第24話「遭遇する怪異」

 というわけで急遽、タナップ家裏手の谷の底へと冒険する運びになった。

 兵は神速を貴ぶ。さっそく出発―――の、前に。


「……話しておくべきだろうな。『タナップ家の長杖ロッド』が如何なる代物かは不明だが、それが本当に魔法貴族の秘宝に相当する魔導具アーティファクトであるのなら」


、ということだ。タナップ嬢」


「―――!」


 コニー君の言葉を継いだかと思うと、普段の鷹揚な笑みを引っ込め、いつになく真剣な表情になるジョシュア先輩。

 怒っているという風ではもちろんないけれど、メロウちゃんにとってはいくぶん威圧的な表情に見えているに違いない。


「ホルィースは君の故郷であり、先祖代々受け継いできた土地だ。ダンジョンであることは関係ない。僕たちは、文字通りに故郷が失われるなどという規格外の悲劇を知らない」


「あ……ぁ、ぅ……」


「だから―――君がこの地の消滅を惜しみ、いつか再び母君と暮らしたいと望むなら、僕らは杖の回収を取り止めよう。家宝の杖は手元に戻らないが、それでも、ホルィースの存続は約束される」


「…………、……」


 とても大事な相談だ。何日悩んでも答えは出ないかも知れない。あるいは、答えなど最初から出すべきでない種類の問題なのかも知れない……けれど。


 メロウちゃんは、一度だけオードリーさんの方を見た。

 母なる魔霊レイスは、穏やかに微笑んでいる。寂しそうに、誇らしそうに―――その半透明の顔に、言葉だけでは表現し尽くせないほどの感情を湛えて。

 葛藤はきっとあったのだろう。けれど親子にとって、そして墓守の一族にとっては、たったそれだけで充分だった。


「……大丈夫、です」


 前髪に隠れた深い紫紺の瞳は、確かに私たちを眼差している。


「死者を正しく導き、安らかな眠りと巡りの息吹を約束するのがワタシたちの使命。彼らはこれ以上、現世に留まることを望んではいません。ホルィースは消えるのではなく、ただ自然の姿に還るのみ。だから……すべての魂に、あるべき葬送を」




――――――――――――――――――――――――――――――




 件の杖は裏手の谷にヒョイっと捨てられたそうだが、オードリーさんがせめてもの役にと引っ張り出してきた古い地図によれば、どうやら谷底まで通じる山道や洞窟があるらしい。谷底にはホルィースが迷宮ダンジョン、そして深層異界アビスと化して現世から切り離される以前、今はもう失伝した魔術だか秘教だかの、古い祭壇があるとか無いとか。


「死の抱擁、生命の種子。忘るる勿れ、懼れる勿れ―――」


 不死アンデッド系の魔物には、大きく分けて2種類いる。実体を持たない死霊ファントムと、肉体を持つ躯魔レヴァナントだ。

 死霊魔術ネクロマンシーにも流派みたいなものがあって、メロウちゃんたち墓守の一族に伝わるものは『霊魂の整調と修祓しゅばつ』に特化している。だから、であるファントムに対してほぼ一方的に有利だけど、逆に肉体――腐っていようが欠けていようが、魂が定着している限り肉の身体というものは――を備えたレヴァナントには効果が薄い。要はアンデッドの軍団を作って使役したりするタイプではないということだ。


「はっ!!」


〈ギャアッ!! ギシィッ、シィィ……〉


 とはいえ、肉体と魂の繋がりを乱して動きを止めるくらいなら出来るらしい。

 隙が出来た野犬型屍鬼ゾンビへ、カナタ君の鉄剣が一閃。相手は生命力(ゾンビだけど)の限界に至り、黒い煙と塵を残して消滅した。

 たとえ閉じる寸前でも、あくまでダンジョンである以上、ホルィースにも魔物は出現する。迷い込んだ野獣が変異したゾンビ、骨魔スケルトンが大半で、たまに外からやって来た蛇系や虫系の魔物が住み着く。

 メロウちゃんたちとしては、侵入した動物は死んでレヴァナントになる前に追い出したいところだけど、土地が広いので限界があるようだ。幸い、人間に比べると動物の魂は浄化しやすく、ダンジョン発生の原因になる魔力――俗に『瘴気』とも呼ばれる――を出しにくいそうな。


