第13話「訪れる迷宮」

「―――火よファイア!!」


 背後から迫るでっかいネズミに振り返り、火球の魔法を撃った。

 生肉の焼ける不快な異臭と共に、ギィギィという悲鳴。やがて一際大きい断末魔が鳴り響き、1匹が絶命する。

 だが、そこまでだった。1体を倒したところで、群れを成して襲い来る魔大鼠ビッグマウスの進撃は止まらない。たまらず全力で逃げ出す。

 魔物とはいえ、仮にも動物の命を奪ったことへの感慨など抱いている暇も無かった。


「ぬわああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 ―――どうしてこうなった。

 あの無造作ながらも爽やかなデートのお誘いから、どうしてこうなった!?




――――――――――――――――――――――――――――――




 紀属性魔術のひとつに、ある地点から別の地点まで瞬時に移動する『転移テレポート』がある。

 瞬間移動ファストトラベルといえば誰もが認める戦略級スキルだが、その強力さと比例するように、複雑な儀式と大量の魔力を必要とする超高等術式だ。

 また下位互換として『引き寄せアポート』という鞄とか剣くらいまでのサイズの物体を手元に転送する魔法もある。それから、いわゆる『召喚サモン』も転移魔法の一種なんだとか。

 上に述べた通り、転移魔法にはいくつか種類がある。中でもポピュラーなのは『ゲート』と呼ばれるタイプで、因果やら縁やらを辿って場所と場所を繋ぎ、空間を捻じ曲げて距離を省略するとか何とか。さっぱりわからん。

 そして、アンファール王国立王都総合学園の地下には、この『転移ゲート』がたくさん用意されているのだ。


「―――おや、ペイラー卿……いえ、ペイラー先生。珍しいですね。どうかなさいましたか?」


 ゲートの管理室、通称『関所』にてスコヴィル・フライマーン先生が応対してくれる。

 浅黒い肌とオリーブ色の目をした南方大陸ラバルカン系の男性で、年齢は40歳に近いはずだが、顔にはしわ一つなく姿勢も良いのでそうは見えない。女生徒からの人気も高いものの、既婚者でありお子さんも居るらしい。ちぇっ。

 担当科目は魔獣生態学、つまり魔物に関する学問。曲者揃いの魔法学講師の中では常識がある方で、授業もわかりやすいので結構助かっている。

 で、これは私も今日ここで知ったが、何人か居る関所の管理責任者のひとりでもあるわけだ。


「まァ、ちょっと。こっちのセテラが聞きたいことがあるってんで、課外授業ってところです。……お恥ずかしい話、俺は教職としては皆さんの足元にも及びませんから。実地で色々見せた方が手っ取り早いかと」


「なるほど! それはそれは、素晴らしい。向上心が高いのは良いことです。して、どちらへ向かわれますか?」


「ゾエアルキ南東の第3層まで。責任は俺が持ちます」


「承知しました。ご案内しましょう、こちらです」


 スコヴィル先生に連れられて、エントランスから階段を通って降りる。

 どこまで続いているかもわからない、螺旋階段の連続。一段一段が広く、またところどころに踊り場があって、その地点の壁面に直接ドアが取り付けられている。

 ドアは木製だったり石製だったり鉄製だったり色々だが、共通して厳重に鍵がかけられており、また覗き穴のようなものは――恐らく意図的に――金属の板で塞がれていた。

 やがて3分ほど下ったところ、上の表札に『ゾエアルキ・外縁部南東・白級・5層』と書かれたドアの前でスコヴィル先生は立ち止まった。

 厳かな様子で鍵を開けながらこう言う。


「ではペイラー先生、どうぞ。セテラさん、"黒銀卿"が一緒なら滅多なことはないかと思うけれど、どうか気をつけて。私の授業のことをよく思い出して、ペイラー先生の指示に従い、くれぐれも落ち着いて行動して欲しい」


「……? あっ、はい! 行ってきます!」


 ちなみにこの時の私ことセテラ、朝起きてアルト先生と学校で集合してからすぐに来たので、まったく何も聞かされていないのである……!




