雲上の翼

柚緒駆

雲上の翼

 この記録は僕の声と、僕が集めた音声データを編集した物になる。映像記録を残せないのは困ったものだけれど、総合的な利便性を考えると仕方ない。


 これは、万が一のときのための記録だ。もし、このキューブを拾った人がいるなら、そしてこの言葉を聞いているのなら、銀河連邦の出張所に届けてもらいたい。礼金は少なからぬ額が提示される事と思う。ネコババするより儲かるのは間違いないから。それは保証する。



 僕の名はデイン・クリャリカス。地球人、そして銀河連邦政府から派遣された自然保護官だ。惑星ナドウの高山地帯に棲息する、パルセリアの調査を行っていた。パルセリアはナドウの言葉で『雲の上を飛ぶ翼』の意味。地球で言うなら鳥類に当たる飛行生物だけど、翼幅十メートルに達する巨大さで、かつては家畜を襲ったり、人間を襲って食べたりもしたらしい。


 でもナドウの工業化が進み、自然環境が破壊されると、パルセリアは数を減らした。現在では三十羽程度しか生き残っておらず、連邦の特別保護生物――天然記念物みたいなもの――に指定されて、ナドウでも保護対象となってはいるものの、密猟がまだ完全に断たれてはいない状況だ。


 僕の任務はパルセリアの具体的な生息数を調査する事と、密猟者と接触する事。密猟はその地域の経済や社会情勢、文化や歴史とも関わっていて、単純に法律で禁止してもなくならない。だから実際に密猟者に接触して、現状で何か有効な対策が打てないかを探る必要があった。


 僕が訪れたのは、ナドウで最も高い山脈が並ぶ地域であり、パルセリアの保護区でもあるタルマンリンガンナ。その標高六千メートル付近、雲の上に存在する小さな集落カヒオで宿を取った。ここまではバスが通っているのだ。そして他の惑星からの登山客で賑わうこの宿の主人が、密猟者との繋ぎを取ってくれるらしい。


「紹介はするさ。だけどね」


 宿の主人は面倒臭そうな顔をした。僕は軽い高山病になりながら、無理をして笑った。


「ああ、お金なら何とかします」


 安全第一なので、他人の目のある場所で財布を開いたりはしないが、政府からもそれなりの予算を支給されている。交渉くらいは出来るだろうと思っていた。しかし、宿の主人は首を振った。


「いや、金の問題じゃないんだ。あの男は気難しくてね、会えるかどうか、当日までわからんと思うよ」


 それでも会わなければならない。僕は主人に紹介を頼んで、その日は寝た。


 起こされたのは翌朝早く、まだ薄暗い時間。宿の主人に連れられて、集落の外れにある粗末な小屋に入った。そこに居たのは、何歳くらいだろう、ナドウ人は地球人とは歳の取り方が少し違うので、一見で判断するのは難しいが、老人である事は間違いなかった。


 薄い水色をした髪――地球人なら白髪だ――を総髪に結った、ひび割れのような深い皺を顔や手に寄らせた細身の老いた男は、窓際に座り、その腕にボルトアクション式の地球製ライフルを抱えて、入り口に立つ僕らを冷たい目で見つめていた。


「ジナサー、うちの客なんだ。手荒なことはやめてくれよ」


 それだけ言い残すと、宿の主人は部屋を出て行った。後は暗くて狭い部屋に二人きり。僕は緊張をほぐすために小さく咳払いをすると、まず自己紹介をした。


「初めまして、ジナサー。僕はデイン・クリャリカス。銀河連邦の自然保護官です」

「何が知りたい」


 差し出した右手を見ようともせず、ジナサーは刺すように僕の目の奥を見つめた。


「そうですね。景気はどうですか」


 作り笑いを向ける僕から、ジナサーは飽きたように目をそらし、窓の外を見た。


「悪いな」

「そりゃそうでしょう。パルセリアは生体はもちろん、羽根や卵の殻に至るまで、すべて取引禁止の特別保護生物です。市場に出せないんじゃ、お金にはならない」


 しかしその言葉に対するジナサーの返事に、僕は困惑した。


「パルセリアを売った事など一度もない」

「……売った事がない? 本当に?」


 そんな馬鹿な。ナドウにおいて、パルセリアに宗教的価値はない。昔は肉を食べていたらしいが、いまではチキンの方が圧倒的に安価なタンパク源として広く食卓に上っている。その状況はこのタルマンリンガンナでも同じはずだ。ならばいま法を犯し、検挙されるリスクを負ってまでパルセリアを密猟する理由など、金銭的なものしか考えられなかった。


