第4話

 ウェルネス王国は、ハーベスト大陸における大国の一つだ。

 気候は温暖湿潤。四季折々であり、広大な平原で盛んに農耕が行われている。それ故に人口も多く、交易も盛んな土地である。

 その一方で、遊牧民族が併合して生まれた国家であるため、多民族が入り乱れている。故に内乱が後を絶たない事情もある。

 それを鎮撫するのが、静馬が所属する王国騎士団――王国の主戦力だ。

 彼らは王都を本拠地にして、命令に応じて迅速に出撃を行っている。その騎士たちを束ね上げ、指揮系統に頂点に立つ者が、王宮にいる。


「――この方が、軍の頂点に立つお方であり、次期女王であるアウレリアーナ王女殿下だ」

 王宮の外れ――裏にある離宮の応接間。

 謁見の間とは違い、最低限の装飾だけの部屋。そこにゲイリーとミアを招いた静馬は、ソファーに座っていた王女を紹介する。

 息を呑むほど端正な顔つきをした女性が、たおやかに立ち上がる。燦然と輝く金髪が真っ赤なドレスの上を滑り、彼女を華やかに彩る。

 ふわりと花開くように笑みを浮かべ、桃色の唇で弧を描く。

「初めまして――ゲイリー殿、ミア殿。ようこそ、ウェルネス王国へ」

「へ、へへぇ、お目に掛かれて至極恐悦恐縮の至りにござい申し上げ奉り――」

「ああ、そんな気取らなくていいわよ。ゲイリー殿。そのための、離宮での出迎えだし」

 一転して、気取らない口調に切り替わる王女。

 思わずゲイリーは口を噤んで目を見開くと、アウレリアーナ王女は肩を竦めてソファーに腰を降ろす。足を優雅に組んで、気さくな笑みを浮かべてみせた。

(なんつーか……おてんば姫?)

