間章Ⅲ「極致への第一歩(1/2)」

 アルトの訪問から2日後、コンスタンティン・シープラニカは緊張の只中にあった。

 彼とて貴族、それも魔術師の世界では重鎮の家系ともなれば、王統政府の関係者と会ったことはある。時には王族とさえも。

 相応の家系に生まれたことへの自負があるし、立場に必要な礼儀作法を身に着けてもいる。


「失礼。東南東の書棚の目録を見せていただきたいのですが」


「……あぁ! コンスタンティン・シープラニカさんですね? ペイラー卿からお話は伺っています。こちらへ」


 その上で―――宮廷魔術師、"黒銀卿"アルト・ディエゴ=ペイラーと一対一で向き合うというのは、尚も恐縮させられる事態だった。

 たとえそれが、使い魔サーバントを介したほとんど一方的なやり取りであったとしても。


「シープラニカさんには禁書庫の第4区画への立ち入りが許可されています。他の区画には近づかないようご注意を。中ではペイラー卿の使い魔が待機していますので、彼の案内に従ってください。それから、こちらの鍵をお渡ししておきます。お帰りの際は施錠と返却をお願いしますね」


「わかりました。ありがとうございます」


 司書の女性にバックヤードへ通され、そこから地下に続く階段を降って、しばらく。

 王立学園の地下には、失われた古代の超級魔術によりある種の異界、性質的には迷宮ダンジョンと近い現世ならざる空間が"折り込まれて"いる。

 この『禁書庫』もまたそのような空間の一角であり、平時は立ち入り不可能な場所だ。


「第4……第4区画―――」


〈こちらだ、新しき友よ〉


 図書館のバックヤードのさらに裏側、鉄格子で隔離された区画の手前で声がした。

 使い魔と言えどアルト=ペイラー黒銀卿の遣わした相手、コニーは厳粛な表情を纏ってから近づく。


「あなたがペイラー卿の? はじめまして、自分は―――」


〈いや、いや、いいとも。既に我が主から事情は聞いているよ。コンスタンティン・シープラニカ〉


 片手を上げてコニーを制したのは、深紅の燕尾服に身を包む紳士―――ただし、その頭部には骨も皮も肉も無く、青紫色の炎が燃え盛っている。

 この距離だが炎の熱さは感じられない。霊的な、不定形の魔法炎の中に4つの黒点が穿たれ、それぞれ目と鼻と口の役割を果たしているように見えた。


〈我が魔名は『サンドリヨンのランタンジャック・オー・シンデレラ』という。生前は名無しの魔裸人馬ナックラヴィだったのだがね。まぁ、君も気軽にジャックと呼んでくれたまえ〉


「ナックラヴィ?」


 ジャックから感じられる魔力は精霊の亜種、あるいは妖精の幼体である鬼火ウィスプに近い。

 しかしコニーが知る限り、ウィスプという魔物に人語を解し操るほどの知性は発現しないはずだ。そして目の前のは、実際にはより奇妙な存在であるという。


〈そう。"角狩り"アルトによる西海岸のナックラヴィ退治、その唯一の生き残りが僕だ。いや、生き残ったとも言い難いがね? 一度殺されたかと思えば半身たる霊馬れいばと引き裂かれ、今や彼を主として仕える身さ〉


「そんなことが……」


〈フフフ―――おっと、これ以上深掘りすると主への愚痴ばかりになってしまうな。書庫への鍵を預かろう、案内するよ〉


 コニーは頷き、紫炎の怪紳士に鍵を渡した。黒革の手袋をしていたが、袖との隙間からわずかに覗いた肌には、しかし皮膚が無いように見えた。白い筋肉が剥き出しになった姿は確かに魔裸人馬ナックラヴィの特徴である。

 ふる練光灯れんこうとうが最低限の数だけ設置された、仄暗い通路を降っていく。




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 魔法とは、術者の生命力魔力を用いて何らかの現象を起こす技能の総称である。

 その起源や本質は判然としないが、一説には意志ある存在の持つ『未来を選ぶ力』が具象化したものとされている。


 そして、これらは『思うままの世界を創造していく』という点において、"神"の力とたとえられることもあり―――ならば逆に、『の純粋な世界』という状態も存在することになる。