 パルセリアは市場に出せないと僕は言った。だが、実際にはそれを買おうとする者が存在する。金にあかせてパルセリアの死体を手に入れ、剥製にしていた資産家が逮捕されたケースもある。ジナサーはそういう連中にパルセリアを売りつけているとばかり僕は思っていたのだが、違うのだろうか。それとも顧客を守ろうとするための嘘か。ジナサーの皺だらけの顔からは、それが読み取れなかった。


「本当か嘘かなど、どうでもいい」

「どうでもよくなんてない!」


 思わず大きな声を出してしまった僕を、ジナサーは横目で見つめた。


「ハッキリ言います。僕はあなたに密猟をやめてもらいたくてここに来たんです。生活のためだと言うのなら、連邦からある程度の補償金は出ます。本当の事を聞かせてもらえませんか」


「金は要らん」


 突き放すようなジナサーの言葉。でも簡単に引き下がる訳には行かない。


「あなたは理解しているんですか。パルセリアは絶滅寸前なんです。もう三十羽しか生き残っていないんですよ。彼らが居なくなれば、あなたが密猟をする対象もなくなってしまう。その先どうやって生きて行くつもりですか」


 しかし興奮する僕に対し、ジナサーは静かに答えた。


「生きて行くつもりなどない」

「はぁ?」


「生きたいがためにパルセリアを撃っている訳ではない。パルセリアがこの世に存在しなくなれば、この身が生きている理由もなくなる。あとは朽ちるだけだ」


 どうしてもジナサーが嘘をついているようには思えなかった。言葉に詰まった僕に、彼はこう続けた。


「それにパルセリアの生き残りは三十羽ではない。二十七羽だ」


 そんな情報は聞いていなかった。現時点でパルセリアについて、連邦内でもっとも新しい、もっとも詳細な情報が集められているのは、この僕のはずだ。なのに、僕の知らない事を何故密猟者が知っている。


「それは、いったいどういう」


 僕を見つめるジナサーの目に、小さな感情の色が宿ったような気がした。もしかしたら哀れみだったのだろうか。


「敵を知らずに戦いを挑むほど愚かではない」

「二十七羽というのは、その、数えたんですか」


 ジナサーは小さくうなずく。


「成体が二十二羽、幼体が五羽だ」

「本当に、間違いなく?」


 なおも疑う僕に、ジナサーはスラスラと答えて見せた。


「オスの成体が九羽、メスの成体が十三羽、オスの幼体が四羽、メスの幼体が一羽だ。まだ他に知りたい事があるか」

「すごい!」


 僕はつい叫んでしまった。


「パルセリアは雌雄の見分けが難しいんです。専門の生物学者でも間違えるのに、どうやって見分けるんですか」

「目の色が違う」


 それはまったくその通り。パルセリアのメスはオスより光彩が茶色い。でも本当に僅かな違いだし、死体になればその違いも消えてしまう。つまり生きているパルセリアを至近距離から観察しないと見分けなんて付かないはずなのだ。


「目だけで見分けられますか」


 するとジナサーは、ほんの一瞬面倒臭そうな顔を見せたが、またすぐ深い皺の中に表情を隠した。


「行動でも見分けはつく」

「どんな行動ですか」


「パルセリアのメスは卵を抱いている時間がオスより長い。六割はメスが抱く」


 初めて聞く話だった。パルセリアはオスとメスが交代で卵を抱く事は知られている。しかし抱卵時間が明確に分かれているとする説も観察記録も存在していない。そもそも観察の難しい極高地に暮らす生物であり、また非常に神経質なため、自動機械による観察もほぼ途中で失敗している。もしこれが真実なら大ニュースだ。


「あ、そうだ。パルセリアのヒナは『身内殺し』をしますよね。最初に生まれたヒナが他の卵をすべて巣から落としてしまうという」

「すべては落とさない」


 ジナサーは小さく首を振り、僕は首をかしげた。


「落とさない? 身内殺しはしないんですか」


「パルセリアは卵を四つ産む。どれも必ず、間違いなく四つだ。そして三番目のヒナまでは順に孵るが、三羽目が生まれた途端、三羽のヒナが協力して四つ目の卵を巣から落とす」


 これもまた初めて聞く説だ。身内殺しは行われる。それはパルセリアの巣の下の調査でほぼ確実とされていた。だが提唱されていた学説よりも複雑な段階を踏むとジナサーは言うのだ。そして続けた。


