間章「灰の後始末」

 すべてが終わった後、ハオマら『餓狗の腐牙タスク・オブ・ロット』の幹部たちは、拠点である廃教会の地下室に集まっていた。

 廃教会の内部は外観よりも存外広く、ダイナたちとの抗争の場となった礼拝堂の他にも、いくつかの部屋――恐らくは応接間や倉庫だったもの――が存在し、地上階部分はグループの子供たちの居室となっている。

 時刻は既に夜半に差し掛かっており、カナタとノエルにされた怪我人も含めて、幹部以外の面々は既に休息を取らせている。


「んじゃ、ダスティン。お前明日から新しいボスな」


「うぇっ!?」


 突如としてハオマに水を向けられたダスティンは、心底から驚く他なかった。


「何がうぇっだよボケ。ガキども全員が見てる前で、あんなにみっともなく泣き喚いたオレが、組織のボスなんて続けられるわけ無ぇだろうが」


「そ……そんな、言いたいことはわかるけどよぉ。俺、お前やダイナさんみたいに頭も良くないし……それこそ、なんてーの? じゃねぇよ」


 焦り切った様子でダスティンが続ける。


「大体……どうして俺なんだよ。幹部入りして日が浅いオリヴァーは、その、難しいってのは何となくわかるぜ。みんなとの付き合いが短いってことだからな。でもお前らはそうじゃないだろ? 腕っぷしで決めるならレックスじゃないか」


「ぶっ―――お、お前なぁ……おれだって無理だぜ。腕っぷしっつったって、ダイナさんに比べりゃ赤ん坊みたいなもんだ。それで、頭の良さも要るってなると余計にな。ハオマがどうしても嫌だって言うなら……ティルダはどうだ?」


「わたし? 無理無理、わたしじゃナメられちゃうって。悔しいけどさ……。ハオマほど度胸があるわけじゃないし……」


「えっ」


「「えっ」」


 ダスティンとレックス、オリヴァーが驚きの声を上げた。

 ただし、前者2人と後者では、少しばかり驚愕の質が違っているようだった。


「? なに驚いてんのよ」


「え、いや……嘘、本当ですか? 僕いま初めて知ったんですけど、ハオマさんって―――」


「おいおい、ティルダがナメられるってことァ無ぇだろ! お前のその甲高~い声で怒鳴られちゃあ、どんな大男でもビビっちまうって!」


「全くだ……いつも静かなリッカとは大違いだ。女らしくないってのも、良いことと悪いことがある……」


「はぁ!? ちょっとあんたたち、それどういう意味よ!!」


「しかし、そう考えるとリッカにも頼りづらいのかな。人前に立って喋るとか、苦手だろ?」


 暗い茶の長髪の少女リッカが、申し訳なさそうに頷く。

 物静かな彼女とは対照的に、金の癖っ毛のティルダはまだぎゃあぎゃあと怒りを表明していたが、何にせよ今夜の幹部会議には進展する兆しが無かった。


 ハオマはそんな彼らを、呆れ半分微笑み半分で見守っていたが―――事態は、予想外の方向から動いた。




――――――――――――――――――――――――――――――




 ハーゲン・ファルバディオは裏面街の闇医者である。

 善悪を問わずあらゆる人間を患者として迎え、絶対的な中立者として振る舞う。

 この背徳と退廃の街において、具体的な執行力こそ持たずとも、あるいは黒社会独自の秩序の一翼を担う存在である。


 その領分を侵した者―――然るべき支配者に正当な対価を支払うことで、地上へと送り出すことを許されたハーゲンの息子と娘を、かどわかした組織。

 許してはおけぬ、と憤る者たちが居る。口にするのもおぞましい邪悪が蔓延る黒社会において、設定された最低限、最後の一線を踏み越えてしまったものを、野放しには出来ないと。




 灰色の髪をした背の低い少年が、息を切らせて地下室へと駆け込んできた。

 寝ずの番で見張りを行っていた内の一人だ。あのような出来事があった直後で落ち着かないだろうが、だからこそ周辺への警戒は怠らないよう言い含めていた。


「ボスっ! 兄ちゃんたちも……!」


「どうした? 落ち着け。またカチコミか?」


 嫌な懸念が現実になってしまった、と内心で毒づきつつ、ハオマはすぐさま頭を切り替える。

 かの異能『闘気オーラ』の扱いを勉強した―――という言葉の通り、ダイナによって叩きのめされた5人は、しかし驚くほど軽い怪我しか負っていなかった。ティルダとリッカの女子2人に至っては、目立つ傷の一つすら無い。