「案外楽勝だね。こりゃ後衛わたしたちの出番無いな」


「そ、そう……? わたしは……ちょっと怖い、かも。その、レヴァナントってどれも見た目が……」


「いやぁ、殴ったら普通に死ぬし、正しい手順で倒さないと無限に復活してくるとかじゃないし? そんなに怖がる必要無いかなって。暗い所から急に襲ってきたりしたらわかんないけど~」


「相変わらず大物だなぁ、セテラは」


「そう言うカナタも、なかなかの胆力だ。魔物と直接相対するのは初めてだろう? 良く動けていると思うよ。日々の鍛練の賜物だな」


「え、マジっすか? やったー! いやいや、これも先輩のご指導のおかげっす!」


「調子づくのは良いが、周辺警戒は怠るな。ダンジョン化以前の地図があるとはいえ、ここは前人未到の危険域だ」


 うひゃあ、怖いこと言わないでよコニー君……などと、口には出さない。まったくもって正論だと思います、はい。


「す……すみま、すみません……。生きてる人が入ってきたら……ワタシたちが、追い返してた、ばっかりに……。ち……ちょっとくらい、調べてもらった方が、良かった……ですよね」


「あー、いやいや。メロウちゃんは、それが仕事だったんでしょ? 謝ること無いよ、うん」


「ほんとすみません……。元はと言えば、ママが……母があんなことをしなければ、皆さんに迷惑は……、―――?」


 ふと、メロウちゃんの声が途切れた。何事かと思って見てみると、遠くを振り返ってはきょろきょろと周囲を見渡している。


「どうしたの?」


「……、い……いえ。妙な気配が、あったような気がした……んです、けど。たぶん、また動物とか……です」


 おー、大変だなぁ。オードリーさんがちゃんと捕まえて、外に帰してくれているといいが。

 歩みは止めない。魔導ランプで行き先を照らしながら、私たちはホルィースの谷底を目指す。




――――――――――――――――――――――――――――――




 アンファール王国は流動と寛容、つまるところ日々の変化を国是とする。

 伝統は破壊されて初めて伝統と認められ、その善悪は歴史の審判によってのみ定められる。

 王の代替わりに伴って王宮の内装が一変することも珍しくない。装飾過多から質実剛健へ、先進主義から懐古主義へ、そのまた逆も、あるいは中庸に落ち着くのも然り。


 そして、この部屋はそのような伝統の例外だった。

 パルミオネスト大王宮、宮廷魔術師および王室特務査問会執務室。

 そもそも王室特務査問会とは、王国の長い歴史の中、一度は廃れた助言機関『賢人会』を現代的に再生させたことが始まりだ。

 民族性の域で"流行り好きミーハー"とはいえ、アンファール王室にも秘蔵の機密資料や財産を保管しておく程度の理性はあり――あくまでも望まれるのは"良き変化"であって無秩序な混沌ではない――、そこには魔術・神秘・異能にまつわる古代の遺物が数多く眠っている。


「首尾はどうだ」


 特務査問会の長、アルト=ペイラー黒銀卿が語りかけているこの『水盆』もそうだ。空間を超えて遠方に声を届ける、古代の魔法が掛けられている。

 ガンド・ラダスベノグの脱獄から数ヶ月が経つ。査問会が捜査に加わってからも。


〈裏面街の方はあらかた聞き取りが済んだわ。潜伏場所は地下じゃないみたい。通り道には使っているみたいだけど〉


 アルトの部下である女性口調の男性・ラミエラが、淡く光って波打つ水面の向こう側から返事をした。

『水盆』はの顔色までは窺えないが、アルトが聞く限りその声色はやや硬い。


「『鷲の会』は残党含めて殲滅済みって話じゃなかったかァ? 査問会おれたちを担ぎ出したからにゃ相当切羽詰まってるんだろうが、王室の諜報部門も質が落ちたもんだ」


 王国の地下空間であり、巨大な迷宮ダンジョンにして深層異界アビスであり、あらゆる犯罪の温床である裏面街───しかし、それは実のところ、機構システムだ。

 人間という社会動物の宿痾しゅくあ、進歩と発展の陰に堆積する獣性を、アンファール王国は受容する。裏面街は暴力と貧困と虚詐が蔓延する悪意の楽園だが、それでも善良な大衆が住まう昼の世界地上とは厳格に隔離され、最大多数真に無辜の民の最大幸福という実益のために存在を黙認されているに過ぎない。