――――――――――――――――――――――――――――――




 地下のゲートから転移できる先、学園の地下には、失われた古代の超級魔術によって『この世ではない空間』がおり、そこに地上の施設に置いておくには危険な物品が所蔵されている。

 具体的には封印された禁書とか霊薬とか魔物ね。よそに似たような施設を保有する魔術師ギルドとの共同管理になっているらしい。

 で、何やら恐ろしいことに、その所蔵品のひとつに『生きた迷宮ダンジョンのサンプル』なるものがあり……。


「おいおい、ちったァ落ち着けよォー。目的の粘魔スライムが出る階層はまだまだ先なんだからなァ」


「ちょっとおおぉぉ!! なに余裕かましてんの!? 愛しの生徒が死にかけてるっていうのにーっ!!」


「バッカお前、いくつ形代守りタリスマン持たせてやってると思ってんだ? ドラゴンのブレスでも1発は防げるぜ、何匹たかってこようがビッグマウスの攻撃なんぞで死ぬかよ……あ、でも直接攻撃への守りだけじゃ、破傷風とかまではフォロー出来ねェな……。噛まれないように気を付けろよ!」


「ギャ―――――ッ!!」


 絶叫と同時に大昔のホラー漫画家の作品みたいな顔になってしまったが、命あっての転生美少女フェイスだ。なりふり構ってはいられない。

 私は平民だてらに四大属性の魔法に適性を持つが、アルト先生やギースロー教授のように出力が安定しているわけではない。要するに、魔力の回路の"数"はあっても"太さ"が足りないので、魔法弾1発1発の威力がやはり劣る。

 だから、群れを相手に弾を雑にバラ撒くと、火力が分散してしまいさっきのように一撃必殺とはいかない。

 それでも、と粘り続けること約10分……。最後の方はもう魔力が尽きて魔法弾を遠くに飛ばせなくなったので、火属性付与エンチャント・ファイアした素手でひたすら殴りまくった。火を使えば殺菌も出来て衛生的! ちくしょう。


「…………、一人で全滅させるとは思わなかったな……。センスあるよお前、いや冗談抜きで」


「うぅ~、王国最強の魔法使いに褒められてるはずなのに嬉しくない……。私ゃ華も恥じらう年頃の美少女だぞ、何が悲しくて素手喧嘩ステゴロでネズミ退治なんかしなきゃならんのさ~……」


「まァまァ……悪かったよ。存外に奮戦するもんだから、手を出すタイミングが無かったんだ。回復薬ヒールポット魔力薬マナポット、どっちがご入り用?」


「どっちも!!」


 アルト先生から手渡された如何にもファンタジックなデザインの瓶の栓を抜き、中に入っている液体をぐびぐびと飲み干す。

 瓶が緑色で、中身は黄緑っぽい方がヒールポット。味は甘苦くてまさに回復薬! って感じではあるが、喉越しは爽やかで柑橘系の香料も入っているので普通に飲める。成分は薬草やら何やらを煮出した汁で、要するに原始的な栄養ドリンクだ。前世のゲームのように、瀕死の重傷からこれ1本で復帰……なんてことは起こらないが、実際かなり疲れは取れるし、傷の治りも早くなる。

 瓶が青色で、中身はやや黒っぽい方がマナポット。味はやはり甘苦く、さらに露骨に薬っぽく、しかもドロッとしているので舌と喉に残る。水くれ水。成分不明だが別に危険な代物ではないとのこと。こっちは身体の疲労より、魔力の消耗を回復させるのに向いている。


「あれ? でもこの世界じゃ、体力HP魔力MPって大体同じもんじゃなかったっけ?」


 ―――魔法学上の用語に『方陣路』というものがある。

 まずもって『魔力』とは"具現化した生命や精神、魂のエネルギー"のこと――と考えられている――であり、その魔力が流れている回路、器官のことを方陣路という。

 半分存在であるため、原則として目に見えることはなく、魔力を媒介して現実に干渉する時にだけ光となって浮かび上がる。

 かなり言語化が難しいのだけれど、この『見えも触れもしない、実在するかもあやふやなのに、魔法を使えば""とわかる』感覚への理解が、魔法の素養がある人と無い人の違いと言ってもいいだろう。


 普通ならば見えも触れも出来ない───それもそのはず、魔力がイコール生命力なのであれば、そんなもんからだ。

 この世界の歴史に名を残す魔術師の多くは極端に短命か長命であり、それはつまり生命力を使い果たしてブッ倒れてしまったか、使い切れないくらい生命力を持っていたかのどちらかということになる。