「ヒナのうち、競争に負ける者が必ず出て来る。少し弱ればそのヒナは親に食われてしまう。結果として一羽しか残らない。二羽残るのはごく珍しい」


 僕はもう確信していた。ジナサーは本当の事を話している。こちらを騙すつもりなど毛頭ないのだ。いや、それどころの騒ぎではない。彼のパルセリアに対する知識は、連邦の生物学会の最高権威ですら知らない最先端の情報だ。僕は迷わずこう提案した。


「ジナサー、僕と来ませんか。パルセリアの専門家として学会に乗り込むんです。どんな有名な学者でも、あなたより詳しい話が出来る人はいません。あなた以上にパルセリアを知っている人間など、銀河連邦中を探しても誰一人見つからないでしょう。みんな驚きますよ。それに、パルセリアに関する専門書を書けば、それなりのお金にもなります。生活も少しは楽になるはずです」


 しかしジナサーは興味を失ったように、また窓の外を見つめた。


「金は要らん」

「どうして! あなたにはその十分な資格があるのに」


「資格などない」


 ジナサーは吐き捨てるようにつぶやいた。


「この命に生きている資格などない」


 そこには僕など踏み込めない、断固とした意思が存在した。でもそれを承知で僕はたずねた。たずねずには居られなかった。


「何故そこまでして、パルセリアが撃ちたいんですか」


 ジナサーはしばらく窓の外を眺めると、小さくため息をついた。


「五十年ほど昔の事だ」


 地球時間なら七十年ほど前だろうか。地球人に比べて長命なナドウ人であっても、気の遠くなるような時間だ。


「女がいた。美しく優しい女だった。二十二の誕生日、女は夫に告げた。子を身ごもったと。夫は妻に誓った。命をかけて二人を幸せにすると。だがそれは叶わなかった」


 沈黙。息が詰まりそうになる数秒感を、僕は黙って耐えた。


「女はパルセリアに食われた。生きたまま、夫の目の前で、腹の子供と一緒に」


 耳の奥で鼓動の音がうるさいほど鳴っていた。高山病がぶり返しそうだ。目眩と吐き気がした。


「夫は誓った。この悪魔を一匹たりとも残しておくものかと。残りの命のすべてを使っても、皆殺しにしてやると」


 ジナサーの言葉の端々から暗黒が立ち昇る。これが憎悪というものか。


「ヤツらに近付くだけで、三十年を費やした。ヤツらに見つからぬ道、ヤツらに見つからぬ岩陰を探し、ヤツらに見つからぬ時間帯を探った。すべてを観察し、あらゆる事を頭に焼き付けた。そして二十年前、最初の一羽を殺した。ようやく飛ぶ練習を始めたばかりの幼体だった。親が居ない間に撃ち殺した。戻って来た親も撃ち殺した。そこからのスタートだ」


 ジナサーは深いため息をついた。その視線は窓の外に向けられたままだ。


「あと二十七羽。それですべてが終わる。それ以外の事には興味がない。もう話す事もない。宿に戻れ」


 そう言うと、二度とこちらを振り返らなかった。まるでこの世界そのものに決別するかのように。



 二十七羽という数は、生物種としてはすでに絶滅している。この先の世代はみな近親交配となり、遺伝的な多様性が失われてしまうためだ。伝染病が流行れば、あっという間に全滅するだろう。


 無論、現代の技術ならば遺伝子治療を施す事によって多様性を取り戻し、種を長らえさせる事は可能だ。しかし遺伝子を人為的に改変された生物は、自然の状態にあるとは言えない。人間の管理下にある実験動物と同じレベルの存在となる。つまりこの先どんな経過を辿るにせよ、自然の生み出したパルセリアが、人の手によって滅ぶ事は決定事項なのだ。


 それなのに、何故。


 愛する者を奪われた憎しみが、まったく理解出来ない訳でもない。だがもう滅ぶ事が決まっているパルセリアを、皆殺しにして何になる。誰のためになる。失われた命は戻って来ない。諦めるしかないじゃないか。


 それよりもパルセリアを後の世代に引き継いで、観光などの資源とし、多くの人々に幸福を分け与える方が重要な事だろう。それが人の社会に暮らす者が選ぶべき道のはずだ。違うだろうか。


 自分の憎しみだけに囚われているのは、ただのワガママだ。独りよがりのエゴイズムだ。ジナサーは間違っている。 


 僕はスキットルのウイスキーをあおった。酒は好きではないが、旅先ではどうしても必要になる場合がある。このときこそ、そのときだった。滅入る気持ちを抱えながら、窓の外を眺めた。宿の二階の部屋から見える夜の景色は、ただただ真っ暗。集落の人々はもう床についているのだろう、窓明かりさえ見えない。


