第17話「追跡する暗闇」
何はなくとも、つい最近知り合った人というのは、なにかにつけて意識してしまうものだ。
今回の場合、それはクラスメイトのダイナさんで、数日ほど視界の隅に入れていれば気づくこともある。
ちょっと意外だが、ダイナさんは別に授業をサボったりはしない。授業態度と成績は必ずしも比例しないようだけれど、少なくともカナタ君と違って遅刻しているところは見なかった。
ギャップ萌え云々というよりは、あぁ見えて真っ当に律儀な人なのだろう、本当は。
特別な理由なんか無くたって、思春期なのだ。そういうひねくれ方をしてしまう時期は誰にでもある。
―――私が気づかなければ、それが異常な事態だと、誰も気がつかなかったかも知れない。
だから、私は迷わなかった。
人生にリセットボタンは無い。過ぎた時間も後悔も、すべてが終わってから取り返すことは出来ない。
それでも―――
――――――――――――――――――――――――――――――
目の前の光景を、信じられなかった。
いや、信じたくなかったというのが正しいだろう。一度も想像しなかったと言えば嘘になる。
あいつらは馬鹿だが、それでも裏面街の住人だ。俺が嘘やハッタリでファルバディオの名前を出したわけではないと、理解できない奴らじゃないはずなのに。
「こいつは」
―――――姉貴の店が、荒らされていた。
窓は叩き割られて吹き曝しになっており、そこら中に鉢植えが転がっている。壁にもいくつか穴が開いていた。裏の方もモノが散乱して滅茶苦茶で、俺たちの家になっている部分もそれは同様だった。
辺りを王都の警備隊の連中が封鎖していて、今まさに事件現場の検分をやっていた。
もちろん、この時間なら店には姉貴が居たはずで―――だが、その姿はどこにも無い。
家主の片割れとして、警備隊の人間と話すべきなのはわかっていた。裏面街ならともかく、王都の地上で働いている騎士が市民の敵だとは思いたくない。
しかし、俺は野次馬に紛れるようにして様子を窺い、その中に居た一人の男に話しかけた。
「……、……おい」
「ン……、あぁ」
仕立ての良い灰色のスーツをきっちりと着込んだ、禿頭の中年。背丈こそ俺より低いが、その身体はよく鍛えられていて、腕も足も相応に太い。
「お久しぶりです、……坊ちゃん」
俺のことを『坊ちゃん』と呼ぶ人間は、王都パルミオーネには存在しない。
「よしてくれよ、ブロインさん。俺はもう……地下の人間じゃねぇんだ」
「失礼。ですが俺たちにとっちゃ、アンタはいつまでもハーゲンさんの坊ちゃんです。堅気の相手に入れ込むのがご法度だと言っても、俺たちにだって通してぇ筋ってもんがありまさァ。特に―――」
……こういうことが、あった時には。
ブロインさんがそう呟いた後、俺たちはしばし目の前の惨状を見つめていた。
怒りと焦りを飲み込んで、言う。
「どこの誰だ」
聞くまでもない。
あの日からずっと感じていた視線。気のせいだと信じ込んでいたそいつが、確信に変わっただけだ。
「これを。警備隊が来る前に回収しておきました。……お姉さんが使ってたらしい、椅子の上にあったモンです」
―――蕩けたように歪んだ、犬の頭のマーク。
薄汚い羊皮紙に、乱雑な筆致で描かれたそれは、紋章というにはあまりに滑稽で。けれど、異様なまでの圧力を伴って、己の存在を主張していた。
「……ッ」
「坊ちゃん。わかってるとは思いますが、俺が今ここに残ってるのは忠告のためです。如何に王都の騎士連中とはいえ、
「……、―――姉貴。俺は……」
ざわつく野次馬たちの足元に陰が差した。
暗い雲が空を覆っている。煙のような、冷たい雨を含んだ重苦しい雲。
立ち込める雨の匂いの中に、裏面街の腐臭が混じっているような気がした。
――――――――――――――――――――――――――――――
「あん? ……ファッバーロ……ダイナ・ファッバーロ。居ねェな。まァそういうこともあるか……。しかし無断欠席かよ、面倒くせェ」
とある日の朝、アルト先生がホームルームで出欠を取っている時だった。