「その辺は学会でもずっと議論が続いてる話だな。俺はまず生命力っていう大きい分類があって、魔力はその内の小さい分類って説が一番有力だと思ってる」


「なるほどそうか」


 だいぶ楽になった。よし、あと何回か深呼吸したら探索再開だ。


「ちなみにもう1つ聞きたいんだけど、何で私ばっか魔物に狙われるわけ?」


「普通のタリスマンに無数の魔物にタコ殴りにされても無傷、なんて超性能があるもんかよ。そいつには『外敵の注意を引きやすくなる』代わりに『より防御力が増す』って術式を付与してあるんだ。いわゆる代償魔法サクリファイスつってな、ここテストに出るぞ」


「バーカ!! 失職しろクソ教師!!」


 そう言ってポットの瓶を投げつけるが、手すら触れられずに浮遊の魔法で受け止められた。

 何だよ美少女が口つけた瓶だぞ……いや、もちろん食いつかれた方がキモいけど……。




――――――――――――――――――――――――――――――




 この世界で知られているところの『ダンジョン』とは何か?

 答えは簡単。動物が魔物モンスターに、器物が魔導具アーティファクトに変貌するように、土地に魔力が集積して誕生するのが迷宮ダンジョンだ。

 性質は多種多様だが、概ね人間にとっては有害な属性の魔力を生じさせ、周辺の動物や植物を魔物に変異させる点は共通している。

 政府指定の『禁足地』とされている土地は、大災厄の時代に生じた魔力汚染によってこのダンジョンとなった―――迷宮ダンジョン化した場所であることが多い。


 逆に、人間にとって良質な魔力が集まっているために魔物が寄りつかない『聖域カテドラル』という土地もある。

 各地の城塞都市はこの上に作られており、というか未開拓地域は野獣と魔物のパラダイスだから、人間が住めるのは基本的にカテドラルの近辺のみってわけ。

 とはいえ、実はカテドラルとダンジョンのどちらも、本質としては『空間中の外界魔力マナが濃いために色んな影響が出ている土地』のことだから、それを人間の都合で呼び分けているだけだったりする。


 さて、それはそれとてだ。私は今、王立学園の地下ダンジョンに潜っている。

 目的はダンジョンに出没する定番の魔物『粘魔スライム』の捕獲。魔術師ギルドで研究中の『魔眼殺しの霊薬』を生成するのに、捕まえたての新鮮なスライムが必要なのだ。

 サイジョウさんの身の上を知る私に言わせれば、一定の需要はありそうなプロジェクトだが……なんでも、世の中には魔眼を抑制するより会得したい人の方が多いから、あまり積極的に推進されてこなかったのだという。


「後はまァ……退治しようと思うと、普通に厄介なんだよな。スライムって魔物は。作る労力と期待できる利益が釣り合ってないわけだ」


「ははぁ、この世界のスライムは丸っこくて頭が尖ってるタイプじゃないのね。大丈夫大丈夫、わかるよ。そういうパターンだと属性攻撃なら効くんだよね」


「おう。ついでに言うなら……雑魚じゃないスライムの中でも、こんな下っ端じゃねェ奴だ」


 それどういう意味―――と尋ねようとした瞬間、


〈Qyyyyyyyyyyy……!?〉


「ギャッッッ」


 私の右頬スレスレを青白い炎の塊が通り抜け、背後へ這い寄りつつあった緑粘魔グリーン・スライムに命中した。

 炎は電撃じみたバチバチという音を立てながら弾け、堪らず身悶えするスライムをあっさりと焼き尽くして塵に変える。

 ……あ、私の髪、燃えてないよねっ!?


「スライムの出るダンジョンでは常に警戒が必要だ。連中は水みたいなもんだから、動物の体温とか熱を使った感知には引っかかりにくい。移動の音を消すのも上手だ。体色からは毒や酸といった体液の種類がわかるが、中には保護色をしていたり、ほとんど透明の奴も居る。そして一度捕まったが最後―――」


「……粘液質の身体と麻痺毒で全身を絡め取られ、生きたまま消化される。でしょ」


 アルト先生は何も答えず、片眉を上げて笑みを深めるのみだった。


「今回俺たちが狙うのは『屍血大粘魔ブラッド・プティング』。通常の粘魔スライムの上位種である上粘魔ジェリー、よりもさらに強力な大魔獣級だ。単純に体格が大きい上、酸性の消化液で全身を覆ってやがるから、触れただけで痛い目を見る。狩りの時に分泌する麻痺毒も、数滴で人間の心臓を止めることが出来るくらい強い代物だ。無限沸きの雑魚モブとしちゃ最強格だな」


