第14話「重なる視線」

 いつもの放課後、教室の隅に見慣れない人影があった。

 その女性は出入り口から中の様子を窺うと、しばらくして私の前の席に座る女生徒、リリエル・ロゼロニエのことを呼んだ。


「すみません、リリ―――リリエル・ロゼロニエは……」


「お姉ちゃん?」


 リリが椅子から立ち上がって出迎えに行く。

 木目の色の茶髪、丸眼鏡の奥から投げかけられる柔和な視線―――並んでみれば、リリとその人は驚くほどよく似ていて、ちょうどお互いの年齢が同じだったら区別がつかないだろうと思えるくらいだ。

 以前に紹介してもらったことがあるから覚えている。彼女はカサンドラ・ロゼロニエ、4つほど歳の離れたリリのお姉さんだ。

 魔術師ギルドに所属しているれっきとした魔法使いだが、研究や魔法戦闘よりも書類仕事の方が得意らしい。

 妹であるリリとの仲は良好で、よって学園に顔を出すことがあっても不思議ではない……のだが。


「あっ、アスハちゃん! ちょうどよかった、今日はアスハちゃんに用事があってね」


「私に……ですか? リリじゃなくて?」


「うん、そうなの。ほらこれ」


 カサンドラさんはそう言うと、後ろ手に持っていた荷物を示した。それはやや黄味がかった光沢を放つ金属製の鳥籠で、中には1羽の小鳥が入っている。

 ただ、その小鳥は生き物ではなく、紙片で折られた精巧な細工物だった。読み取れる魔力の波長は、使い魔サーバントというより魔導具アーティファクトに近い。ゴーレムの亜種みたいなものだろうか。


「この子は鳥手紙とりてがみって言ってね、機密性の高い文通に使う魔法。3日くらい前にうちの部署に来たのよ。普通は宛先に直接飛んでくものなんだけど、『自分をネザメ博士の研究室に届けろ』って鳴くものだから、仕方なく運んであげたのね。そうしたらネザメ博士が、『サイジョウという人物に心当たりは?』って」


「そんなことが……。あの、中には何て書いてあったんですか?」


「私は読んでないの。アスハちゃんとネザメ博士以外には、中身を見せないようになってるのよ。まぁ、魔眼保有者を名指ししてる時点で、っていうのはあるけど……」


 カサンドラさんが懐から鳥籠の鍵を取り出して開ける。

 籠から出た鳥手紙はパタパタと飛び上がり、その場でしばらく滞空すると、私の方へとやってきて机の上に留まった。どうやらこのまま私に付いて回るつもりのようだ。


「部屋で一人の時にでも読むといいわ。良い報せであることを祈ってる」


 さて、とカサンドラさんは明るい声を張り上げた。せっかく久々に会ったし、フラムベル通りでお茶でもしようかと提案する。

 リリは3人で一緒に行くよう誘ってくれたが、姉妹水入らずの方がいいんじゃないかとか、明日の授業のことで準備があるとか、適当な言い訳を見繕って固辞した。思い出せる限り、今日はもう、この鳥手紙を読む他に用事は無いのだけれど。

 私のそういう態度は毎度のことなので、リリもそれ以上は何も言わなかった。リリは私を友達だと思ってくれているかも知れないが、私が彼女と話すのはいつも放課後のベルが鳴るまでだし、休日に会ったこともほとんど無い。

 ―――リリは良い子だ。こんな距離感でしか他人と付き合えない私を許してくれる。私には、勿体ないくらいだと思う。




――――――――――――――――――――――――――――――




 リリたち姉妹を見送った後、まっすぐ寮の自室に帰る。

 鳥手紙はその間ずっと、私とは付かず離れずの距離を維持したまま、ふわりふわりと中空を旋回していた。

 怪しいアーティファクトや魔法生物がそこらを四六時中行き交っている環境なので、たかだか鳥手紙1枚を見咎める人間は誰も居ない。特に何事もなく部屋に戻れた。


 ミュトスの、というか王立学園の学生寮は基本的に2人1組の相部屋だ。ロゴスの寮は名家の貴族がうるさいため個室が多く、逆に兵役訓練課程の寮だと4人1組で詰め込まれていたりするらしいが。

 最初は他人との相部屋なんて困るなと思っていたが、同室のリリはその辺り何かと物分かりが良いので助かっている。

 ついでに、コニー君が魔法の訓練と称して山ほど侵入者対策の結界を張り巡らせている――万が一私の魔眼が暴走しても、被害を最小限に抑えられる――ことも判明したので、今やこの部屋は私にとって、学園内で一番落ち着ける空間だ。