我々は活力に溢れた健康な若者だが、人間である以上は調子が悪い日も都合が悪い日もある。特に王立学園は貴族階級の子息・子女が多いので、どうしても外せない家の用事を理由に授業を欠席する生徒は少なくない。
そうでなくとも――たとえ平民出身者でも――カナタ君を例に挙げるまでもなく、朝に弱いとか、個人的な事情で学校に来たくない時だってあるだろう。
ダイナさんのような……その、ああいうタイプの人であれば尚更だ。何も不自然なことは無い。
「連絡のアテがある奴は居るか? 通信魔術が繋がるなら一番だが……」
「あっ。先生、私、ダイナさんの家わかるよ。こないだ偶然通りがかったんだ」
「お、そうか。んじゃ帰りに色々渡すから届けてきてくれ」
放課後は特訓の予定があるけど、大した距離でもないし少しくらいは問題あるまい。
今日は4人全員揃ってるから、私が抜けたところでコニー君も暇にはならないだろう。彼はダイナさんとは折り合いが悪いようだが……まぁ、その程度の常識や良心は備わっているはずだ。……だよね?
ちらっ。
恐る恐る我らがボスの方に目をやると、コニー君はわざとらしく肩を竦め、一回だけ小さく頷いた。
――――――――――――――――――――――――――――――
そして放課後、何の気なしに『一緒に来る?』と聞いてみたら結局ノエルもカナタ君もコニー君もついてきた。
お前ら暇か!
「いや~、なんか面白そうだと思ってさ」
「わ、わたしも……。一度くらいは、ちゃんと挨拶できたらいいなって」
「……あの男のことは心底どうでもいいが、今日は打ち合わせに時間を割く予定だったからな。君らが居なくては話にならん。何、歩きながらでも喋ることくらい出来るだろう」
う~ん……まぁ、コニー君の言うことも尤もである。
学園からフラムベル通りを下ってグレースさんのお店、もといファッバーロ家へ。そこまで距離があるわけでもないが、歩きながら話す分にはちょうどいい。
イヴド祭の参加に向けて、具体的な戦術やらについてはまだまだ構想段階だけど、直近の訓練の成果とかを確認する。
そして商店街を見回している内に脱線したりしなかったりして、話題は普通の雑談に移行した。
「けど意外だな。セテラがあのダイナさんと……。いつの間に仲良くなったんだ?」
「仲良くなったわけじゃないよ、たまたま家の場所を知っただけ。あぁそうそう、勝手に話していいか微妙なんだけどね、実は―――」
かくかくしかじかまるまるうまうま。
私は洗いざらい口を滑らせた。ダイナさん自身は鬱陶しそうな素振りを見せていたが、もったいない。この間の一件だけでも、ダイナさんがお姉さんを大事にしているのは伝わってくるのに。
それから、きっとお姉さんのために、毎日ちゃんと授業を受けているということも。
「なるほどなぁ、それで。くっ、泣かせる話だぜ……!」
「大袈裟だ。きちんと勉学に励むのは学徒ならば当然の行いだろう。境遇は関係ない」
「でも、なんだか印象変わるね。本当は悪い人じゃなかったんだ」
「だよね! ふふ、ダイナさんは何て言うかわかんないけど、みんなで行ったらグレースさん絶対喜ぶよ。ほら、そろそ……ろ……」
―――――空気が、凍った。
あれほど丁寧に整えられていた店構えが、無惨にも荒らし尽くされている。
周囲には、軽鎧とサーコートを纏い、王家の紋章を携えた騎士―――
「一体、何が」
「シッ」
カナタ君が私たちを制し、その場に立ち止まらせた。
「警備隊も野次馬も少ない。何かあってから一晩は経ってる。それに……」
商店街の人混みに紛れたまま、私たちはグレースさんのお店を遠巻きに見た。
困惑するばかりの私とノエルとは対照的に、コニー君はいつも通りの冷たい目で、カナタ君はいつになく真剣な視線を向けている。
「―――……この痕跡に、住人の素性。きな臭いですね。やはり地下案件ですか」
「どうやらそうらしい。諜報部からもガロランゾ・ファミリーに動きがあったと報告が上がってる。恐らくは、足抜けした組織の人間を巡っての抗争だろう」
「馬鹿なことを。地下じゃあともかく、