 とはいえ、疲労も心労も蓄積しているのは揺るぎない事実。ハオマもまた無傷ではあったが、先刻の抗争に際して服用していたのせいか、体調に不安があるというのが本音だった。


「そう、だと思うけど……。変なんだ、いつもみたいなチンピラやスーツの男とかじゃない。あんなの……デカくて、目がおかしくて……まるで、に、人間じゃないみたいな」


「……!」


 ―――そして、状況は予想していた内でも、最悪中の最悪だった。


 裏面街に棲まう黒社会の住民たちは、しかし地上の人々が想像しているよりも遥かに理性的であり、冷酷であっても残忍ではない。

 理由や形式はどうあれ、まだ年端もいかない子供を害することは、彼らの倫理観に照らし合わせても"外道働き"の部類に入る。


「クソ。―――オレたちもいよいよ、危ない橋を渡っちまったな。……今更だけどさ」


 だが、その外道働きが必要になってくる場面もある。例えば今のように。

 セテラたちに一足遅れて腐牙タスクの拠点を突き止めたガロランゾ・ファミリーは、傘下の小組織を複数介し、その手の請負人、あるいはに依頼を出していた。


「グ、グ、グ、ブヴゥ……」


 仲間に逃走の用意を、見張りの者たちに撤収を指示したハオマら6人の前に、醜怪しゅうかいな異形の存在が迫ってきていた。

 豚のような上向きの鼻。口元で揺れる乱杭歯と長い牙。額の辺りから無秩序に伸びる、何本もの捻じれた角。

 筋肉とこぶで膨れ上がった巨躯は、格闘家めいて体格に優れるレックスよりもさらに数段大きい。

 また背中や肩口には、黒く濁った鋳鉄の杭が打ち込まれ、そこから太い鎖が垂れ下がっている。

 手には斧とも鉈ともつかない鉄塊を帯びており、それはひどく血に錆びて不揃いな形状に歪んでいた。


豚鬼オーク


 地上で最も邪悪な魔物のひとつと称される、忌まわしき鬼属種きぞくしゅである。

 それは堕落した邪森精人ダーク・エルフの成れの果て、もしくはヒトとして生まれながら鬼へと墜ちた異常者の行く末。

 元々は人間であったためにわずかな知性を残しているが、理性は完全に蒸発しており、それが愛や友情の理解に使われることは無い。

 特に裏面街に出没する個体は、『豚飼い』と呼ばれる専門の魔獣使いテイマーによって飼い慣らされ、主人からの指令に従ってあらゆる外敵を殺戮する兵器へと仕立て上げられている。


「……ま、ダイナさんはあぁ言ってくれたけどさ。そのツケが来たってことなんだろうな、これは」


「ハオマ……」


 何を言うべきかわからない、といった様子のダスティンの声に、しかしハオマはしっかりとした目で応えた。


。お前ら全員がオレと同じ気持ちじゃなかった、とは思わないよ。けど、ダイナさんの背中を追うことに固執して、チーム全員を率いて事を起こしたのはオレだ。それでこんな危険を呼び込んでちゃ世話が無い」


「どういう意味だよ。それ」


「ガキども連れてさっさと逃げろ、次期リーダー。殿しんがりはオレがやる。これはオレにとってのケジメで―――あの人にいつか救ってもらうのは、もうオレじゃなくていい」


「待って、ハオマ……!」


 ティルダの制止を最後まで聞かず、ハオマは駆け出した。

 から受け取った霊薬の包みは残り2つ。拳銃は破壊されてしまったが、以前から使っている東方シエトラム大陸産の短刀がまだ残っている。

 倒すことは出来ないにしても、足止めには充分だと己を鼓舞し、まっすぐに走っていく。


「グルルルルルルル」


 大儀そうに歩みを進めていたオークの胡乱げな視線が、足音を立ててやってくるハオマを捉えた。

 裏面街の豚飼いが操るオークは、使い魔サーバント用の標準的な『隷属の呪い』で有り余る暴力性を制御され、それを事前に教え込まれたターゲットの特徴に反応して解き放つ。


「ルル―――ヴルルアアアアァァァァッ!!」


 おぞましい絶叫を轟かせ、豚面の獣鬼が地を蹴った。

 オークの能力スペックはその生育環境に左右されるが、魔獣兵器としての運用を前提に調整された裏面街の個体は、総じて強力な部類に入る。

 腫瘍にまみれた豚のような巨体が、しかし驚くべき機敏さで運動した。右手の鉄塊が振り上げられる―――――。


「アアーアァアア!!」


「うるっせぇぞ、ハゲブタが……!」


 霊薬によって強化された身体能力と反射神経をフルに使い、ハオマは致命の一撃を紙一重で回避した。

 そのまま短刀でオークの大腿部を切り裂く。だが、手応えが小さい。シエトラム大陸産の良質な鉄鋼の刃は、オークの頑強な獣皮を食い破ったが、分厚い筋肉の層がダメージを最小限に食い止めている。