「そいつと戦う時はさすがに助けてくれるんだよね!? まったく勝てる気がしないんだけど!」


「あァ、いくらお前に戦闘センスがあってもプティング相手じゃ分が悪い。タリスマンは『毒消し』の加護に交換しとく。スライムの攻撃は殴ったり蹴ったりするんじゃなくて、消化まで拘束しておくための"め"だ。まともに防いでも意味が無ェ。2人で適当に魔法を撃ち続けて、充分に弱ったら俺がとっちめる」


 そう言うと宮廷魔術師は1枚のお札カードを取り出した。何やら複雑な紋様と呪文が記されている。

 魔法のスクロールかぁ。やっぱり憧れるな、ああいうスタイリッシュなやつ。まぁ紙も高けりゃ術式を刻む手間も馬鹿にならないので、アレ1枚で目玉が飛び出るくらいの値段がするのだが。


引き寄せアポート


 カードの上に展開した魔法陣の光の中から、ガラス張りの小さな檻のような魔導具が落ちて来た。

 外枠はたぶん鋳鉄製でまぁまぁ重そうだけど、アルト先生はお得意の浮遊魔法で自分の背後に浮かせている。便利~。


「気になるからって触るなよ。スライムや霊体を捕まえるための道具だからな、ぐにゃっと圧縮されてパテになっちまうぞ」


「し……死んでも触るか……」




――――――――――――――――――――――――――――――




 ビッグマウスやら闇蝙蝠ダーク・バットやら石蜥蜴ストーン・リザードやら、どんなダンジョンでもそこそこ見かける(らしい)部類の魔物を随時撃退しつつ、探索を続行。


 スコヴィル先生が言っていた『困ったら私の授業を思い出してくれ』という忠告が結構響いている。

 さっき、アルト先生は私がマウスの群れを単身殲滅したことに驚いていたが、それは奴らの『暗闇に適応しているため視力が弱く、代わりに嗅覚が発達しているので、鼻を攻撃されると混乱する』という弱点をあらかじめ知っていたからに過ぎない。やはり最後に頼れるのは有志運営の攻略サイトである。


 スライムも何体か遭遇、討伐して、戦うための感覚は多少掴んだ。

 エンチャントファイアも有効だったが、殴り心地はビッグマウスに輪をかけて気持ち悪かったので出来れば封印したい。私は清楚な女の子、OK?


「―――居た」


 通路の陰から先の部屋の様子を探る。そうして私たちの視界に飛び込んできたのは、鮮烈な真紅に染まったべとべとの塊だ。

 屍血大粘魔ブラッド・プティング。熟練の冒険者でも手を焼く、最上位のスライム種。

 アルト先生からの情報通り、そいつはスライムとしては明らかに大きかった。地面にへばりついて縮こまっている今ですら子牛くらいのサイズはある。いざ粘液質の身体を伸ばしてみれば、それだけで私を一飲みにしてしまえるだろう。通常のスライムがせいぜい大型犬くらい、ジェリー級が1.5m四方くらいまでしか成長しないことを考えると、より恐ろしさが実感できる。

 真紅の体色は、常に分泌されている消化液の赤と、体内で生成されている麻痺毒の黒が重なってそう見えるものだ。しかし、その鮮やかさは偶然というには出来過ぎていて、犠牲者たちの死血が染みついているという噂も誇張には思えない。


「確認する。作戦はここまでのスライム相手に練習してきた通り、遠距離からの狙撃に徹すること。今回は俺も参加するし、プティングくらいにもなると馬鹿じゃねェから、たぶん俺の方を集中的に攻撃してくるはずだ。その点はさっきより楽だと思ってもいい。が……」


 先生が外套の袖から小杖タクトを取り出した。作りは簡素だが、上品な黒い光沢のある塗装と金の装飾が施されていて、相当に手の込んだ逸品であることが窺える。

 対する私はまぁ、同じタクトでも量産型の既製品である。でも編入の前後に初めて買った杖だし、思い入れなら負けないもん。


「向こうは腐っても大魔獣級だ、実際戦ってみて何をして来るかは俺にもわからん。ヤバいと思ったらこの通路まで撤退しろ。『身隠しハイド』と『消音ミュート』を全力で維持し続けて、俺が良いと言うまで絶対に動くな。わかったか?」


「うん。言われなくたって、死んでも逃げて隠れて丸投げするから」


「死ぬなよ馬鹿。あと出来れば役に立て。……始めるぞ」


 生唾を飲み下して、こくりと頷く。

 抜き足差し足で通路を出て、小部屋に入る。部屋の床は多少苔むしているが煉瓦(?)製でしっかりしており、広間と呼んでもいいくらいの面積はある。天井も高い。距離を取って動き回るのには申し分ない。