 ゲイリーがそう思う中、静馬は軽く額を押さえながら、ため息と共に告げる。

「――そういうことだ。ゲイリー殿。身構えるだけ損だ。最低限の礼儀さえ踏まえてくれれば、タメ口で構わない」

「そ、そりゃ、俺としては助かるけどよ――その、いいのか? アウレリアーナ様?」

「ええ、もし、公式に貴方を出迎えるなら、こんなところに招かないわ。それに、そんな身なりで来させないわ。正装させるわよ」

「――なんというか、気さくな王女様だな」

「そういうことだ。肩ひじ張らなくて構わない」

 静馬は肩を竦めて、遠慮することなくアウレリアーナの隣に腰を降ろし、手で対面を進める。おずおずとゲイリーがソファーに腰かけると、その隣にミアも腰を降ろした。

 アウレリアーナはそのまま、その二人を見つめて告げる。

「概ね、シズマから事情は聞いたわ。でも、貴方の口から確認させて頂戴。ミア」

「――ん」

 ミアはこくんと頷く。その瞳にはしっかりとした決意が宿っている。


「私――ミア・ヴァイスは、風の神から加護を得た『風神の巫女』です」


 しばらく時が遡る。それは、三人が天幕の中で話していたときのこと。

 フェンの名が出たところで、取り乱したミアをゲイリーがなだめていた。

『どうして、あの姫さんに会おうなんて考えるんだ? つか、あんたは何者――?』

『――どうしても、会わないといけないの。水神の巫女たるフェンに』

 水神の巫女。その名前が出た瞬間、ゲイリーは目に色を変えた。

 大きく狼狽えるように周りを見渡し、静馬に視線を止める。彼は訝しげに見つめ返した。

『水神の巫女――? 詮索しない方が、いいか?』

 ゲイリーは顔を引き攣らせていたが、やがて観念したように首を振る。

『いや、シズマさんも聞いてくれ。もしかしたら、シズマさんの助けが必要になる』

『分かった――だが、まず、水神の巫女とは何なんだ?』

『火の国に攻め滅ぼされた国――水の国にいた、奇跡を司る巫女様だよ。彼女が願えば、雨が降らせることができる。また逆もまた然り』

『――なるほどな』

『おや? 驚かないんだな?』

『この国にも規模は違えど、同じような事象を起こせる存在はいる』

 で? と先を促す静馬にゲイリーは頷き返しながら朗々と語る。

『水の国を滅ぼされ、水神の巫女は姿を消したと思われた――だが、彼女は男装し、火の国の騎士団に潜り込んでいたのだ。その彼女の名前こそ、フェン・ヴィーズ』

 騎士としてフェンはアッシュ殿下に仕えた。

 二人は最初犬猿の仲であったものの、次第に理解を深めていき、お互いのことを守りたいと願うようになっていた。

『やがて、二人は結婚したわけだ。フェンは水の国の王族、アッシュも火の国の王族。二人は婚姻することで、和解を示して今は火の国は安泰、めでたし、めでたし――なんだが』

 ゲイリーは困惑するようにミアを見つめる。

『なんでまた、水神の巫女に会いたい、なんて言ったんだ?』

『私も、巫女だから』

『――は? 巫女?』

『ん――私は、風の民の巫女』

 ミアはそう言うと自分の胸の前で大事そうに指を組む。瞬間、ふわりとどこからか風が吹いてきた。ミアの髪がゆるやかに舞い上がる。

 だが、天幕はそよぎすらしない――彼女から、風が吹いているのだ。

 彼女は、翡翠の光を目に宿しながら、はっきりと告げる。


『風神の名代たる巫女として――フェンに、会わなければならないのです』


 それを聞いた静馬は自分の手に余ると判断し、すぐさま手紙を記して騎士に王都まで届けさせた。

 そして、二人を連れて王都に帰還――その足で、直接離宮に案内したのである。

 手紙で状況を知ったアウレリアーナも、その事情を実際に聞くと黙り込んでしまった。腕を組み、眉を寄せながら、静馬に視線を投げかける。

「シズマ、地図を――世界地図の方をお願い」

「御意に」

 静馬が席を立ち、応接間の棚にある引き出しに向かう。そこから大きな地図を取り出す。それをテーブルの上に広げた。

 そこにはウェルネス王国があるハーベスト大陸が中心に記され、北方の未開の凍土や、海を越えた南東にあるアカツキ王国。そして、遠く離れた火の国まで記されている。

 広げられたそれを一瞥し、アウレリアーナはミアに視線を注いだ。

「それで――ミア、聞くわ。風の国は、どこにあるの?」

「――今は、もうない。だけど、あった場所は――ここ」

 たおやかな指先が、ぐるりと大きく指先で囲むように示す。

 それは、ウェルネス王国の東半分。目を見開く静馬とゲイリーだったが、アウレリアーナだけは納得したように、やっぱり、とつぶやいていた。

「ウェルネス王国は比較的近年にできた国――その前身は、ただの遊牧民族が点在するだけだった。つまり、貴方はその遊牧民族の末裔――」

「ん――ウェルネス王国の初代国王、ガイウス・ウェルネスの妻の一人、セーラ・ヴァイスの子孫になる」

「理解したわ。風の神が水神の巫女を頼る理由――それを、聞いてもいいかしら」

 ミアは逡巡する。口外するべきかどうか、悩んでいるようにも見えるが――。

 ふとその瞬間、びくりと彼女の身体が震えた。彼女の瞼がゆっくりと閉じられ――雰囲気が、どこか変わっていく。静馬が警戒するようにわずかに腰を浮かす。

 その瞬間、ミアの口が開く。

「心配せずとも良い――この少女の身を借り受けているだけだ」

 その声は、ミアの声ではなかった。大人びた、澄んだ声に全員が目を見開く。

 瞬間、ミアがふっと瞼を開ける――その目は、翡翠に光輝いている。その少女が、ぐるりと部屋の中を見渡し、やがてアウレリアーナを見つめる。


「ガイウスの子孫だな? 初めてお目にかかる――風神だ」

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