 属性魔術を司るとされる『精霊エレメンタル』は、そうした"世界に元から存在する要素"を魔導的に分類、解釈したものだ。

 精霊は流れる水であり、吹き抜ける風であり、燃え盛る火であり、ただそこに在る土であり、常に形を変えながら循環する世界の構造そのもの。

 属性魔術とは、つまるところこれに己の魔力を加えて、一時的に形態を変化させるわざなのである。


 魔法の知識を持たぬ人々には勘違いされがちだが、性質の近しい妖精種とは異なり、精霊には確固としたや人格があるわけではない。

『精霊』という呼び名も、動植物に魔力を与えて『眷属』を生み出すという事実も、あくまで慣用句的な表現に過ぎない。魔法の本質について多少なりとも理解が進む以前の、古い時代の言葉をそのまま引用しているに過ぎないからだ。

 よって"精霊に働きかける"とは言っても、実際に属性魔術を使のは術者当人である、というのが現代魔法界の常識だ。


 無論、突き詰めて考えればまた話は変わってくる―――『精霊の声を聞いた』というような民間伝承は数多く、それに対して説明がつけられる仮説もまた多い。

 例えば、妖精種は精霊と近い性質を持つが、より物質的で強固な肉体と自我を有しており、彼らを精霊と誤認したという説。

 または、精霊が生じる強大な魔力の影響で精神が混濁し、己ではない他者の思念を受信テレパスしてしまったという説。

 あるいは、精霊にも意志があったが、何らかの理由で失われてしまったという説。


 何にせよ、精霊については魔導学の先進国家たるアンファール王国においても謎が多く―――――。

 そして、シープラニカ家が相伝する魔術の秘奥は、そんな精霊と深い関わりを持っている。




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 幼い頃、一度だけ精霊の声を聞いたことがある。


 シープラニカに嫁いだ母の出身は豪商として名高いラザフォード家の傍系・ヤートラーズで、大陸南部のフリエド市を所領としていた。南部自由経済都市群に程近い高原地帯に位置し、農業と畜産で栄える牧歌的な雰囲気の地方都市だ。

 魔術師ギルドの仕事で忙しい両親に代わり、母方の祖父母――と執事のディンハイム――にはよく面倒を見てもらった。


 祖父は古風で純粋なの人で、いま考えるととても魔術師の家に僕の母を嫁がせそうな性格ではなかった……というか実際、惚れて婿入りした弱みのため、祖母には頭が上がらなかったらしい。

 なお両親の名誉のために言っておくと、縁談のきっかけはシープラニカが南部自由経済都市群との繋がりコネクションを欲した故だが、父と母の仲そのものは良好である。


 ―――繰り返すが、祖父は古風で純粋な騎士道的貴族観の人だった。

 齢60を超えてからも剣の稽古を日課とし、平民に混じって畑を耕し、狼や魔物から家畜を守り、詩を吟じては愛を謳い、酒宴の席では過去の武勇伝を高らかに語った。

 そして毎週、人の日第7曜日には必ず町の教会に赴き、神々と精霊に祈りを捧げていた。


 当時の僕は子供らしく、他人の信仰や信念というものに無頓着だったので、そんな祖父の態度には大いに懐疑的だった。


「おじい様。ぼくが読んだ魔術書には、精霊には心がないと書かれていました。人間の魔法に反応してふるまうだけの、意識を持たないものだと。このお祈りには、なにか意味があるのですか?」


 祖父は一瞬目を丸くし、何か大声を出そうと息を吸い込んでから止まり、ゆっくりと吐き出した。

 それからしばらく唸った後、困ったように苦笑しながら答える。


「言われてみれば、そうじゃのう。神々と精霊に人のような心があるのなら、もちっとばかり助けてくれてもよかったろうと思うことばかりじゃ」


「だったら」


「しかし、それでよいのかも知れぬ。祈れば必ず叶うと言えば聞こえは良いが、それじゃあ儂らはという気になりゃせんか?」


「……何の、ため?」


「うむ。困り事が勝手に全部解決してしもうたら、なーんもせんでようなる。息を吸って吐いて、飯を食って、剣を振って、畑を耕して、牛の乳搾ってだの全部じゃ。それら何にもせんようになったら、儂らは"生きてる"と言えるんかいの?」


 ―――だから、奇跡など程々でええんじゃ。

 本当にどうしようもなくなった時、絶対に必要な分だけで。


「それにほら、天に在りし神々も、地に満ちる精霊も、働き詰めじゃあ疲れるじゃろ。いざって時にしっかり働いてもらえるよう、何にも無い時にしっかり機嫌を取っとかんとな!」