 幸い、ブラッド・プティングはまだこちらに気付いていない。彼らスライムは目が無いので視覚は持たず、獲物の匂いを拾う嗅覚、周辺の振動と温度を捉える触覚を主な知覚とする。

 その探知範囲は決して狭くないが、スライム種の外的刺激に対する反応は――自ら捕食行動に出ている時を除けば――全体的にやや鈍い。会敵までまだ少しの猶予はあるだろう。


 そこを突く。

 出し惜しみはしない。すぐに捻出できるありったけの魔力を込めて、バスケットボール大の火炎の球体を現出させる。


爆ぜろ、炎よフレア・ボムっ!!」


雷よサンダー!」


 私の杖から解き放たれた火球と、アルト先生の杖から迸った電撃がプティングに躍りかかる。

 ギイィ、という短い悲鳴と共に、スライム種に魔法攻撃を喰らわせた時に特有の異臭がした。生きた毒沼とでも言うべき魔物であるスライムは、その身体の一部が蒸発しただけでも毒素を撒き散らす……『毒消し』のタリスマンで対策済みだけどね!


〈GYuyyyyyyyyyyyy……!!〉


 ……不意打ちからのクリーンヒットだったが、さすがは大魔獣級。グリーン・スライム程度なら消滅していたであろう攻撃を受けても、まだピンピンしている。

 たちまち赤黒い粘液が広がって無数の仮足を形成し、下位種のそれとは比較にならない速度で薙ぎ払われた。


「うえぇ!?」


 奇襲には鈍い割に、素早い……!

 べちん、べちんと床を叩く仮足、血の色の触手を走って避ける。体表の消化液も当然だが、鞭状の触手にあの速度で殴られただけでも相当のダメージとなるに違いない。

 アルト先生はさすがに慣れたもので、迫りくる触手を次々と躱しては、先端に光を纏わせた杖で切り裂いて反撃すらしている。しかし、仮足の1本や2本を切り落としたくらいでプティングの攻め手が緩むことは無い。


「だい、じょうぶ……先生の見立て通りっ」


 私とアルト先生、2方面からの攻撃を捌いて着実に触手を叩きつけてくるプティング。敵ながらあっぱれ、まさに不定形生物の面目躍如といったところだけれど、狙いヘイトを向けられる頻度はアルト先生の方が多い。

 当然といえば当然だ。私はアルト先生との競り合いの片手間に放たれる、牽制程度の触手パンチにもヒィコラ言いながら対処している。というか、触れた物体を問答無用で食い破る酸の体表を持つプティングにかかれば、どれほど乱雑な攻撃でも見た目以上の脅威になる。


「あぁもう!! せめて、まともに防御させてくれたらっ―――」


 今の私は、ダンジョンに入った時からアルト先生より発令された"いのちだいじに"の作戦オーダーを忠実に守って行動している。というかそうしてなかったらとっくに死んでる。

 だからプティングの触手に突っ込むなどもってのほかだ。大きく迂回して確実に避けている。

 けれど、すべての攻撃を走って躱すのはやっぱり疲れるのだ。あと単純に攻撃に向かう暇がない。瞬間火力DPSがまるで足りていない実感があった。

 頼みの綱のアルト先生は、それなりに余裕を持って善戦しているが、どうも本調子を出せていないような気がする。恐らく、プティングを撃破するだけなら幾らでも強力な魔法を使ってもいいけど、生け捕りにするため加減しながら戦うのは難しいのだろう。


 ……。……、何というか。

 これ……もしかして、ってこと?


「―――まったく、酷い課外授業だな! コニー君に知られたら嫉妬で殺されるよっ」


 なんて教師だ。相談事にかこつけて、魔法戦闘の実地訓練に放り出されたのか、私は!

 確かに私はコニー君のような生まれついての環境もなく、カナタ君のような運動神経もなく、ノエルのような外界での放浪の経験もない。同じ魔法使いとの戦闘どころか、このダンジョンに来るまで魔物を見たことすら――ランベ村の事件の夜に目撃した奴らは例外中の例外――なかった。

 そこで、この課外授業だ。アルト先生監修のもと何重もの安全策を講じてあるとはいえ、ダンジョンを探索してのモンスター討伐など、明らかに生死のかかった実戦だ。そして、そういった最前線での経験は、人間を一気に成長させる。


 期待されているのだ。魔導大国アンファールが誇る最強の魔法使いに、この私が。

 だったら、学び取らなければならない―――今も目の前で繰り広げられる黒銀卿の魔力の冴えから、私に出来る最善を!