〈どうするの? エムズラリアと事を構えるのは得策じゃないわよ〉


 そして、その裏面街にガンドの痕跡が認められないということは―――すなわち、昼の世界で相応の地位にある何者かが、かの反逆者の後ろ盾をしているということだ。


「ハ。確かにイゼルの爺さんは陰険なクソ老害だが、そこまで間抜けじゃねェよ」


 エムズラリア公爵家。かつては王都パルミオーネの周辺地方を統べていた小王族でもあった、アンファール王国が現在の形になる以前より続く古い大貴族。

 初代アンファール国王・アルティリアスの大陸平定を強力に後押しし、自らはあえて右腕の地位に甘んじることで、王国の歴史に常に一定の影響力を与えてきた。


〈あら、随分と肩を持つじゃない。5年前は真逆の評価だったのに〉


「曾孫出来てから腑抜けたのはお前も知ってるだろ。ようやく安心して死ねるんだ、今はむしろガンドを吊るしてやりたくて仕方ないはずさ」


 とはいえ、貴族の名門には後ろ暗い噂が付き物だ。周囲からの嫉妬や羨望も含めて。

 アルトら査問会もよく知る第二王女・リーシャとは議会で幾度となく衝突しているが、それも聡明ながらまだ若い彼女を諫めるには当然の――何せエムズラリアは王国全土の貴族家の4分の1に親類縁者が居て、領地の数だけ養うべき民を抱えている――ことと言えた。

 歴史上で策謀家として知られるエムズラリア出身者は少なくないにせよ、エムズラリア家の人間すべてが陰険な策謀家というわけではないし、ましてや王国を破滅させたいと考えているわけでもない。


〈それもそうね。けど、とりあえず驚かない用意だけはしておかないと〉


「あァ。……尤も、あのジジイとうちの王女サマが本気でやり合ったら、俺たちの出る幕は無ェだろうけどな」


〈違いないわ。じゃ、ワタシは南の方に行ってみる。一度は王女様の手の者が調べ回った後でしょうけど、何か見落としが無いとも限らないし。4日後にまた連絡するわね〉


「頼んだ」


 通信を終え、水面から魔力の燐光が消失する。

 本と書類と魔導具アーティファクトの棚に埋め尽くされた執務室で一人、王国最強の魔法使いは嘆息した。




――――――――――――――――――――――――――――――




「お。抜けた~!」


 山道を通過し、洞窟を抜けて開けたところに出た。ここが(恐らく)霊山ホルィースの最深部、奈落の谷底だ。

 クソ狭く真っ暗だった洞窟とは打って変わり、頭上から月の光が差し込んでいて、深い渓谷の底にもかかわらず意外と明るい。……つーか、あんな月なんて浮かんでたっけ? 空の色も妙に綺麗になってるような……。

 いや、深層異界アビスは地上の常識が通用しない世界だってのは聞いてたけどさ。


「では、杖の捜索に移るか。落下の衝撃で砕け散っている可能性が高いが、幸いこの辺りに異常な魔力の放射は無い。杖の"芯"や"炉心"までは壊れていない証拠だ。それだけでも持ち帰ろう」


「僕が見張りに立つよ。この明るさなら魔物が襲ってきても気づけるだろうけど、警戒は怠らないようにね」


 そういうことになった。雑草だの大きめの石だのを掻き分けつつ、件の杖……の残骸を探す。

 谷底に古い魔術祭壇があるという話は本当だったようで、土を払うと石畳っぽいものが出てきたり、そもそもこの場所自体が何となく整備されている感じには見えた。

 予想されていた魔物の出没も無く、ちょっと空気が緩んできたところで、捜索の音に雑談の声も混じり出す。


「そういえば。僕たちはこれが初の実戦ですが、ジョシュアさんはやはりエメリチア北西大陸で魔物と?」


「まぁ、そうなるね。いくら開拓の最前線とはいえ、留学生に兵隊や冒険者の真似事をさせるほど逼迫ひっぱくしてないとは言われたんだが、魔物討伐の課外授業はそれなりに人気だった」