「ちっ」


「ヴルァ」


 舌打ちを一つ。

 その間にも足を止めずに斬撃を重ねるものの、いずれも大した効果は見られない。

 厳密には本当に何のダメージも負っていないわけではないのだが、豚飼いのオークは痛覚を抑制されている。天然の大鬼オーガほどではないにせよ治癒力にも優れ、多少の手傷はむしろ怒りを掻き立てる呼び水となる。


「はっ……はっ、せい!」


「ヴヴ」


「う、お、ぉぉぉ」


「……ルルグアアァァッ!!」


「!?」


 2度の大振りな薙ぎ払いを避け、ハオマが次の攻撃へと意識を向けた瞬間、オークは鋭く上半身をひねった。

 地面を抉りながら放たれた左の拳は、一見して空を切ったように思えたが、それは結果として猛烈な土煙を巻き上げた。

 砂の目潰し。オーガならば発想し得ない、まるで小鬼ゴブリンじみた妨害行動。―――かつて人類種だった異形の鬼属種が持つ、暴力性の裏に潜む知性。


「クソ……!」


 若輩ながらも裏面街での激しい抗争を経験してきたハオマにとって、この程度の搦め手は動揺に値しない。すぐさま腕で目を庇い、砂埃を振り払って視線を巡らせる。

 人間よりも数段上の身体能力を有するオークにとっては、この厄介なを叩き潰すにあたり、たったそれだけの隙で充分だった。


「ヴオア……ガァ!」


 視界の確保を優先した分だけ反応が遅れ、オークの前蹴りがハオマに突き刺さった。その動作は鉄塊で殴りつけるよりも幾分素早く、ハオマの意識の隙間を的確に射貫く形となった。

