神のみぞ知ることをボクたちも知るよ

 オーストラリアっていったって広いさ。

 けど、俺は港にいるだけでも世界と繋がってたのさ。その港の着岸バースから大西洋も太平洋も繋がってて俺はつまり世界を股にかけてたも同然だってわけさ!


 事務所はちっぽけだったさ。

 俺はその港のバースに30秒で行ける小さな煉瓦造りの貸事務所に

『In the name of chandler TAIRO』

 っていう看板を掲げてね。ハッタリでもって創業の第一声を上げたのさ。


「Hey! All of you! I absolutely arrange anything what you need!」


 文法は若干間違ってるけどウケたね。

 ちょうどオーストラリアの英雄的バンド、INXSの”What you need”って曲が流行ってたから俺は“ほんとになんでも揃うのか?”って訊かれたらな、”I do arrange what you need!”って怒鳴り返したのさ。ああ、客に向かってだからまあサービス業としちゃ失格だね。

 でもほんとに俺はあらゆるものをアレンジできた。


 地球の反対側にしか育たない果物。

 可憐な一輪のブラック・ローズ。

 絶版になった東洋人の私小説。

 タンカー乗りがデッキでこっそり走りたいからって特別仕様のベスパ。

 小作品だが本物のモネの風景画。

 Blue fin Tunaの冷凍じゃない生の刺身。

 余命数ヶ月の北欧の老貴婦人が人生の終焉の場に選んだ世界一周中の豪華客船が出港する際のその旅のファンファーレとしてオーケストラすら調達したさ!当然マエストロ込みでな!

 曲がなんだったと思う?

 ベートーヴェンの『英雄』さ!

 俺はその貴婦人の選曲と粋さに惚れ込んだぜ。静かな沈み込む曲でなく、まさしく熱あふるる激情こもるその楽曲をな、同乗者たちだけでなくバースに集まってくる群集にも無料でふるまったわけさ!

 なにせ世界的なマエストロが指揮する世界最高峰のオーケストラだからな!


 だがこれが俺のいわゆる最高に記憶に残る仕事、ってわけじゃなかったんだ。

 俺がどうしても語らずにはいられない顧客はな、俺と同い年の、ギリシャ生まれの女性さ。


 孤独な、ヨット乗りの。


 彼女は豪華客船じゃなく、一人乗りの・・・そう、本当に立って半畳・寝て一畳のような究極の軽量マシンたるヨットに乗って、やはり世界一周のその行程のちょうど半分となるオーストラリアに寄港したのさ。


 ぼうっと見てると海岸線に見える白い点がバースに近づくにつれて段々とシンプルな流線形を見せてきてな、まるでそれは宇宙船のコックピットから本当に異星のひとが降りてくるようだったよ。


「チャンドラー、オーダーは、『命』よ」


 そう告げられて俺は頭を抱えちまったよ。


 半分の行程を終えた彼女は更なるスピードアップを欲していた。

 つまり、極力あちこちの港に寄港せずにストレートに海原を走り、最短距離で地球を突っ切る。

 そのために、食糧も高カロリー高密度、生活必需の品も軽量で一度積み込んだら数ヶ月以上補給を必要とせずに命を繋げる食糧や物品たち。

 つまり、命そのものを俺にオーダーしてきたんだ。


「まずはシャワーでも浴びなよ」


 そう言って髪の毛は塩で固まり、着ているツナギは異臭を放っている彼女を港の人間どもの顰蹙を買いながら事務所に連れて行ってな、シャワーを貸してやったんだかこれがまあ・・・


 女神さ!


 いやほんと、ギリシャ生まれってのは伊達じゃない。垢を落とし切って潤うような素肌を晒した彼女はほんとうにホンモノの女神のようさ!


 俺は朝作ってあった味噌汁を沸騰間際まで温めて彼女に飲ませてやって、ほうっ、と息をしたところでプランを話した。


「日本の乾物を、仕入れる」


 メインの惣菜そのものじゃなく、ベースとなる出汁をとるための乾物を日常食にしようというのだから、まっとうな女なら絶対に受け入れない。まっとうな女ならな。


 だけど彼女は普通じゃなかった。

 そもそもヨットで単独地球一周をやろうってんだからそれはそうさ!


「チャンドラー」

「タイローだ」

「わたしはマリナ。タイロー、でもこのコンブって固いよ?」

「ゆっくり噛んでれば柔らかくなって食べられるさ。それにそうすることで喉の渇きも癒せるだろう?」


 俺は早速準備に取り掛かった。なにせ彼女は3日間しか陸に居ないって言う。大急ぎで近辺で集められるだけの物資を買い集めて来てパッキングも彼女を手伝ってやった。

 なにせ貴重なそのものの物資だ。海水に浸るなんてことが万一にもあったら、彼女は大洋のど真ん中で死を迎えることになる。


 それでも足りないものは車を飛ばして数百キロの道を越えて仕入れてきた。


「ヘイ!ひとりのレディの命がかかってんだ。変なスペックのもの寄越したらただじゃおかねえぞ!」

「ああ。タイローにそんなもの流せるわけないじゃないか。アンタの目利きにゃオーストラリアじゅうが敬意を払ってんだから」


 違うだろ。

 だろ!?


 俺は渾身の努力をしたさ。

 ギリギリ彼女の出港に間に合った。

 それでな、出港の前日の夜のことさ。


「タイロー、ありがとう。ワインだけでもご馳走させて?」

「いいよ、俺が奢るよ。十分すぎるぐらいの報酬をもらったからね」

「いいえ。わたしのケジメよ」


 ケジメの意味が俺は分かってなかったと後で知るんだが、それでも彼女が俺と一緒に酒を酌み交わしてくれることにとても感激したのさ。


 その小さな、けれども港で一番賑やかなタバーンで、他の客たちに囃されながら俺とマリナは踊ったのさ。


「タイロー、この曲なに?」

「INXSの『This Time』さ」

「いい曲ね」


 ポップなメロディーに速いビートのロック・ナンバーで、俺たちはなぜかチーク・ダンスを踊った。

 最後の夜を惜しんで。


 タバーンを出た後俺とマリナがどうなったかは聞かないでくれ。

 俺は男でマリナは女だ、ってことさ。

 おっと、ボクトくんにはこの辺はまだ早かったな。今はその意味は分からなくてもいい。大人になってほんとに好きなひとができたら思い出してくれ。


 明けて翌朝、日がちょうど上りきるタイミングで彼女は出港した。


「地球を制覇したら戻ってきなよ」

「ええ。タイロー、じゃあね」

「ああ」


 So longの本当の意味はやっぱり俺には分かってなかったな。


 その日の内に彼女のヨットは沈んだのさ。


 ネイビーに追われてな。


「タイローさん、マリナさんのヨットはどうして沈んだの?」

「ボクトくん、ネイビーってわかるかい?」

「ごめんなさい。ボクの知らないことばだよ」

「じゃあ、海軍は?」

「兵隊さんのこと?」

「そう。海の軍隊だ。ネイビー、っていうんだ。マリナはネイビーの巡洋艦・・・軍の船に追いかけられた」

「どうして?」

「スパイだったのさ、彼女は」

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