第23話「踏破する暗澹」
この世界における
何らかの理由で土地に集中した魔力が、一帯の環境を歪めることで生まれるのがダンジョン。だが、その変化の規模は時と場合によって異なる。
特に変化の規模が大きい、つまり深度が深いダンジョンは『裏面世界』または『
―――――霊山ホルィース。
かつて疫病と戦争で滅亡した、とある古代王朝の都。
この鬱蒼とした黒い森と、鉛色の雲が浮かぶ赤紫の空は、そこで生じた無数の死者の嘆き、悲しみの想念が作り出したものだ。
「まさか、こんな場所があったなんてなぁ」
行く手を阻む枝葉をかき分けかき分け、カナタ君が言う。
コニー君が講義してくれたところによれば、『廃都』ホルィースは本来なら
「同感だ。ホルィースに出没する死霊たちは、すべてこの森に集められていたというわけか」
で、その真相はといえば、つまりこういうことだ。
「あ……え……えっと、その……。はい……。うちは代々、ここの……管理者、みたいなことを……やっていて。す……住んでる人たち、とは、小さい頃からの知り合い……なんです」
「なるほど、立派なことだ。しかしタナップ嬢、管理者である君がこの地を離れて、今まで問題は無かったのかい?」
「あっ……う……、えと。その、辺りは……話すと長くなる、っていうか……。いえ、そんな大したことじゃ……ないんです、けど」
私たちを先導するメロウちゃんの表情は窺いにくい(まぁ前髪のせいで目が合わないのはいつものことだけど)が、普段よりもいくらか嬉しそうな声音で言う。
「―――母と、みんなが、送り出してくれたんです。この土地の人たちは……何百年もの時を経て、互いを許すことが……。自分の死を受け入れることが、出来ました。それは、ワタシたち『墓守』の一族が、ずっとそばに居て……。現世の人……自分たちの子孫が、今でもしっかり生きていることを、教えてくれたからだ……って」
それは―――、……なるほど。
霊山ホルィースと、タナップ家。死霊たちと『墓守』の一族。そこには、部外者の私たちには想像もつかないような歴史があるのだろう。
「……。……ホルィースは……。じ……授業で習った、通り……なら。もうすぐ、閉じるダンジョン……です」
これは文字通りの意味だ。
あらゆるダンジョンには、土地に吹き溜まった魔力の結節点たる『
もちろんと言うべきか、その核を取り除かれたダンジョンは閉じる……つまり、普通の土地に戻る。
また、特に深度の深いダンジョン―――『裏面』は、現世の内側に生じた異常な空間であるため、ある種の修正力のようなものを受ける。こういった『裏面』が閉じる時は、跡形もなく消滅してしまうわけだ。
「だから、最後にここへ来たかったんだね」
「はい。えと……その、初めて、ホルィースの外に出た……時は。取るものも取らず、というか……。ほとんど何の準備もしないまま、で……。わ……ワタシを拾ってくれた
「ふむ。察するに───先祖代々、長きにわたって継承してきた秘宝といったところか?」
「ぁえっ? ふぇ……あっ、あ、はい……。そ……そういうことに、なるのかな、です。……、どうしてそれを……?」
「歴史ある貴族の家系には大抵、そういった家宝が1つや2つはあるものさ。確かコニーの魔法剣もその類だったね」
ほ〜。そりゃ大事なはずだ。
ホルィースほど深くて危険な──実際、メロウちゃんの案内が無ければ生きた心地がしない──ダンジョンともなればそうそう踏破できないだろうけど、盗難のリスクがゼロってわけじゃないしね。
「そう聞いちまうと、ビビって足踏みなんかしてられねーな。みんな、気張ってこうぜ!」
「おーっ!!」
「あっ……あ……! そ、そこ危ない、です……!」
「ウギャ───ッ!!」
なんか踏んだ!? なんかグニャっていったよ今!!