 骨肉の軋む異音が鳴り響き、ハオマの身体が信じがたいほど――彼女が痩せぎすの小柄な少女であることを差し引いても――容易く宙に舞った。


「―――――……!」


 奇しくも眼前の獣の鬼と同じく、霊薬を服用したハオマの痛覚はひどく麻痺している。

 にもかかわらず、あまりにも破滅的な感覚が全身を浸し、ハオマはもはや一歩たりとも動けなくなっていた。

 如何に強い意志を持っていようと、肋骨が折れ内臓も傷ついた人間が、そう簡単に動き回れるはずが無い。


「が、ぁ……は……!」


「ヴゥゥゥ」


 オークが値踏みするようにハオマを覗き込む。与えた傷の具合を観察しているのだろう。

 魔獣兵器の運用には相応の費用が掛かる。オークを操る豚飼いとて魔術師であると同時に事業者であり、余計な労力コストを浪費したくないのは当然だ。

 このオークは、放っておいても死ぬような相手をわざわざ追い討ちなどしないよう教育されていた。


「……あ」


 とはいえ―――どれほど小さな雑事、あるいは外道働きであろうと、であることに変わりはない。

 依頼内容は『6、残る構成員への、もって対象の組織を完全に崩壊させること』である。

 放っておいても死ぬ相手に追い討ちをする必要は無いが、死体を持ち帰って見せる必要のある相手なら話は別だ。


「ぅ……あ」


「ヴルア。ゴォォ……」


「嫌っ……、や、やだ……! 助けて、ダイナさ―――」


「ヴン」


 豚面の獣鬼が、血錆びた鉄塊を振り下ろす。

 無駄なく、遊びなく、慈悲なく、容赦なき、絶大にして純然たる暴力。たとえ赤子であろうとも、掟に背いたすべての者を断罪する暗黒の死刑執行人。

 恩讐と報復の化身たるそれは、顔色一つ変えることなく少女の命を収奪せしめ―――――。




――――――――――――――――――――――――――――――




 そして火花が瞬き、立ち込める闇を吹き払った。




――――――――――――――――――――――――――――――


 ―――……、……。

 ………………。


「……え?」


 死んで、ない。


 死んでない。

 とんでもない力で蹴りつけられた身体は、――薬が効いてるおかげで痛くはないけど――とにかく不快だった。

 不快ってことは、意識があるってこと。つまりは生きてるってことだ。


「ヴルルルルアアアアアアア!! グォアアアアアァァァァァァアァ!!」


 見れば、あのオークが凄まじい絶叫を上げながら悶え苦しんでいる。

 顔の右半分からボタボタと血を流して、持っている鉄の武器を手当たり次第に振り回しながら。


「―――――ふぅ。間一髪だな、間に合ってよかった」


 声がする。明るい男の声。

 大真面目に安心していそうな雰囲気はあるが、この薄暗くて腐った匂いのする街にあって、それは気味が悪いほど朗らかな声だった。


「いやはや、それにしても運が良い。当初の予定とはいささか変わってしまったにせよ、素晴らしいものを見られた!」


 やたら快活に独り言を並べながら、一人の青年が現れる。

 憲兵のそれに似た、かっちりとした黒い服と帽子。両肩に引っ掛けるようにして、白地に深紅の紋章が描かれた外套マントを羽織っている。

 赤みがかった黒の長髪を後ろで一括りにしていて、肌は透き通るように白く、顔立ちも女かと思うくらいに細い。だが、夕暮れの薄闇にあってぎらぎらと輝く黄金色の瞳は、何か言葉に出来ない圧力のようなものを感じさせた。


「そして何より、君たちのような未来ある若人の盾となれることを、誇りに思う。……怪我をしているようだね。癒されよヒール!」


 青年が手を一振りすると、そこから緑色の燐光が降り注ぎ、私の身体の中に沁み込んでいった。

 たちまちこそばゆい感覚があり、一気に呼吸が楽になった。まだ多少違和感が残っているが、少なくとも今すぐ死ぬことは無くなったのだとわかる。


「尤も、僕の腕前では急場凌ぎにしかならない。後でのところへ連れて行くよ。君たちとは因縁があるようだが……何、あの人はそんなことで患者を見捨てたりしないさ」


「グルルルルルゥ……、ヴゥアアアアアァァァァ……!」


「おっと。では少し待っていてくれ……。子供たちを守った君に敬意を表すと共に、僕もまた己の職責を全うしよう」


 青年が左手で外套の裾を払うと、腰元に差してある湾刀サーベルの姿があらわになった。拵えはおよそ中央大陸アンファール風だが、鍔に手指を守る護拳ナックルガードが無い。

 深みのある赤茶の木材で出来た鞘から、ゆっくりと刃が引き抜かれていく。光を照り返す良質な鋼に、美しい刃紋が波打つ刀身。見ているだけで背筋が冷たくなるような、素人目にも業物わざものとわかる一振り。


「アァッ、アァァ……ヴルアッ、クァラアァ……!」


「我が名はジョシュア・クィリナス・セムザック=フランバルト! アンファール王国、王室特務査問会が末席に連なる特命騎士である!」


「ヴルアアァァアア! ゴアアアアアアアアア!」


「鬼に堕ちし者よ、その胸に未だ良心あらば退け。だが、退かぬというならば……」


「ァアァァアァァアアアアアアアア!!」


「──――─フランバルトの秘奥たる燼滅じんめつの魔剣が、灰すら遺さず貴様を消し飛ばす!!」


 ……そうして、私は見た。

 この広いようで狭い裏面街せかいの向こう側にあるもの。

 私が生まれ育った悪徳と退廃の街に蔓延する暴力の、さらにその上に君臨する"力"の在り様を。


「ヴルアァァーアァ!!」


「は───ッ!」


 振り下ろされる重厚な鉄塊を、それと比べて遥かに細いサーベルが迎え撃つ。

 しかし、その斬撃の速度は尋常ではない。刀身が霞の如く揺らめいたかと思えば、甲高い金属音が鳴り響き、押し負けたのはオークの方だった。


「オ、アァ!?」


。人の心を無くしたオーク風情に、この僕が背負っているものの重さはわかるまい」


「グ、ギギ……アアアアアア!」


 何度打ち込もうが結果は同じだ。恐るべき質量を持った鉄塊が──私の目から見れば充分な速度で──叩きつけられ、けれど青年の剣とぶつかった瞬間に大きく弾かれる。

 どころか、オークが一撃を加えようとするごとに、青年はそれをいなして素早く斬り返す。カウンターは相手の1発につき2回、3回と頻度を増していき、ついには青年がほとんど無抵抗のオークを切り刻む形となっていた。