「ただいま。……あなたも、お疲れ様?」


 玄関で外靴を上履きに履き替えたところで、靴箱の端に留まった鳥手紙に話しかけてみる。

 カサンドラさんの話では、宛先や用件を伝えるために鳴くそうだが、生憎と私の声には何も反応してくれなかった。


 まぁ、自分で作ったわけでもないアーティファクトの仕様にアレコレ言っても仕方がない。奥の部屋まで歩みを進め、大人しく椅子に座る。

 鳥手紙はふわふわと私の頭上にやってきたかと思うと、一瞬の内にそのシルエットをほどけさせ、簡素な便箋となって机に落っこちた。

 便箋の手触りはなかなか上等。アンファール王国ではまだ珍しい最新のパルプ紙だ。如何なる原理か、あれほど複雑な細工物に変身していたにもかかわらず、便箋には皺ひとつ残っていない。

 手紙は流麗な筆記体で綴られており、生粋のアンファリス人ではない私には、読むのにやや苦労する代物だった。




 アスハ・サイジョウ様


 初めまして。

 私は世には"魔術師ギルド"として知られる研究機関、『大いなる輪と英知の庇護者たる私立顧問魔術師団』に所属する魔法研究者、スーギル・ネザメと申します。


 略式にて失礼ながら、さっそく本題に入らせていただきます。

 私の研究室で取り扱っている研究テーマのひとつに『魔眼』がございます。

 先日、これに関するとあるプロジェクトに、アンファール王国宮廷魔術師のアルト・ディエゴ=ペイラー卿より、重要な魔法資源と多額の出資金をご提供いただきました。


 その際、我々は卿に一般的な返礼――主には成果物によって得られた利益の還元――をお約束しましたが、卿は他にも1つ条件を出されました。

 それは、今回のプロジェクトの成果物である霊薬の治験を、自分が紹介する適任者に行わせてもらえないかという提案です。


 ペイラー卿より既にお聞きになっているかも知れませんが、このたび我々が開発しましたのは、魔眼の効力を抑えるための霊薬です。

 治験には当然ながら魔眼の保有者の協力が必要となりますので、我々としましても卿の提案をお断りする理由は無く、その場で了承した次第でございます。


 つきましては、治験にご協力願うにあたって、サイジョウ様とも詳細についてお話しすべきかと存じます。

 サイジョウ様のご都合の良い日時で結構ですので、一度、魔術師ギルド本部までお越しくださるようお願い申し上げます。

 お越しの際は、受付の者に本書状をお見せください。下記の署名をもって紹介状に代えさせていただきます。


 大いなる輪と英知の庇護者たる私立顧問魔術師団

 パルミオーネ本部第23研究室室長・主任研究員 スーギル・ネザメ




「―――なに、これ」


 言葉が見つからなかった。

 アルト・ディエゴ=ペイラー卿? 確かにあの人がミュトスの臨時担任になってしばらく経つが、それでも臨時は臨時で本職じゃない。宮廷魔術師の仕事との兼業で、学園に居ない時間の方が多いあの人が、どうして私なんかのことを気にかけるんだ?

 衝撃の内容の手紙を何度も読み返していると、裏側にもうひとつ文章が書かれていることに気が付いた。

 さっきまでは白紙だったような……いや、鳥の形を作っていた術式とは別に、魔力が走った痕跡がある。私が手に取った時にだけ見えるようになっていたのか。

 こっちは表側のそれとは違う意味で読みにくい……平たく言えば汚い文字だった。最大限見やすく丁寧に書こう、という気遣いは感じられるが……。




 サイジョウへ


 やたらと話を大きくしてすまない。だが、魔術師ギルドを巻き込むやり方を思いついたのは俺だ。お前の話を聞いて、ただ俺を頼りに来ただけのセテラを、あまり責めないでやって欲しい。

 それから、ネザメ博士と研究チームは信用できる人たちだから、安心して行ってくるといい。


 この件でお前が誰かに責任を感じる必要はない。セテラは見返りが欲しくてお前を助けたわけじゃないことを理解しておけ。

 もちろん、俺もお前に何かを要求するつもりはない。宮廷魔術師の名にかけて誓う。

 俺は、魔術師ギルドの研究が公共の利益となるよう、必要な状況を誘導したに過ぎない。お前は俺が描いたの一部でしかなく、そこにお前の意志や選択や責任が介在する余地は無いと思え。