「いいな~。俺ももっと魔物と戦えたらなぁ」


 ちなみに、カナタ君が入団を志すセントマルクス騎士団……というより、アンファール王国における『騎士団』とは、警察と軍隊と保健所が一緒になったような――たいへん大雑把な――治安維持組織だ。

 主に人間を相手に犯罪を取り締まる部署と、各城塞都市の周辺で魔物を退治する部署に分かれている。どちらも大切な仕事ではあるけれど、やっぱり大衆からのウケが良いのは後者なのだろう。


「さて、どうかな。優秀な味方というものは実に得難く、そして優秀な敵はさらに得難い。何も魔物との戦いばかりが、カナタの成長にとって必要な試練とは―――」


 ふと。

 ジョシュア先輩が話を止めた。


「先輩?」


「コニー、タナップ嬢。辺りの気配を探ってくれ」


 私たち一行の中で最も魔術に長けるコニー君と、この裏面世界霊山ホルィースをホームグラウンドとするメロウちゃんが、周囲に自身の魔力を張り巡らせて警戒網とする。ジョシュア先輩が何をどう判断したのかはわからないが、魔物討伐の経験がある先輩がそう言う以上は根拠があるのだろう。

 各々の得物を取り出して構える。私はいつもの小杖タクト、ノエルとメロウちゃんは標準的な長杖ロッド、カナタ君は学園支給の両刃剣、コニー君は一族伝来の魔導短剣、ジョシュア先輩は立派なサーベル。


「どうだ?」


「僕の方は何も……、―――いや」


「うぇっ……ぁ、え? 嘘、なにこれ……そんな」


 索敵担当の二人の様子が妙だ。周りの空気が一段重くなったように感じる。

 ゾンビやスケルトンは見た目こそ怖ろしかったが、戦力的には苦戦するほどでもなかった。ゴーストに至っては戦うまでもなかった。

 たぶん―――これからやってくるモノは、きっとそんなに甘い相手じゃない。


 ブンッ、という奇妙にくぐもった音が聞こえた。


 次の瞬間、私たちの立っている地面が揺れた。


「わっ……!?」


「うお……!!」


 の落下地点と私たちの間には、それなりの距離があった。

 にもかかわらず、ほとんど目と鼻の先の位置に荒い息遣いを、生き物全般が持つ肌の熱を感じる。

 つまり、それだけ相手が巨大だという証左だった。


〈―――――Hururururururururu……〉


 鼻先に角とこぶを持つ頭部はサイに似ているが、ナイフ状の牙が立ち並ぶ顎門あぎとは草食動物のそれでは有り得ない。

 両腕は厚く太く、鋭利に伸び上がった骨と骨の間に皮膜が張っていて、長大な翼を形成している。一方、両足は比較して細身で、先端には大槌めいた漆黒のひづめらしきものがあった。

 そんな異形ながらも、どこか哺乳類的な造作の胴体。暗褐色の皮膚は一見して滑らかなゴム質のようで、後頭部から背中にかけては、蛇の絨毯じゅうたんの如くうねる金色のたてがみに覆われていた。


「わっ、飛竜ワイバーン!? どうしてこんな場所にッ」


「君の目は節穴かっ、あんなものがワイバーンに見えるとでも!? だいたい、この地方に飛竜は生息していない! 今はの時期でもないし、いくらアビスといえど迷い込むはずが……!」


「考えるのは後だ!! 全員、緊急フォーメーションで戦闘準備!」


〈Arrrrrrrrrrr〉


 カメレオンじみて別々に動き、あらぬ方向を見回していた青い眼球が、私たちのほうに視線を定めた。

 ……おいおい、飛竜ワイバーンってのは可愛くねぇな。ラドムはもう少し愛嬌があったぞ。


〈GrrrrrrrrAaaaaaaaaaaaaaaa―――!!〉

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