「す……ごい」


「ギィ、ギィ、ヴィイイ……ギアアアアア……!」


「ふっ」


 時に力強く、時にしなやかに。相手の懐まで踏み込んだかと思えば、次の瞬間には地面を蹴って背後に移動している。

 まるで足に撥条ばねでも付いているかのようで、ダイナさんよりデカいオークの頭上を飛び越えていることさえあった。


「ウウウウゥゥゥ!」


「っ! 危な―――」


「ギュアッグヴァア!!」


 オークが跳び退すさり、街角に放棄されていた割れガラスや鉄屑を投げつけ始めた。

 雑多なガラクタだが、魔物の筋力でなげうたれる硬い物体が、相応の殺傷力を持っていないはずが無い。


「ぬうぅ……!」


 青年の反応は鋭かった。飛んでくるガラクタを次々と斬り捨て、あるいは左手に纏った炎――というより、激しく散る火花のようだった――で打ち砕く。

 彼がそちらへの対処に手間取っている内に、オークは勢いよく突進を仕掛けてくるが―――。


「はぁッ、せぇい!!」


 次の瞬間、青年の足元がした。

 衝撃波と爆風がオークの足を止め、同時に青年の身体を空中へと射出する。

 すれ違いざまに、サーベルの一閃。猛烈な加速が乗った斬撃は、血錆びた鉄塊を握る右手ごとオークの腕を切り落とした。


「ギャッ……ギャギャッ、グルゥオォヴアアアアアア!?」


「超燃焼術式、装填セット


 何メートルも離れた位置に、土煙を上げながら着地した青年が、一言ぽつりと呟いた。

 サーベルを静かに納刀している。と同時に、青年の立つ地面から深紅の火炎が噴き上がり、それはよく見ると何らかの紋様――いわゆる魔法陣というものか――を形作っていた。


「ウッ、ウッ、ヴッ……オォ、グヴォアアアァアァァァ!!」


「―――トレース!」


 破裂音。大地を震わせるかのような強い踏み込みと、爆風による超加速。


ドゥオッ」


 再びの破裂音と共に、青年の手元から凄まじい閃光が迸った。

 恐らく、それもまた爆発による加速なのだろう。ただでさえ速いサーベルの斬撃は、もはや空中に走る赤い光の線にしか見えなかった。


ウーヌス―――」


 振り抜かれた"燼滅の魔剣"は、煉獄から汲み出したような深紅の業火に包まれている。

 青年はサーベルを胸の前で掲げ、厳かな面持ちで最後の呪文を告げた。


「グッ、ググ、ヴウ! ブブ……」


ニーヒル


「アキャ」


 剣が虚空を薙ぎ払うと、その刀身に灯っていた炎はふわりと消え去った。

 そして次に瞬間、オークの胴体を袈裟懸けに切り裂いていた傷口が、飛び散る鮮血をも焼き尽くす勢いで爆ぜ、砕け、燃え上がる。

 終わってみれば―――よっぽど破壊と絶望の化身のように見えた豚面の獣鬼が、ほとんど一方的に虐殺されてしまった。

 オークは悲鳴を上げる暇も無い内に焼き尽くされ、死体さえも黒い塵と化して残らなかった。


「よし、と」


 返り血一つ浴びずに敵を倒した青年は、サーベルを鞘に納めながら満足げに言った。

 戦闘中は姿を消していた笑みが戻り、私の方に向き直る。昏い光を湛えた、黄金色の鏡のような瞳。


「……あぁ、そうだ。予定は変わったけど、新しくアテが出来たんだった。ねぇ君―――」


「うぁっ!?」


 魔物相手にあれだけの激しい戦いを演じておいて、青年は息一つ切らさず私に話しかけてきた。

 急なことで変な声が出てしまったが、彼が掛けてくれた癒しの魔法のおかげで気分は悪くない。返事くらいは……出来る。


「あ……え、ぅ……。わたっ、いや……その、オレに何か用……ですか?」


「うん。改めて、僕はジョシュア・フランバルト。王室特務査問会の特命騎士だ。実は今、この街で調べ事をしていてね。君に話を聞きたいんだ。詳しいことは、ハーゲン先生の医院で治療を受けてからで構わないけれど……今の内に思い出しておいて欲しい」


 思い出す? 何のことだろう。

 ジョシュアと名乗った男の目は――良く言えば真剣に、悪く言えばかなり遠慮なく――私の顔を覗き込んでいたが、その視線が一瞬だけ手の方に向いたように見えた。


「―――君が持っていた銃と霊薬は、どこから手に入れたんだい?」

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