 そう締めくくって、祖父はぐわはははと豪快に笑った。




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 ギースロー、フロイライン、ライゼンブルク、ペイラーなどと並び称される魔法貴族の大家―――シープラニカ家に伝わる一族相伝の奥義を、『精霊魔術エレメンタル・マジック』という。

 精霊を刺激して現象を起こすという原理は通常の属性魔術と同じだが、扱う術式の威力や規模は並みのそれとは一線を画す。

 何故なら、精霊魔術は各属性の精霊を『仮想的な使い魔サーバント』として扱い、術者の体内魔力オドと周囲の空間魔力マナを併用―――実質、ほぼ無尽蔵の魔力を行使できるからだ。


 使い魔や魔導具アーティファクトを"外付けの強化装置"として運用する戦術は一定の人気があり、研究も盛んに行われている。

 ダンジョンから出土した迷宮遺物を利用する冒険者、自身の魔力と同調させた魔物を使役する魔獣使いテイマーあるいは召喚術師サモナーの存在などはその最たるものである。

 特に精霊魔術によって操作される精霊は、道具らしいと動物めいた疑似知性を併せ持ち、まさにそういった戦術の極致とも呼べるだろう。


 シープラニカの血を引く者は属性魔法への適性に優れ、やがて長じ、精霊を自らの友とする。

 彼らはみな"精霊の声"を――たとえの存在を否定されていても――聞いて育ち、魔導の研鑽を経て、その力を引き出す術を身に着ける。


 かの魔法貴族の長い歴史の中で、コンスタンティン・シープラニカだけがそうではない。

 血が薄まった在野の親類縁者であれば、宗家秘奥の術式に対する適性を持たないことは珍しくない。しかし、コニーは間違いなく現当主・カイゼルの正嫡であり、故の正当性は教会が施す聖別と祝福の儀が証明している。

 つまりは、完全に生まれ持った呪縛と呼べる障害だった。


 一族相伝の術式を継げなかったからと言って、コニーが魔法貴族の嫡子であることは変わらず、通常の魔術に対する適性までもが劣っていたわけではない。

 基礎魔術科ロゴス転成魔術科スペルマタに進学していれば、歴代のシープラニカ家当主に並ぶ実力者として大成できただろう。


 ただ、それでも―――彼は結局、応用魔術科ミュトスの扉を叩いた。

 選択と淘汰の果てに廃れ、失われた古い魔法の知識。そこに己の求める"精霊の声"が眠っていると信じて。




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 飛蝗という現象がある。

 いわゆるバッタの大量発生と、それに伴う大規模な植物、農産物への食害―――蝗害のことで、自然界にはまま見られる現象だ。


 それに近い現象が、魔物によって引き起こされることがある。

 魔物は強大な存在だが、自然界において無敵ではない。魔力によって変異した肉体を維持するには大量の生命力が必要であり、飢えによる衰弱、餓死のリスクがむしろ尋常の動植物より高いからだ。

 しかし、獲物の確保に困らない肥沃な土地に魔物が住み着き、繁殖を重ねた場合―――それは『魔獣群生災害スタンピード』へと発展し、周辺地域を席巻する恐ろしい災厄と化す。




 その年は日照量も降雨量も上々で、とにかく豊作の年だった。

 畑の土は肥え、木々には大量の果実がり、町外れの雑木林すら青々として―――蝗のように、魔物が湧いた。


「伝令! 伝令! 第1防衛線、突破されました!」


「市外南西より地竜ベヒモス出現の報告あり! 第3、第8小隊が応戦中!」


「グラストニア連盟より返答! インマンメル傭兵団の到着まで……約1時間47分!」


 フリエド市内中心、町役場兼ヤートラーズ家屋敷兼フリエド市自警騎士団司令本部。

 恐らくはこの瞬間、フリエド市周辺では最も安全な場所に僕は居た。ディンハイムには念のため地下室に避難するよう言われていたけれど、とてもじゃないがそうする気にはなれなかった。


