第10話「竜の炎、狂える大樹、そして」

 天気使いプルウィウスが嵐を放つ。

 黒雲から生じる鎌鼬と霜の杭、破壊の雷霆。それは大地に根を張る巨木を冗談のように薙ぎ倒し、ばらばらに切り裂き、瞬時にして焼き尽くす。


「ハッ―――芸の無ぇ野郎だな!」


 そして、この森の住人であれば誰もが知る妖精王の怒りの具現を、真正面から打ち破る者が居た。

 半人半竜の魔人、赤竜の娘リンゼ=ペイラー。母より受け継いだ紅き炎は、一点に凝縮された台風にも等しいプルウィウスの攻撃から、確かに彼女を守り抜いている。

 身に宿る赤竜の魔力を完全解放したリンゼには、あらゆる外からの害を焼き払う炎の鎧がある。燃えるいわおの如き黒鉄の四肢がある。身体を空へと運ぶ翼がある。

 普通の人間には有り得ざる姿形であり、それはプルウィウス・アルクスという古い大妖精に対しては、まるであつらえたかのように効果的な能力だった。


「な」


「喧嘩慣れしてねぇのがバレバレだぜ」


「ごぁっ!?」


 一息で肉薄したリンゼの拳が、プルウィウスの整った形の頬をしたたか打ち据えた。同時に、注ぎ込まれた灼熱の魔力が炸裂する。

 常人であれば胸から上が木っ端微塵になっていただろうが、そこは腐っても大妖精だ。

 妖精は世界の構成要素そのものである精霊に近い性質を持つ。そもそも概念的に存在が強固であり、また『身体強化エンハンス』の魔法までもが働いているプルウィウスの肉体は、赤竜の娘による渾身の一撃にも耐え切って見せた。


「アルトやガイウスのおやっさんに比べりゃ、テメェなんざカタツムリ以下だ」


「お、の……れエエェェッ!!」


 プルウィウスのような高位の妖精の場合、恐れるべきはその魔法力と耐久性だけではない。大鬼オーガには及ばずとも、彼は素のパワーとスピードにも優れる。野性の熊や魔狼、小鬼ゴブリンを捻る程度は造作もないだろう。


「野蛮ンン!!」


「ふっ……!」


 だが、この距離に持ち込んだ時点で、に及ばない相手に、リンゼが後れを取るはずがない。

 竜巻を纏わせたプルウィウスの拳。風の刃は無視できる。赤竜の炎の鎧は、一定の水準に満たない攻撃をことごとく遮断する。

 プルウィウスの拳打はそれなりに素早かったが、リンゼの目で充分に先が読めるレベルだ。その動きは高い身体能力に頼りきりで、キレというものが無い。距離の目算が甘く、体幹もぶれていて、余計な方向へ力を散らしてしまっている。

 リンゼが左手で軽く叩くと、プルウィウスは途端に全身のバランスを見失った。


「下賤ッ……、!? ぐ……!」


「らあっ!!」


 気流を操作して常に浮遊しているプルウィウスに「つまずく」という動作は有り得ない。故に彼は空中で少しばかり姿勢を揺らがせただけだったが、そこへすかさずリンゼの右回し蹴りが叩き込まれた。

