第26話/間章Ⅰ「潜む闇」

〈メロウ〜〜〜〜〜!! 無事でよかったあぁぁ〜〜〜〜〜〜〜!!〉


「わ……。ふふ」


 涙をちょちょぎれさせながら、メロウちゃんの胸に飛び込むオードリーさん。

 なお死霊ファントムは物理的な実体を持たないため普通にすり抜けていた。


〈それに……あなたたちも。杖を見つけるだけじゃなく、ホルィースを守ってくれて───本当にありがとう〉


「ぁ……う、ん。……はい。ワタシからも、お礼を言わせてください。ありがとうございました」


「あはは、いいってことよ。お役に立てて何よりですっ」


 家宝である『サンザシの杖』を取り戻したメロウちゃんは、普段よりずっと背が高く見えた。

 口調もどことなく角が取れたというか、肩の力が抜けたものになっている。


「ほんとほんと、むしろ良い経験でした! なぁ、騎士や冒険者でもない学生が飛竜ワイバーンをブッ飛ばしたなんて、学園中に自慢できるぜ!」


「ワイバーンじゃないし、そもそも僕らだけの力で倒したわけでもないがな。どう報告したものか……。学園もディンハイムも、過保護とは言わんが口うるさそうだ」


「あぁ。そのことなんだけど、この話は僕に持ち帰らせてくれないか? 適切な伝手がありそうなんだ。みんなには累が及ばないように取り計らっておくよ」


 ん? おぉ、さすがはジョシュア先輩だ。アフターフォローもバッチリということか。コニー君に信頼されてるだけあるね。

 しかし、あのデカブツを私たちだけで撃退したのかぁ。なんか現実感無いな〜。


「……何だったんでしょう、あの魔物」


「雰囲気だけなら、前に見たアルト先生の召喚獣に似てたよ。確か怪異スナークっていう」


 どうしてノエルがアルト先生の召喚獣を見たことがあるの?

 私は努めて疑問を飲み込んだ。


「ペイラー卿の? いや……しかし、スナークがラビメクトの外で確認された記録は無い。ペイラー卿が調伏した個体などは例外中の例外だ。素直にワイバーンの突然変異体と見るのが賢明だと思うが……」


「ママはああいう魔物、見たことある?」


〈いいえ、無いわ。そもそも竜はこの地方に居ないし、渡りの時期に迷い込んだとしても、ホルィースに近づこうとはしないんじゃないかしら。私も詳しいわけじゃないけれど、竜は賢い魔物だって聞くわよね〉