「セテラ!? あわわ、しっかりしてー!!」
「カナタ! コニー! 引っ張り上げるぞ、せーの!」
――――――――――――――――――――――――――――――
「お客さん、もうすぐホルィース遺跡ですよ」
ゴトゴトと車輪を鳴らす馬車の御者が、後ろの荷台に向かって話しかけた。
最寄りの宿場町───ホルコーネンから出発した観光客車には、一人の大柄な男が乗っている。
「あぁ」
濃紺の
腰のベルトに小型の道具袋と数打物の長剣を吊り下げた、簡素な装いの旅人だ。その身体は服の上からでも見て取れるほどに鍛え抜かれており、あるいは教会の行者の類にも見えた。
「何にも無いような所ですが、どうかご先祖様の供養をよろしくお願いします」
「善処しよう。世話になった」
「はて。お帰りの時はどうなさるんで?」
数枚の銅貨を御者に手渡し、男はホルィース遺跡の方へと歩き始めた。振り返らないまま言う。
「ホルコーネンには当分戻らん。探し物がある」
明るい橙色の、煮えたぎる溶岩の如き光だった。
――――――――――――――――――――――――――――――
そんなこんなで、目的地に到達した。
メロウちゃんの生家―――タナップ家の邸宅は、森の外れの小高い丘の上に位置していた。
とこしえに明けぬ月夜の下、枯れ枝めいた濃灰色の煉瓦と漆喰で出来た、ごく普通の家屋だ。若干デッサンが狂ってる気もするけど。ザ・魔女の家って感じ。
「たっ……ただいま」
で、メロウちゃんがご実家の扉を開けた瞬間だった。
〈―――――あ~らあらあらあらあらあらあら!!〉
「「「わあああぁぁぁぁぁ!?」」」
青白い雲みたいなものが、視界いっぱいに……!!
〈おかえりなさい、メロウ! そしてホルィースにようこそ、旅人さんたち! いえ、メロウのお友達かしら? 嬉しいわ~!! ちゃんと外の世界でやっていけてるか、ずっと心配だったの~!〉
文字通り頭に響く声。純粋で強烈な魔力の放射。
半透明で腰から下の造形が曖昧な巨体の女が、メロウちゃんの家のドアから飛び出していた。
「
「ま、ママ!! 落ち着いてっ、みんな怖がってるから……!」
ゑ?
―――ママ?
――――――――――――――――――――――――――――――
〈さっきはごめんなさいねぇ。盗賊や密猟者じゃない外の人と話すのは久しぶりで〉
「は、はぁ……」
招かれた魔女の家の中は、想像していたよりずっと小綺麗だった。
で、こちらの青白くて半透明の女性は、家主(?)のオードリー・タナップさん―――生前の人格をほぼ完全に保った『
〈生きてる人がこんなにたくさんうちに来たのは初めてよ。ちょっと待ってて、
「いえ、お気遣いなく。我々はタナップさんの付き添いですので。用事が済めばすぐに帰ります」
〈まぁまぁ、若いんだから遠慮しないで!
才能の無駄遣い過ぎる……。珍しい魔術が好きそうなコニー君ですらタジタジだ。
「ママ……。そんなに焦らなくても、今日が最後じゃないんだから」
〈? そうなの? やだ私ったら、てっきりお別れパーティーのために来てくれたんだと思ってたわ〜!〉
「そのつもりならそれらしい恰好してるって。今日は杖を取りに来ただけ」
「杖?」
「あっ……。は、はい。タナップ家に、代々伝わる……
「
マジ? 全然知らんかった。竜車に詰め込んであった大荷物はそのせいか。
しかし、それにしても
〈あ~……『
「ママ?」
〈へっ? あ、あぁ、そうね。我が家の大事な家宝だもんね。うんうん。確かに、どこか安全な場所で、信頼できる人に保管してもらうに越したことはないわ〉
「……、……。……まさか、ママ」
あれ。
なんか、妙な雰囲気……。
〈―――……〉
「……。失くした、なんて言わないよね」
〈失くしてはないわ。失くしては〉
「じゃあ、どこにあるの?」
〈それは……そのぅ。メロウちゃんも経験あるでしょう? 後で食べようと思って隠しておいたお菓子の場所を、自分でも忘れちゃって……みたいな。てへ☆〉
「失礼、ご母堂。それを一般的に『失くした』と言うのでは?」
「こらコニー君!!」
「おいやめろ!!」
私はカナタ君とほぼ同時に叫んだ。正直は美徳だが素直過ぎるのも考え物だ。
〈うわーん!! だって仕方ないじゃない! 契約してる
「えっ……えぇ!? ちょっと、本当にどこにやったのママ!?」
〈谷底……〉
「え?」
〈裏手の墓地の向こう……崖の下。ほら、物語や演劇のお話でよくあるじゃない? ものすごい力のある魔導具だけど、それを巡ってたくさん争いが起こったから……最後に持った人が、勇気を出してどこかに捨てるってやつ……。1回やってみたかったのよ〉
―――――絶句。
いや、その。私に限ってはそういうノリは解せないでもないけれど。にしても……じ、自分ちの家宝でやるか、普通……!?
「……~~~っ、ママのばか―――っ!!」
初めて聞くメロウちゃんの大声だった。そんなに喉使って平気なの?
まぁ、性格は真逆だけど、このオードリーさんの娘だしな……。
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