 プルウィウスは両腕で受け止め、その一撃自体は防げたものの、無理な動きと踏ん張りの利かない空中という条件が祟り、完全に体勢を崩す。


「もう一発ッ!」


「不らッちぁぁああああぁぁぁ!?」


 リンゼの回転する胴体、下半身から翻った竜の尾の追撃が、流れるようにプルウィウスの脇腹へと吸い込まれた。

 もはや妖精という種族がどれほど頑丈であろうと関係はない。金の瞳の戦士は、自身の肉体が内部から破壊される恐ろしい音を聞いた。


「ふぐうぅ……! フウウウゥゥゥゥ……!」


「……逃がすかよ!」


 リンゼの両の掌に猛々しい輝きが灯った。

 どうにか距離を取ろうともがくプルウィウスの逃げ道を塞ぐように、炸裂する火球がふたつ。


「ふっ、ふ、ふ……ふざけるな……! 僕はあぁぁぁあああガアアァッ!!」


 妖精の森の独裁者が墜落する。先刻のリンゼの鏡写しのように、プルウィウスは湿った地面に投げ出されていた。

 それで止まる赤竜の娘ではない。宮廷魔術師に見出された爆炎の申し子は止まらない。

 氷の杭が擲たれた。リンゼの翼がはためくと、たちまち熱風が吹き荒れ、すべての杭を打ち砕く。雷がリンゼを目掛けるよりも、彼女がプルウィウスの懐に潜り込む方が速い。

 竜人と妖精、人外の膂力によって行われる格闘の応酬が……成立することはなかった。

 プルウィウスが子供の癇癪のように四肢を振り回す度に、リンゼの拳と足が妖精王の五体へと突き刺さっていく。


「ひぃ……ヒィ……、ア、ぐ……。……クソォォ!! 化け物め!! 貴様は、貴様は何なんだアァ!?」


「ケッ。ンだそりゃ、お前ら妖精だって大概だろ」


「ま、魔物の癖に!! 人間の敵の癖に! どうして人間に与する!? 人間を助けて何の得がある? お前は……!!」



 リンゼの右手が閃き、真紅の光線と化して宵闇を貫いた。

 焦熱の炭黒に染まった腕、剣のように尖った爪がプルウィウスの首を鷲掴みにし、彼の背を一本の木に押し付けている。

 肩口には巨大な真竜ドラゴンの顎門の形をした炎が鎮座していて、今にもプルウィウスを呑み込まんとしているようだった。


「アタシは赤竜の娘、リンゼ。リンゼ=ペイラー」


 ―――実際は、ただの一度も口にしてはいないにせよ。

 アルト=ペイラーは言外に、『そのように生きろ』と彼女に命じたのだと、リンゼは思う。


 先代だの何だのと言ってはいたが、リンゼだけは恐らくきっと知っている。

 アルトは伝説のゼドゲウスと会ったことがあって、それどころかかの赤竜を討った張本人である可能性が高い。その絡繰からくりにはさっぱり見当がつかないが、あの魔法使いは寿命などに死ねと言われて従う器ではない。


 赤竜ゼドゲウスはリンゼにとっては母親だが、アルトにとってはかつての敵であり、つまり本当は赤竜の遺児リンゼを生かしておく理由も無かったはずだ。

 リンゼを使い魔として利用する手段もあったようだが、それもご破算となったとくれば尚更だ。


 命を拾われたから、ではない。アルトがゼドゲウスの敵であったならば、リンゼにとっては母の仇だ。恩はあるが恨みも募っていて、少なくとも差し引きプラスでは有り得ない。

 ただ、その仇が自分を助けたことと―――目覚めの瞬間に、他ならぬゼドゲウスが背中を押してくれたこと。

 それはやっぱり特別で、意味のあることだと感じるから。リンゼはそのように生きると決めた。


「魔物とか人間とかじゃあない。アタシはアタシの、正しいと思ったことをやるだけだ」


 ここに勝敗は決した。

 妖精王、対、赤竜の娘。

 結果は―――伝説の継嗣けいし、紅き竜人の勝利。


「く……ふ、ふ。はは。なんだ」


 妖精フェアリーは移り気で、無垢で、故に残忍であり、この世のどんな存在よりも自由な種族だ。

 そして、自由であることには代償が伴う。妖精は自ら選んだ行動の結果を憎まない。彼らはこの地上でも、悪魔デビルに次いで契約と上下関係を重視する種族でもある。

 今やリンゼはプルウィウスよりも上位の強者であり、すなわちあらゆる妖精の頂点に立つ新たな王だ。


「なんだよ、それ。妖精ぼくたちよりも、よっぽど自分勝手じゃないか」


「言ってろ。さぁ、お前がこれからやるべきことはわかるな?」


 ―――だからこそ、プルウィウス・アルクスは異常だった。


「あぁ」


 妖精は復讐をしない。少なくとも、勝てない相手に逆らうことを考えない。自分より強い者とは仲良くなっておいた方が得に決まっていて、恨みの清算などは二の次だ。

 プルウィウスは違う。金の瞳の戦士はそのように考えない。


「……などと! 言うと思ったかァッ、愚か者めがあァああァァ!!」


 妖精王の左手がリンゼの腕を掴んだ。竜鱗の黒腕を万力のように絞め上げるその手には、はち切れんばかりの圧によって太い血管が浮いている。


「!」


 否、もはやプルウィウスの表皮に浮いているのは血管ばかりではない。彼の手は背にしている樹木を通じて、妖精の森全体の植物と繋がっていた。

 リンゼたちの立つ地面を突き破って、大小無数の枝と蔦が噴き出す。プルウィウスの全身を巻き込み、半ば融合するようにして。

 それは『悪天候ファール・ウェザー』の異能ではなく、森の『妖精王オーヴェロン』としての権能だった。


「くっそ……、ッ!? しぶといっ……!!」


「クハハハハハハハハハハ!! ヒャハ―――ハハハハハハハハハハ!!」


 相性で優るリンゼの炎の鎧でも相殺し切れない、圧倒的な物量。

 単純に妖精としてのプルウィウスの能力が――天気使いの異能を差し引いても――高いという証拠でもあるが、その強大さの根源は、『世界ほしの血管』である地脈レイラインへとアクセスし、膨大な魔力を直接引き出しているからだ。