「かつて組織を足抜けしたのが当人ではなく、親類縁者を地上へ送り出したという線もあるやも知れん。―――しかしお前、わかっているだろうな。『あちらはあちら、こちらはこちら』。鉄則だぞ」
「……すみません。軽率でした」
「ならいい。……やり切れない気持ちは、私も同じだ。こればかりはいつまで経っても慣れないさ」
警備隊の会話を盗み聞きするカナタ君は、どんどん険しい表情になっていく。
さすがに尋常ではない様子に、いつも冷静さを失わないコニー君さえも、少し意外そうな顔をした。
「―――何となくそうじゃねぇかとは思ってたが、やっぱりあの人、裏面街の出身だったのか。
「裏面街……ラバルカン大迷宮の支脈か。随分詳しいようだが」
「リシャールほどじゃないけど、ちょっとはな。とにかく、
「……厄介だな。あの支脈はオーラシオンとの国境そのものだ、下手に騎士団を動かせばオーラシオンとの国際問題になる。末端の賊が暴走しただけで世界が割れかねんとは……。いや、相互不可侵……そのための密約、暗黙の了解か」
「そ、……あのさッ」
何だか、不穏な単語のオンパレードだが。
……そうでは、ない。そうじゃないんだ。地上とか地下とか、国とか世界とかじゃなくってさ。
「グレースさんは―――ダイナさんは、どうしちゃったの?」
カナタ君は、一瞬だけ私を見つめ、すぐに目を伏せて唇を噛んだ。
「……わかんねぇ。そもそも関わり合いになるべきじゃないし、関わったところで調べがつかないだろ。地下絡みの事件ってのは、そういうもんだ」
「2人とも、死んじゃったりしてないよね」
「わかん……ねぇ」
明らかに、何か言いたいことを飲み込んだみたいだった。
カナタ君の言うことは尤もだ。隔離された辺境の出身の私たちは、この広大で豊かな国と土地について、多くを知っているわけではない。
けれど、今回の一件が、何かとてもまずいことで、王都の騎士団にすら対処が難しい大事だというのは察せられる。
でも。
私は、なんとなく、そうとは気づかれないようにノエルの方を見た。
引っ込み思案だが心優しい彼女のことだ。不安そうだったが、その菫色の瞳の中には―――不安なだけじゃない、強い気持ちが浮かんでいる気がした。
たったそれっぽっちのことで、充分だった。
「……。……、間違ってない」
「え?」
誰にも聞き取れないくらいの声量で、小さく呟く。
どう考えても厄介事だ、それも洒落にならない類の。関わり合いになるべきではない。たくさんの人に迷惑をかけることになるかも知れない、というか、十中八九やばいことになる。
それは―――しかし、もう少しで友達になれそうだったクラスメイトを、助けない理由にはならない。
確信がある。いつの時代、どこの世界でだってきっとそうだ。人が人を想う気持ちは尊い。
「行こう」
朗らかに笑うグレースさんと、それをいつもより険の取れた表情で見守るダイナさんの姿を知っている。
「行くって、どこにだ」
「決まってるじゃん」
「……うん、そうだねセテラ」
あの放課後に私が感じたものは、私の「好き」は、間違ってない。
「友達と、友達の家族を、助けにだよ」
――――――――――――――――――――――――――――――
石造りのお盆。そこに満たされた水の上で、鳥の骨から作られたという白い棒が回っている。
棒の片方の先端は矢印型に削られていて、これが追跡中の獲物の方向を指し示す。
警備が手薄だった裏口からグレースさんのお店に侵入した私たちは、そこでグレースさんかダイナさんのものと思われる赤い髪の毛を採取した。
これをグラム君に渡し、"獲物"の痕跡と見なして、「追跡」の原始呪術の対象に指定することで、グレースさんの居場所を探ってもらっている。
「よっぽど切羽詰まってるらしいから、今回限り頼まれてやるけどさ。あんまりヤバいことに首突っ込むなよ。おれが協力した結果、お前らが痛い目を見たらやり切れない」
「善処するよ、グラム君には迷惑かけない。それで―――」
「あぁ……。かなり、遠いというか……深いか?