 それでも、お前がどうしても気が済まないというのなら……次にセテラに話しかけられた時は、もう少し楽しそうな顔をしてやってくれ。

 彼女も俺も、それだけで充分報われる。


 アルト・ディエゴ=ペイラー




――――――――――――――――――――――――――――――




 ほとんど反射的に部屋を飛び出し、しばらく走り回ったところで我に返った。何の手掛かりも無く人探しをするにはこの学園は広すぎる。

 やり切れない気持ちを抱えたまま寮の方に引き返し、いや、セテラさんが行きそうな場所ならひとつだけ知っている。図書室にならあるいは。

 ―――そこまで考えて。


「……っ!」


 寮の裏手の林道から歩いてくる彼女を見つけたのは、ほんの偶然のことだった。

 同じ村から来た編入生の子と、最近仲良くしているらしいカナタ君とコンスタンティン君を伴い、にこやかな雰囲気を醸し出している。


「あ―――ぁ……」


 口を開こうとして……やっぱり気が咎めた。

 自分から誰かに話しかけるなんていつ以来だ? しかも向こうは4人組で、何事か話し込んでいる様子でもあった。とても私が割り込んでいいタイミングではない。

 まだ少し上がったままの己の息が、妙に耳についた。右手に携えた手紙を握りしめる。


「……ッ、……馬っ鹿みたい。なに甘えてんの、私」


 あんだけ世話になっておいて、礼の一つも言えないとか。

 まるで道理が通らないし、気なんて絶対済むわけない。


「……―――あのっ!!」


 思っていたよりずっと大きな声が出て、セテラさんとあと3人の視線が一斉にこっちを向いた。

 セテラさんともう一人の子はともかく、カナタ君とコンスタンティン君まで驚いた顔をしているのが印象的だった。

 男子とはいえ、ミュトスは人数も少ないのに、そんなに喋ったこと無かったのかな。私から声かけたくらいで驚かれるなんてさ。


「……? サイジョウさん?」


「セテラさん。これ……、この、手紙、なんだけど」


「手紙? ……あぁ! もしかしてっ」


「う、うん。そう。私の……『眼』のことで。アルト先生も……」


「あぁ~、はいはい、うんうん。わかってるよ。あ、ごめんね、みんなはちょっと先に帰っててくれる?」


 セテラさんは何でもないかのようにそう言って、さっさと人払いを済ませてしまった。

 こういうお願いもあっさり聞いてもらえる辺り、それが彼女の人徳といった感じだろうか。


「えっと……その。いや、正直な話、いまいち何がどうなってこうなったとか、全然わかんないんだけど」


「うん」


「私のこと、助けてくれたんだよね」


 声を出さずにゆっくりと頷いたセテラさんは、口元こそ笑っているが、眉は少し下がっている。相変わらず嫌に懐かしい気分にさせられる表情だ。

 ……やめてって、そんな困ったみたいな顔。誰か人を助けたのなら、もうちょっと誇らしげな顔をしてよ。あぁ、もう―――。


「―――ありがと、セテラさん。本当に、ありがとう」


 錆びついた表情筋は自分のものじゃないみたいに硬くて、上手くできたかはわからないけれど。私はせめて、精一杯の笑顔を形作ってからそう言った。

 肝心のセテラさんからは、何故だかポカンとしたような表情が返ってきた。しばしの沈黙。


「……ぷっ……ははは!」


「あ……え? な、何?」


「ううん、何でもない。どういたしまして!」


 薔薇色の髪の少女に、いつもの笑顔が戻ってきた。

 頬にはいつもより朱が差していたような気がしたが、それは多分、夕焼けのせいだったんじゃないかと思う。


「ね、本当にお礼とか恩だとか、全然気にしなくていいんだけどさ。やっぱりひとつだけいい?」


「それは……うん。私に出来ることなら、なんでも言って」


「やったっ! じゃあ―――」


 少女の足が跳ねる。私の掌を両手で取って、ずずいと顔を近づけて来る。

 私は反射的に目を逸らそうとして、一度伏した視線を……意識して、上げる。


「今度どっかでお茶しよ! リリちゃんも一緒に、それからノエルも……うん、みんなでさ。約束だからね!」


 髪と同じ紅の瞳の中には、私の姿が映っている。そしてセテラさんが見る私の瞳の中にも、彼女の姿が映っている。

 当たり前の現象が、なんだかひどく懐かしくて、嬉しくて。でも、今は泣くべき時じゃないから。


「わかった。約束、だね」


 アルト先生からの手紙で言いつけられたことを、早速守ってみる。

 私がもっと上手く笑えるようになるまでは、まだしばらくかかると思う。これからも決して順調なことばかりじゃなくて、状況はさほど良くならないかも知れない。


 でも、こんな私のために、必死になってくれる人が居る。

 それは初めて自覚したようでいて、本当はずっと忘れるべきではなかったこと。

 だったら―――私は、私を想ってくれる人たちのために、私自身を諦めないでいようと思う。


 カサンドラさんの誘いを断ったことを、私は今さら後悔し始めていた。

 その気持ちはどう取り繕っても苦いものだったが、不思議と胸に痛くはなかった。




――――――――――――――――――――――――――――――




 夜、ミュトス寮。ノエルとセテラの部屋。


「………………顔、良……。匂い、やば……。もう一生手ぇ洗わない……」


「て……手は洗った方がいいんじゃないかな……」


 帰ってくるなりベッドに飛び込んだきり、両手を見つめて動かない親友の姿を見て、ノエルは言い知れぬ不安に駆られるばかりだった。

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