 あちこちで土砂が爆発し、茨の棘が咲き乱れる。それは妖精王の勅令に従って、大いなる自然そのものが牙を剥いたかのようだった。


 妖精の森は完膚なきまでに破壊されつつあった。

 他ならぬ今代の妖精王オーヴェロン、金の瞳の戦士、天気使いプルウィウス・アルクスの手によって。




――――――――――――――――――――――――――――――




 暴力的な衝撃があって。

 空を、飛んでいた。


 夜は深く、闇は濃く、プルウィウスが発した途方もない魔力が広い、広い暗雲を作り出して、星の光すら閉ざしていた。

 妖精王はもはや、自分の能力を正しく制御するつもりが無い。森の支配者として大地と草木を操る力、悪天候の妖精として天気を操る力、その両方を乱雑に振り回している。

 地面から幹と枝が突き出して、嵐が木々を巻き上げて、雹と雷が獣や、魔物や、人や建物を引き裂いている。

 ここは地獄だ。


 ただ、それでも、必死だった。


 力なく横たわっていたセテラの身体が、隆起する地盤に跳ね上げられた。

 かく言うわたしの方も似たような有様で、今はこうして二人とも空の上に居る。


 高……い。地面が、遠い。

 極めつけに、重力は決して容赦してくれない。

 アルトさんの使い魔は、あの澄んだ鳴き声の飛竜は、ここには居ない。


 ―――――最初は無意識だった。


「ダメ……!! セテラっ……!」


 幸い、空を飛ぶのは初めてではなかったから、比較的早く正気を取り戻せた。

 取り戻して後悔した。わたしの下には何もなく、当然セテラの下にも何もない。

 このままでは二人とも死ぬ。リンゼさんたちとプルウィウスの戦いにすら関係なく。


 あぁ。


「………………そんなの」


 そんなの、


「嫌に―――決まってる!」


 手を伸ばす。届かない。

 いいや、。わたしとセテラは昔からの幼馴染で、一番の親友で、いつだってずっと一緒だった。きっと、これからも。


「わた……しが! 誰とか、なにとかじゃ、なくて! わたしの『好き』は!! わたしが決める!!」


 大事な人。失いたくない人がいる。

 わたしの友達を―――わたしが助けるんだ。


 視界の隅で、金色の光の粒が瞬いた。

 不可思議な感覚。心臓と、目と耳と鼻の奥から稲妻が飛び出て、全身に根を張っていくような疼き。

 手足を動かすみたいに、息を吸って吐くみたいに、ただ"できる"という確信があった。


 暴れ狂う大地、わたしの故郷の森へと意識を集中する。

 そこは血のように真っ赤な怒りで淀んでいた。どす黒い憎しみで溢れていた。

 臆してはいけない。セテラを助けるために、わたしはあれに挑む必要がある。

 大丈夫。やり方は、身体が知っている。


「―――咲いて!!」


 わたしが陣地に、黄色い蒲公英たんぽぽが花開いた。

 普通のたんぽぽではない。ひとつひとつが家と同じくらいの大きさがある。

 もちろん、花だけで終わりではない―――わたしが腕をもう一振りすると、たんぽぽは花から綿毛の状態に変わった。


「っ!? つ……ぅ、く……!」


 突然に、眩暈めまいと耳鳴り。身体から力が抜けていく。

 何が何だかよくわからないけれど、あまり余裕が無さそうだということはわかる。降って沸いたこのチャンスは、きっと無制限の救済などではない。

 もっと上手く……やれると、思う。的確に、効率よく……。


 吹き荒れる暴風の動きを読む。それの先端を掴み、少しだけ捻って受け流す。

 操作された気流が、巨大たんぽぽの綿毛を飛び散らせる。セテラとわたし、たんぽぽの綿毛に包まれて、風に乗り、ゆるやかに減速して、


「よい、しょっ」


 ―――できた。

 うまく、いった。


 わたしはそのまま地面に、セテラはたんぽぽの葉っぱが重なっている場所に着地する。

 ふらつく頭をどうにか持ち直してセテラに駆け寄り、安否確認。意識は無いけど、ちゃんと息をしてる。


「や……やった……!」


 本当に、よかった……!

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