 むむ……。結局、何もわからんってことか。

 メロウちゃんのスゴい必殺技が直撃して、死体も残らなかったもんな。


「まぁ、その辺りは専門家の調査を待とうじゃないか。何かわかったらまた僕から伝えるよ」


「ん。……そですね。まずは、全員無事だったことを喜ばなくっちゃ!」


「おう! じゃあ宿場に戻ったら打ち上げだな! 肉食おうぜ肉〜!」


「予算が底を突いていることを忘れていないか? 一晩身体を休めたら、大人しく王都に帰るぞ」


〈あら、そういうことなら一族秘伝のヘソクリがあるわよ! 150年前のお貴族様が葬られたお墓がね……〉


「ママ。そういうのいいから」




 ─────かくして、ホルィースでの課外活動は一件落着と相成った。

 そしてこれが、アンファール王国を揺るがす大事件の前兆であったことを、私たちはまだ知らない。




――――――――――――――――――――――――――――――




〈ペイラー卿。急ぎ、お耳に入れたいことがございます〉


「ガイウスか。そろそろオリエが何かやらかしたか?」


〈いえ、責任持ってお預かりしております。私の目と手が届く範囲で左様な狼藉は……いえ、いえ、そうではなく。甥から少し、妙な話を聞きましてな〉


「ジョシュアから? ったく、またかよあのクソガキ……。学生の内は首突っ込むなって何度言やわかるんだ。しかもなまじ使のが始末に負えねェ」


〈おっしゃる通りで。しかし此度は朗報やも知れませんぞ。どうも、知人の頼み事を受けて向かった土地で、未知の魔物と交戦したらしく───〉




――――――――――――――――――――――――――――――




 広い広い王国の、誰も知らぬどこか─────。


 とある城塞都市の片隅、煉瓦レンガ造りの橋の下。下水へと繋がる水路の傍を、一人の男が歩いていた。

 剣の如き眼差しの屈強な大男、ガンド・ラダスベノグ。


「……ぬぅ」


 しかし、その鋭い視線は今や、いくらか迫力を欠いていた。

 と断ち割られた右目を中心に、顔面の半分がひどく焼け爛れているからだ。


「王都の学生が……何故、あのような場所に」


 先刻の戦い。敵が年端も行かぬ子供ばかりであったことから、思わず動揺してしまったのは否めない。

 ただ、それだけであれば行動に支障は無かったはずだ。バゼドー監獄にて得た力とガンド自身が持つ歴戦の経験、この両輪があって学生程度に後れを取るなど有り得ない。


「───、……。……来ているな」


 ざぶり。

 ざぶり。


 濁った水面に波が立つ。水路の流れとは明らかに異なる音。

 負傷と腹の底からせり上がる不快感を押し殺して、ガンドはまた独り口を開いた。


「話が違うぞ、ベルトーチカ」


 そして、闇から。虚空から。

 暗い水底から、声が返る。


〈そう。しくじったのね〉


 まるでいたいけな童女のような───否、人が夜に見る悪夢そのものであるかのような、甘く熱っぽく冷たい声が響く。

 月の光すら届かぬ都市まちの陰で、魔なる者たちが静かに蠢く。


「墓守の一族にが居たとは聞いていない。それに、あの学生たちは何だ? 私の記憶が正しければ、彼らは」


〈謝罪してもいいけれど、上っ面だけの言葉なんて聞きたくないでしょう? 私の占術ディヴィネーションも完璧じゃないわ、魔導師ペイラーの目を掻い潜りながらでは特に。それに……無辜の市民を巻き込んだからと言って、あなたが手心を加えさえしなければ、容易く制圧できたのではなくて?〉


「……、フン」


 納得しがたいが、事実ではあった。ガンドは胸中の憤懣ふんまんを堪え、生意気で極めて有能な取引相手の台詞に耳を傾ける。


〈とはいえ。私が指示した日時に、ホルィースを訪れる人間が居たというのは、確かに上手く出来過ぎている〉


「やはり黒銀卿の介入が? しかし、少なからず古い伝手を頼ったが、いずれも口が堅く知恵の回る者たちだ。そも、あの男が未熟な学生などを手駒に使うとは思えん」


〈因果の網に乱れがあったことは間違いないわね。ペイラーと賢人会の他に、こちらの占術を妨害するが起きたと見るのが自然〉


 しばし沈黙が降りる。騎士団時代の経験から相応の知識は持ち合わせているものの、元よりガンドは魔法に明るい方ではない。

 ましてや『占術』は本職の魔法使いにとっても謎の多い分野であり、それを非常に高いレベルで使いこなしている彼女に対して、ガンドから言えることは無かった。


〈―――英雄に必要な資質って、何だと思う?〉


「……皮肉か?」


〈いいえ。真面目な話よ〉


『英雄』。この広大無辺の天地においてそう呼ばれる者。

 南方ラバルカン大陸はオーラシオン連邦に覇を唱える"人類最強の男"、ガレオルニス・ボルフェガントの勇名は世界中に轟いている。

 あるいは東方シエトラム大陸を治める統一国家・ヒノト皇国には、"天帝を継ぐ者"ノブイチ・トヨカワ豊河喜一が君臨する。

 世界中の迷宮ダンジョンを踏破したと謳われる神出鬼没の"冒険王"、エクター・ハザールヴ・フロシネスの動向は、常に大衆の注目の的だ。

"銀嶺夜叉"チャドナプザル・ライナプザルは、世界初の『国家公認人狼』にして獣人セリアンの守護者として知られている。

 アンファール王国の民であれば、一度はガンド・ラダスベノグによって失墜せしセントマルクス騎士団近衛騎士団の名誉を回復に導いた"閃光の騎士"、ローウェンドリン・ダンクリフ・ラザフォードの名を聞かぬ日は無い。