「杖を……剣に。魔力を圧縮して固める……こんな術式あったっけ? まぁいいや、出来なきゃ勝てないだけっ! 方陣路、左足、腰の骨、肺、右手の指……」


 よほど相性か、当たり所か、運が悪くない限り、。アルト先生があんな小さいタクトで、酒瓶ほどの太さがあるプティングの仮足を迎撃できるのはそのためだ。

 狙撃作戦を引っ込めてプティングに接近するのは、正直かなりリスキーだが……彼我の距離が縮まれば、魔法弾の射程を確保するために割いている分の魔力を、そのまま破壊力に回せる。

 アルト先生の対処に集中するあまり、私への注意が疎かになっている今こそチャンスだ。かと言って、下手に欲張って怪我をしないように……敵の動きをよく見極めて……。


「……右! 左、右、右、左、上、下、左右同時、右斜め上、次は……!」


 術式始動セット、えーっと、


「―――なんちゃって魔法剣マジックカッター!!」


 叩きつけられる触手の乱舞の中、殺意の渦の内側に、1本の道筋が見えたような気がした。両足で思いっ切り地面を蹴り、迷わず仕掛ける。ここで躊躇っていては死ぬだけだ。

 横薙ぎの一撃を、魔力の光が迸る杖で切り払う。獲物が今まで見せなかった新しい動きに驚いたのか、怒濤の如きプティングの連撃がほんのわずかに滞った。

 その隙に駆け抜ける。背後から慌てて引き戻される触手は無視していい、この距離であの速度なら私には追いつけない。正面から打ち出される分の攻撃はっ……切って、切って、切って、身体を捻って避けて、切って、跳んで転んで、


「セテラ!! 左だ!!」


 アルト先生の怒号が聞こえた瞬間、半ば無意識で左腕に魔力を収束させた。火よファイアの術式が無詠唱ながら奇跡的に発動し、プティングにとっては乾坤一擲の逆襲だったであろうカウンターを打ち破る。

 もう逃がさない。私の杖には既に魔法剣マジックカッターによって相当量の魔力が充填されている。次の術式を組むのに5秒かからない。

 左腕のエンチャントファイアに使った火属性、そして最近ずっと練習している水属性、2つの方陣路を接続して合流させる。物体の熱量と水分を操作するこの魔法は、


氷よアイスっ―――!!」


 ブラッド・プティングの体内に突き込んだタクトから、強烈な極低温の冷気が炸裂した。

 お腹の底から絞り出すような感覚で、今の私が持てる魔力すべてを注ぎ込む。赤黒い粘液質の身体が瞬く間に霜に覆われ、分厚い氷塊へと変貌していく。

 血の沼の大魔獣は、もはやアルト先生に注意を払っていない。その変幻自在の肉体は無造作に拡散し、私を排除しようと全方位から襲いかかってくる。

 だが、蜘蛛の巣じみて広がった無数の仮足の速度は、徐々に鈍り、根元から凍結し―――そして最後に、未練がましく伸ばされた1本の触手が、私の眉間に突きつけられて止まった。


「―――――……」


「…………、マジかよ」


 変な声が漏れそうになるが、結局それは詰まっていた息が吐き出されただけで、言葉としての全体像を結ばなかった。

 全身から一気に力が抜けていく。膝が笑って崩れ落ちる……寸前で、ギリギリ踏みとどまった。


「あ……あは……ははは、は。や、やった……」


 我らがアルト先生が何やら一人で騒いでいるのが見えた。珍しく心底嬉しそうにしている辺り、私のことを褒めてくれているのだろうが、どうも頭に入ってこない。

 凍らせたプティングの表面を恐る恐る撫で、ひとまずは無事に終わったことを再確認する。

 スコヴィル先生の授業に曰く、スライム種には火炎や電撃、それから氷結が特に有効だってね。まぁ、それはともかく……。


「……って、オイ。どうしたセテラ、さっきからボーっとしやがって。もしかしてどこか怪我したのか?」


「いや。……大丈夫だよ。身体は何ともない、本当に。だから、ここから出してくれない?」


 私を取り囲んだまま凍ったプティングを指差して答える。

 くそ、どこまでも意地の悪いボスキャラだなぁ!

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