 まるで自分が小さな救命艇に乗せられて、無限の宇宙空間を漂っているかのような気分になった。簡単に酔ってしまった自分に呆れて、僕は部屋の明かりを消した。こんな日は早く眠るに限る、明日の事は明日になったら考えよう、と。


 ベッドに入りかけて、ふと気付いた。窓枠にスキットルを置いたままだ。いかんいかん。誰かに見られる訳ではないが、こういう細かい事がどうにも気になる性格なのだ。リュックに入れておこう、そう思って窓際に近付いたとき。


 窓の外の暗闇の中を、小さな明かりが動いていた。


 ナドウにもホタルが居るのだろうか。一瞬そんな考えが脳裏をよぎったほどに微かな明かり。 だが僕の酔った頭でも、少し考えれば理解出来た。それはランタンの火だ。こんな時間に、誰がどこに行くのだろう。もしや。



 暗視ゴーグルは闇の中に道を浮かび上がらせてくれた。ただ、イマイチ遠近感に欠ける。軍事用なら、もっと高精細で遠近感もつかめる物があるそうだが、僕のは一般普及品だ。夜のトレッキングくらいにしか使えない。


 空気が薄いせいだろうか、もしくはフル装備の防寒着が重いからか、それとも酒を飲んだためなのか、あるいは早足で歩いているのが理由か、いや、全部か。とにかくひどく息が上がった。心臓の脈動が鼓膜を叩く音がうるさい。乾いた空気が喉に痛い。


 連邦の自然保護官には定期的な高地訓練が義務づけられており、僕はそれを真面目にこなしていた。だからここの環境にも順応は早いはずだ。そのはずなのだが、どうにも歩くだけで精一杯だった。


 一時間以上歩いたが、ランタンの明かりは見えない。道はここまでずっと一本道。迷ったとは思えない。まさか追い越したはずもないし、だとすれば相手は想像以上のスピードで山道を進んでいるという事になる。これはもう、さすがに追いつけないな、と思ったときだった。


 突然、後頭部に衝撃を感じた。何か棍棒のような物で殴られたと判断し、僕は咄嗟に頭を両腕でかばった。その腕を、巨大な握力がつかんで持ち上げる。僕の体は宙を舞った。暗視ゴーグルに浮かぶ巨大な翼は、グングンと空に駆け上がって行く。


 そんな馬鹿な。パルセリアは昼行性のはず。こんな真夜中に狩りをするなんて聞いていない。どうして、どうして僕なんだ。


 そのとき、銃声が聞こえた。いま思えば、あれはライフルの音だったのだろう。パルセリアはがくりと傾いた。そして二発目の銃声と共に僕を放り出し、暗視ゴーグルにも見通せない深い谷へと落ちて行った。


 僕の体も同じ速度で落下した。だが幸いと言うべきなのか、崖の途中に張り出した岩棚に叩き付けられた。たぶん両足が折れている。下半身が動かせない。


「生きているか」


 崖の上から声が聞こえた。ジナサーの声にも思えたのだが、確認のしようがない。


「頼む、助けてくれ」


 僕が必死に振り絞った叫びに対して、崖の上の声は答えた。


「一人ではおまえを引き上げられない。村の者を呼んでくるが、パルセリアは酒と血のニオイに敏感だ。助けられるかどうかはわからん」

「おい、ちょっと待ってくれ、おい」


 もう返事はなかった。



 そんな訳で、僕はいまこの記録を整理している。あれからもう二時間は経っている。助けはまだなのだろうか。


 寒い。これが気温のせいなのか、肉体の損傷に由来するものなのかは自分では判断できない。だが生還したときのためにも記録は必要だ。そうだ、生還するんだ。生きて帰るんだ。死にたくない。こんなところで、一人っきりで死にたくない。


 ああ、そうか。そうなんだな。きっとジナサーの妻もそうだったんだ。僕は馬鹿だ。とんでもない思い違いをしていた。こんな事もわからずに、何が銀河連邦の自然保護官だ。今度会ったらジナサーに謝らなくては。


 いや、謝るのもおかしいのか。直接何かを言った訳ではないし。でもジナサーは見通していたんじゃないか。あの冷たい目で、僕の考えている事まで。とにかく謝ろう。いまは謝りたい。


 何だろう、声が聞こえたような気がする。救助隊かな。耳がよく聞こえないんだ。でもきっとそうに違いない。


 では、この記録も終わるとしよう。繰り返しになるが、このキューブを拾った人は銀河連邦に届けてほしい。おそらくは僕が持ち帰る事になると思うけれど。

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