夜の学園は知らないセカイ
「よう来られた」
庄屋親子を迎えたのは野良仕事の手拭いを頭に巻いたままのおばあさんでした。見た目はほんとうにごく普通の。
ただ、笑顔がホンモノでした。
庄屋親子がなにも言わないうちに、ボク、ここへおいで、と男の子を呼ばわって床の間の前の辺りに正座させて背中をさすり始めました。
「そうかそうか。今この婆が山の神さまとお話しますわいね」
「え。神さま?」
庄屋が目元を軽く引きつらせて、次には嘲笑うように言いました。。
「ははは。またなんという荒唐無稽なことを」
「それならしばらく黙っていなされ」
庄屋は急激に声を大きくしました。
「謝礼はするんだからちゃんとしてくださいよ!」
「要りませぬわ」
「え?」
「カネだろうが菓子折だろうが、炎がボウボウ燃えておるモノをもらったらこの家まで火事になりますわいね。さ。ぼうや。その太子さまに頭を下げなされ」
おお婆さまは庄屋にはもう直接話さずに男の子とだけやりとりしました。おお婆さまが太子さまと言ったのは、木彫りの小さな聖徳太子さまの生まれたばかりの像でした。かの有名な天と地を指し示された、けれども赤子のお姿です。
「山の神さまはあなたらが伐り倒した木のことでお困りですわいね」
「木?じゃあ、その祟りでウチの子を?なんたる心の狭い!」
「・・・あなたらの伐り倒した杉の木は山の神さまがお住まいで神通力を得るための大事な補給基地だったのじゃ。神さまはお力が出せずにクマの被害を出したりして心から苦悩しておられます」
「そ、そんなの、知らんわ!」
「ふうむ。親ふたりには話してもムダじゃな。ぼうや、この婆の言うことが分かるかいね?」
「は・・・はい・・・」
「賢い子じゃ。今から婆が山の神さまに『ご提案』しますからの」
そう言っておお婆さまは太子さまの像の前に頭を垂れました。
10秒も経たないうちに顔を上げて男の子に話かけました。
「この婆も微力ながら山の神さまにお力添えできる。婆の方で大地の英気と神通力を根っこから吸い込む別の杉の木を山にご用意しました。山の神さまはそれなら、と仰せになってその木にお移りくださいましたわ。ぼうや、よいか?」
「は、はい」
「これでぼうやの病気はもう治った。気が塞ぐこともない。ただ、親のしたこととはいえぼうやも神さまとそれに護られる動物や木々や里の人々にご迷惑をかけたことは間違いない。じゃからの、神さまの神通力を補給する手助けをしてほしいのじゃ」
「どうすればいいのですか?」
「毎月一度、山に登っての、新しいご神木を塩で清め、お酒をかけるのじゃ。そしてお餅をふたつ、重ねてお供えしてくだされ」
「・・・・・・・・・・はい」
「これは婆の頼みでもある。なにせ神さまに次善のお住まいにお移りいただくご不便をかけたのじゃ。やると約束しておくれ」
「・・・・・・・・はい」
「なんだ、住まいを奪われただけで人をこんな重病にするなんて」
「黙らぬか!」
おお婆さまは親である庄屋のあまりの言葉に初めて大きな声を出しなされたそうです。
「なら訊くぞ!そなたは自分が晩餐の最中に我が家が盗賊どもの手で蹂躙されてもそれでも忍耐できるのか!」
「そ、それとこれとは」
「同じじゃわ!しかも神さまは私憤ではない!山々を村々を護る神通力を補充せんがために泣く泣くこのような手段をとるしかなかったのじゃ!盗人猛々しいとはおのれらのことじゃっ!」
おお婆さまのお顔は一気に諸悪を懲らしめるお不動さまのお顔へと変わっておられました。
おお婆さまはそれから懇々とこの業深い親子に語りかけます。
「よいか。ものごとの原因はこの婆でさえもうかうかと暮らしておるとわからぬのじゃ。見えないから聞こえないから『知らぬ』ではないのじゃ。これ以上戯言を抜かしとるとそなたの口をもがんとならん。そなたの命を召し上げんとならん」
瞬時に庄屋の顔面が蒼白になりました。さすがに何事かを感じたのでしょう。誓いを立てました。
「む、息子に毎月餅と酒を供えさせます。約束いたします!」
さて庄屋の息子はすっかり回復して新たなご神木のある山の急斜面もなんなく登れ、お供えの勤めも立派に果たしいました。ところが・・・
「跡取り。師範学校へ上がってからはご神木への参拝が滞っておるようだが」
「ふう。おお爺さま。僕はねえ、学問をしてようやく世間の本当のことがわかったんですよ。あのお婆さんの言っていたことは単なる妄想です」
「な、なんだと!」
「ほら。現におお爺さまはこうして老衰で床に寝たきりではないですか。ほんとうに不思議な力のある人ならば不老不死にでもできるでしょう?」
「バ、馬鹿者が・・・」
「バカはおお爺さまたちですよ。なんにせよ、信じたい人はご神木でも祟りでもなんでも勝手に信じてればいいんですよ。僕は真理を探求する道を歩きます」
「し、信じるなどという曖昧な話ではない。おお婆さまも神さまのことも、全部事実・現実なのじゃ」
「ふう・・・知りませんよ」
・・・・・・・・・・
「あら?誰でしょうか、こんな時間に」
そこまでお話してくれた時に園長せんせいのスマホが鳴って本堂から出て行かれたんだ。ボクは園長せんせいのいつもどおりのお話の上手さと物語の内容にほんとうに興奮してしまって、思わずお茶をゴクゴクと一息に飲んじゃった。そしたら、なんだか気配がしてね。
「ぼうや」
「? だれ?」
「ワシだよ。ぼうや」
ボクは本堂のうっすらとした蝋燭の明かりの上に浮かんでいる背の高い大きな人が真正面に見えて、少しだけ驚いたけど、怖い感じの人じゃなかったから割と落ち着いてたよ。それよりも厚手の白と黒の剣道着みたいな着物がなんだかかっこよくてそればかり気になってたよ。
「ぼうやにはワシが見えるだろう。ぼうやは目の曇りが少ないからな」
「あなたは、どなたですか?」
「ははっ。さっきの話に出てきた山の神さ」
「え!ほんとうですか!?」
「ああ。嘘など言わん。それよりも話の続きが気にならんか?」
「は、はい!すっごく気になってこのままじゃ眠れません」
「ほほほ。よろしい。ワシが直々にぼうやの目に直接見せて耳に聞かせてあげよう。ぼうや。高いところは平気かの?」
「うーん。ちょっとだけ怖いです」
「そうか。ならばゆっくりと跳ぼう」
山の神さまはボクを抱き上げて背中にかついでいる登山用のリュック乗せみたいなところに座らせたんだ。
「では、跳ぶぞ」
そう言って、片足を蹴上げて反対の足で思い切り本堂の中空を踏み込んでね。
「わあ!」
跳んだよ。お寺のお庭のお池に映るお月さまの真上をね!
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