「そうだ。使った出入り口さえわかりゃ、街のどの範囲に居るか想像できる。ガロランゾの情報網は広い……ひとつのポータルから別のポータルに逃げ込めるくらい長い距離を移動したら、必ずどこかで網に引っかかる。あの警備隊の話を聞いた限り、連中もまだダイナさん
「い……いやいやいやいや!! 普通に話進めてるけど、ガロランゾ・ファミリーが絡んでるの!? 地下でも最大の犯罪組織じゃないか、何でそんなのと!」
「ガロランゾと直接争うわけではない。あくまで僕たちは地下の抗争とは無関係だ、ファッバーロ姉弟もな。悪意ある犯罪者によって知人が危機に晒され、僕たちはそれを助けに行くだけだ。世では何かと"若者の無知"に付け込む犯罪が横行しているわけだが、さて。僕たちのような貴族階級のいち学生が、黒社会の薄汚れた内情なぞ知ったことではないのは当然だと思うが?」
「うわっ嘘、コニー君ってそんなキャラだったの……だったんですか? つ、つーか俺ら、喋るのほぼ初めてっすよね。コニー君、僕みたいな雑魚には興味ないですもんねーハハハ……」
「話を逸らすな。ポータルの位置を特定したら、次はリシャール、君が持つ裏面街の地図が必要になる」
コニー君はリシャール君の背後に行き、意外なほどフレンドリーに肩を叩くと、底冷えするような小声で何事か囁いた。
「……知的探求心の溢れること、大いに結構。しかし、公共の権益と秩序を担う貴族家の一員として、僕は誤った道に踏み入れようとする友人を制止する義務がある。図書室からカルケン・ラフティの『重力魔術原論』と『黄の隕鉄にまつわる小論文』を同時に借りたな? あの2冊を併せて読み、隠された暗号を解読すれば、カルケンが見出した禁呪への道が開けるとはもっぱらの噂だ。それに、君が寮の自室で育てているキノコだが―――」
「委細承知しましたコニー様、精一杯尽くさせていただきます」
なにやら末恐ろしいやり取りがあったような気がしたが、今はそんな小さいことに構っている場合ではない。
骨の針が浮いた水盆を注視するグラム君が、やおら声を張り上げた。
「―――大体わかった! こっから北西、ハニアープの交差点の辺りが一番反応が強い。ただ、その先にもうっすら気配が続いてる……」
「あそこなら確かに、カバルマリンの支店の裏通りにポータルがある。昔から穴が開きやすい土地柄で、ちょうど2ヶ月前に開いたところだ。案内するよ」
「ありがとっ、グラム君もお疲れ様! それじゃあ」
「おっと、待て待て。狩りに……狩りではないけど、まぁ、何事にも焦りは禁物だぜ」
そう言うとグラム君は、水盆から骨の針を取り出し、鈍い色の金属で作られた筒に入れて手渡してきた。
受け取った瞬間から、魔法的知覚に訴えるものがある。金属音のような、揺らめく光のような……。
「獲物に近づけば震えたり、音が出たりするはずだ。向こうでダイナさんたちを探すのに使ってくれ」
「……本当に、ありがと! 絶対絶対、みんなで帰ってくるから!!」
そうはっきりと口にして、誓いと覚悟に代える。
今回、アルト先生の協力は得られない。これまではずっと運が良かっただけで、あの人は本来、私たちのような学生にばかり構っていられる立場ではない。
戦うんだ。私たちが、私たちだけで、私たちの意志で―――――。
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