「……おじい様、おばあ様。ぼくにも、出来ることはありませんか―――」


「無い。……じゃが、強いて言うなら、そこで堂々と構えておいてくれ。我らが守るべきとして」


 あの偏屈で能天気な祖父と、穏やかで気の良い祖母が、まるで別人のように険しい顔で防衛の指揮を執っていたから。


カシラ……いえ、爺様。カイゼルの旦那の仲介で王都の近衛と話がつきました、飛竜騎兵ドラグーン部隊を1個貸してくれるそうです」


「なんと、音に聞く近衛の飛竜乗りか! であれば間違いなく精鋭、ありがたい限りだが……」


飛竜ワイバーンの速度でも、このままの勢いでは敵の侵攻の方が早い」


 祖父と祖母、都市自警団の団長が額を突き合わせて話す。状況は刻一刻と変化し続けている。

 伝令が何度も行き来し、司令部――つまりはこの屋敷――の外庭に構築された野戦病院に何人もの兵士が運ばれ、長い長い時間が経った……実際には1時間も経っていなかったが。


「―――――儂が出る」


 そして、その一瞬だけ、あれほど慌ただしかった司令部が静まり返った。

 誰もが耳を疑った。と同時に、思えば最初から甲冑姿であった祖父を見て、誰もが納得した。


「本気ですか、頭ァ!?」


「老いたりとはいえこのドーガ・ゲルタリネン=ヤートラーズ、"烈風剣"の異名に恥じること無し!! 南西の敵は儂が引き受けよう―――真竜ドラゴンであればまだしもベヒモス、それも単身。何を恐れる必要がある!」


「大アリに決まっとろうが!!」


「あいだぁ!?」


 祖母の拳骨が祖父の脳天に炸裂した。鎧兜越しだったはずだが何故か祖母の手は無傷で、祖父は大変痛そうだ。


「腕も上がらん腰も立たんジジイ、それも陣営の司令官が、スタンピードの中へ1人突っ込んでベヒモスを討つだって!? ボケた寝言抜かすのも大概にしな!」


 ちなみに祖母が穏やかで気の良い人なのは、祖父以外に対してである。


「なめるな、腕はなまっとらんわ! それに現場指揮ならこのアンジャフ自警団団長るじゃろ!」


「ここで全体を見る奴が居なくなるって言ってんだよ!」


「お前が居る! 何かわからんことがあったらディンハイム殿に聞け! ぶっちゃけ儂より戦場いくさばのあれこれ詳しいぞ」


「だからそんな話じゃ―――」


「あの」


 ……今でも、よく覚えている。

 あまりに自分らしくない物言いだった、と思う。

 それはたぶん、祖父が古風で純粋な騎士道的貴族観の人だったからで。


「……おばあ様。行かせてあげてください」


 幼い頃の僕にはきっと、そういうを信じる心があったから。


「『民を守り、民を愛し』」


「―――、……『民に守られ、民に愛される。それが真の騎士だ』」


「はい。……あなたを愛する民を―――かわいい孫を置いて死んだら、許しません」


 祖父は、ぐわはははと笑った。




────────────────────────────




 ―――――駆ける。

 市内を、郊外を、林を、荒野を駆ける。


 行く手には数多の妖物魔物、繰るは手綱、携えるは銀の剣。

 斬り捨て、進み、斬り捨て、進み、斬り捨て、進む。


 しばしそうしていたところで、馬の足が止まった。


「……大儀であった。下がってよい」


 魔狼も大鬼オーガも恐れぬ精鋭の軍馬をして、畏れる他無いものがそこには居る。

 大の男を10人並べてようやく比肩し得る小山の如き巨躯、鋭利なる爪牙、鎧めいた鋲付きの甲殻、陽光に鈍く輝く竜鱗―――成体の地竜ベヒモス


〈Grrrrrrrrr……〉


 その唸り声は地鳴りにも似て、殺意に満ちた眼光が此方をめつける。

 いざ対峙してみれば想像以上の――過去にただ一度、光栄にも先王デモフィン陛下と轡を並べて戦った折の記憶以上の――凄まじき威容。


「待たせたな。貴様の相手はこの私だ」


 足腰は衰え、肺腑も弱り、往年の精気は万分の一も発揮できまい。

 さりとてこのドーガ・ゲルタリネン=ヤートラーズ、かつて賜った"烈風剣"の異名に恥じること無し。

 何よりも―――我が背には、命を賭してでも守るべき民らの姿が在る。


 荒ぶる地竜、何するものぞ。


「―――――遍く軍神、世の英霊に願い奉る」


〈G、R、G、Rrrrrrrrrrr〉


「我が腕に剛力を! 我が剣に光輝を! 然らばこの一刀を以て、迫りし悪竜打ち払わん!」


〈……Grrrraaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!〉


「刮目せよ!! これぞ、我が"烈風剣"でああァァァるッ!!」


 おぉ、我が子らとアンファール王国の未来に栄光あれ!!

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