「第一に……力、であろうな。歴史とは勝者によって描かれる絵巻図だ。何事も、勝ち取らねば与えられん」


〈半分正解。でも、英雄が力を持つのは結果論であって本質じゃない〉


 声は語る。魔なる者は語る。

 古今東西、歴史の転換点にて現れてきた英雄たちに、共通する資質について。


英雄ヒーローの条件とは―――。一口に『運』、と言ってしまってもいいかも知れないわね。それが幸運であるか、悪運であるかは場合によるけれど〉


「あの学生たちの中に、いつか英雄となる者が含まれていると?」


〈あくまでペイラーが噛んでいない可能性を考えるなら、ね。ふふふっ、いよいよって感じじゃない。まさか本当に英雄なんてものが……いえ〉


 建国の英雄、初代アンファール国王・アルティリアス。

 彼は蒼銀に光り輝く伝説の剣を振るい、数多の敵を打ち倒し、長き混沌の最中にあった中央アンファリス大陸を平定した。


〈―――この国では、『勇者』と呼ぶのだったかしら?〉


 その最も高名なる二つ名を、『蒼き聖剣の勇者』という。




――――――――――――――――――――――――――――――




 ―――アンファリス大陸東方、オルフェナウス市に程近い『竜の谷』。


 空間あたりの外界魔力マナこそ濃いが、その性質がのどちらにも傾いていない非常に希少な土地だ。

 宣統暦以前の古代、人間や『魔族』と呼ばれる者らとの戦いを経て大きく数を減らした真竜ドラゴン種が、最後に辿り着いた理想郷。

 彼らが有する強大で純粋な魔力―――生命力が土地を潤し、独自の生態系が築かれたその渓谷には、魔物が棲む迷宮ダンジョンでも人間が住まう聖域カテドラルでもない不可思議な世界が広がっている。


 そんな、あえて訪れる者も無き辺境の地に、"赤竜の娘"ことリンゼ=ペイラーの住処はある。

 日当たりが良く草木に覆われた崖に建つ、小さな木造の小屋。これが彼女の所有する縄張りだ。


「ふぃ~。大漁大漁っと!」


 谷底の川から獲ってきた魚の束を担ぎ、半竜半人の少女は満足そうに笑った。

 よく晴れた空の上では、二翼四足の真竜ドラゴンたちが悠然と飛び交っている。狩りや縄張り争いにおいては何にもまして勇猛に戦う彼らだが、普段はこのように風と戯れていることが多い。


「やってんな。アタシも昼食ったら飛ぼうかな?」


 歳を重ね、筋力ではなく時間を持て余すようになったドラゴンは、どこからか知識を得て魔法を学び始めるという。

 しかし、今のところリンゼにその予定は――アルト=ペイラーとの交流を除いて――無かった。年頃を考えればもうしばらく無いだろう。彼女はまだ若い、人としても竜としても。


「はぁ~ッ……。なんか平和だなぁ」


 川魚を天日干しにする仕込みを終え、リンゼは草原にごろりと寝転がった。

 温かい陽光に柔らかな微風そよかぜ。鼻先をくすぐる秋の花の香り。これで眠たくなるなという方が難しい。


「むにゃむにゃ。……、―――。…………ん」




 ―――――A―――A―――AA―――。




 ふと、遠くから咆哮こえが聞こえた。あまり野太くない、比較的若い竜の声。

 知らない声だった。伝説の赤竜の娘だからといって、リンゼはドラゴンたちの群れの長ボスの座に収まっているわけではないものの、お互いに一定の敬意を払って接してはいる。

 そのリンゼが把握していない若い竜ということは、最近になって生まれた幼子のはず―――しかし、もうすぐ卵がかえりそうだというつがいの噂は聞こえて来ていない。


「ふぁ……?」


 わずかな違和感によって、沈みかけていた意識が浮上する。

 ちらりと薄目を開け、太陽の眩しさに呻き、のっそりと上半身を起こして。


〈―――――■■■■■■■■〉


「へ?」


 次の瞬間、猛烈な突風と衝撃波を伴い、一頭の真竜がリンゼの眼前に着地した。

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