に、報告は入れておくけど」

 気になるのは、本当に些細なことだ。

 ここが、調査していた事件の怪死が起こっている港町だから。些細なこととはいえ、念のため、アウレリアーナに報告しておいた方がいいだろう。

(気にし過ぎだとは、思うが――)

 静馬は首を振って考えを振り切る。その横で、ゲイリーが拍子抜けしたような顔をしていた。

「なんだ、てっきりシズマさん、ウェルネス王国から離れるのが寂しいのかと思ってよ」

「そんなことはないが……」

「でもよ、その、間違っていたら不敬になるかもしれねえが……」

 ゲイリーは軽く迷うように、だが、好奇を秘めた視線でちらと静馬の横顔を見る。

「――シズマさん、アウレリアーナ殿下と、その、いい関係だったりするんじゃねえの?」

 静馬はすぐには答えなかった。ゲイリーを横目で見つめ返す。

 じっと見つめると、気圧されたようにゲイリーはじり、と後ずさりした。

「そ、その……間違っていたら、申し訳ねえ、というか……」

「――ふ、そう焦らないでもいい。ゲイリー殿」

 少しだけ笑みを浮かべ、安心させるように静馬は言ってから、彼に訊ね返す。

「答える前に、なんで、そう思ったんだ?」

「まぁ、なんというか――本当に、何となくでしかねえんだが……」

 口ごもるゲイリーに、静馬は怒らないから、と軽く笑いかける。ゲイリーは少し悩むように眉を寄せて、口を開く。

「確かに、二人は主従関係――しかも、お互いに戒め合える、立派な主従だと思ったぜ? でも、なんか……どこか、雰囲気が似ているんだよ」

「似ている? 誰かと、ってことか?」

「ああ――あの、両殿下。フェンとアッシュのお二方によ」

 にやり、とゲイリーは口角を吊り上げる。懐かしむように目を細め、だけど、不思議そうに首を傾げる。

「どうしてだろうな、あの二人とは、似てもつかないし、やり取りも違う。全く、違うんだが――うん、なんだか信頼感が似ているんだ」

「信頼、感?」

「主従の関係を越えて、相手のことを信じ切っている感じ、って言ったらいいのかな」

「――なるほど、ね」

 静馬は頷いてゲイリーに笑いかける。ぽん、と肩を叩いて頷いた。

「その感覚は、間違ってはいないよ。ゲイリー殿の質問に、否定もしない」

「あ、じゃあ――」

「ただし」

 静馬は彼を掴んだ肩に力を込め、ぐい、と顔を近づけた。全く笑っていない目で、ゲイリーの目を覗き込み、低い声で告げる。

「好奇心を発揮するところを、間違えない方がいい――迂闊に、口にすると面倒になる」

「……ひゃ、い……」

 ゲイリーが顔面真っ青になる。こくこくと彼が頷いたのを確かめてから、静馬は手を放して少しだけ苦笑いを浮かべる。

「立場上、いろいろあるんだ――ゲイリー殿は、吹聴するような人物ではないと思うが、多少、口が軽そうにも見受ける。ここは、念入りに釘を刺させてもらう」

 言外に認めた通り――静馬とアウレリアーナは、お互いを想い合っている。

 ただ、静馬はただの騎士であり、出自は平民といっても差し支えはない。一方のアウレリアーナは王族。明らかに、格が違うのだ。

 もし、この想いが露見すれば、二人の距離を話そうと暗躍するものも出てくるだろう。

 その上、アウレリアーナに対する謂れのない悪口が飛び交うのは、静馬としては耐え難いのだ。尤も、彼女はその悪口を鼻で笑い飛ばすだろうが。

「ゲイリー殿。もし、軽々しくこの件を口にするなら――」

「する、なら……?」

「答える言葉は持たない――答えるのは、これだ」

 静馬の腰から、かちり、と鍔が軽く鳴る。それに、ゲイリーは表情を引きつらせて頷いた。

「か、神に誓うぜ。絶対に、口外しない」

「それならいい。すまない。念を入れておきたくてな。だから」

 静馬はちらり、とゲイリーの顔から下に視線をずらし、ミアの方を見て笑いかける。

「そう睨まないでくれ。ミア――こっちにも事情があるんだ」

「――ん」

 ミアは、静馬の目が笑っていないことに最初から気づいていたらしい。

 ゲイリーに隠れながらも、必死に静馬を睨みつけていた。静馬はゲイリーに視線を向け、にこりと微笑みかける。

「ミアに免じて、今回はここまでだ――くれぐれも覚えておいてくれ」

「あ、ああ……助かったぜ。ミア」

「……んん」

 ゲイリーが嬉しそうにミアの頭を撫で、彼女は心地よさげに目を細める。

 その二人のやり取りを見てから、静馬は踵を返す――そして、そこで積み込みを指揮する飛鳥の方へと歩み寄った。

「運び込みを手伝おうか?」

「あ、静馬様。もう終わるので大丈夫ですよ」

 飛鳥が視線を上げて微笑む。その手元のクリップボードには、もう大半のチェックが入っていた。雇った水夫たちも、もう乗り込んでいるらしい。

「なら、もうしばらくで出航できるか?」

「はい、港の方にも届出が済んでいるので、こちらを詰み込み次第、いつでも」

「了解――しかし、こんなので大丈夫なのかね?」

 ちらり、と見上げた視線の先の船は、少し規模が小さい。小型まではいかないが、中型ほどの大きさでもない――丁度、中間くらいだ。

 飛鳥はクリップボードのチェックを続けながら、少しだけ眉を寄せた。

「まあ、急な要請ではありましたが――どうにも、出し惜しんでいる節はありますね」

「確かに、商人たちの船とは、我々騎士たちの馬のようなものだからな――気持ちは、分かるのだが……少々、頼りない気もする」

「これでも、聞くには船足が早いものらしいです。逆にボロの船でなくて、安堵するべきではないのではありませんか?」

「そういう捉え方もあるか……」

 だが、静馬の心からはいつまでも不安が絶えない。

 まるで、他人の馬に乗って死地を斬り拓くような気分――飛鳥もそれは感じているのか、顔は晴れない。ため息交じりにクリップボードをぶら下げて言う。

「幸い物資も万全、水夫も比較的腕が立つものが雇えました。あとは、何事もないことを祈るばかりです」

「そう、だな――」

 こればかりは、祈るしかない。静馬はその小さな船を眺めていると、飛鳥はクリップボードを眺めて一つ頷いた。

「全て詰め込みました。いつでも出航できます」

「よし――」

 静馬は振り返り、ゲイリーとミアに合図する。そして、そこにいる騎士と水夫に勢いよく声を掛けた。


「出航だ――まだ見ぬ大陸に向けて、出発する!」

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