第11話「箒星の魔法使い」

 ひとしきり安心したところで……けれど、何も終わっていない。

 状況は依然として最悪のままだ。プルウィウスが自身の能力を解放、暴走して、妖精の森全体がめちゃくちゃになっている。


「……この力って」


 さっきは無我夢中だった。これのことをよく考えている余裕は無かった。

 しかし、それでもわかることがある―――いや、わかってしまう。

 答えは既にわたしの中にあって、理屈を飲み込むより遥かに早く、直感で理解していたのだから。

 ただ、あまり気分の良い話ではなかった。


「わたし、が……人間妖精、で。プルウィウスの魔力で造られた……から」


 わたしは―――ノエル・ウィンバートは、少なくとも一度死んでいて、プルウィウスに妖精へと作り直された存在。

 ものは考えよう、ではある。わたしは人間の形をしているだけの妖精だけれど、見た目も中身もほとんどノエルそのものだし、ノエルを素材にして出来ているし、実際わたしは自分をノエルだと思っているし、わたし以外の『ノエル』を見たことがあるわけでもないし―――うぅん……。あぁ、……もう!


「考えるの、やめっ」


 そう、そうだ。重要なのはそこではない。いつかは気にするべきことであっても、今この時に限っては。

 いま重要なのは、わたしがプルウィウスの魔力から生まれた存在であること。だからプルウィウスとをある程度は使えて、特に森の木々の暴走を鎮められるということだ。


〈―――――AAAAAAAAAaaaaaaaaAAAAaaaaaaaaaaaaaa!!〉


 遠くに見えるプルウィウスの姿は、わたしが今まで見たどんな妖精よりも奇怪でおぞましい。

 まず泥と木の幹が渦を巻き、折り重なり、分厚い層になって下半身を形作っている。上半身もまた肥大化し、背中には風の刃をまとった蜻蛉とんぼのような翅が生えているが、その天を衝く巨体を浮かせるにはまるで足りないように見える。端正な美貌もひどく歪んでいて、豚と小鬼ゴブリンを掛け合わせたが如き醜悪さだ。

 その頭上には、黄緑の電光で象られた、魔力の王冠が輝いている。そこまでして妖精王オーヴェロンの称号に執着するさまには呆れる他ないけれど、理性すら手放してなおプルウィウスに残ったものがアレだというなら……ちょっとだけ、哀れでもある。


「うおぉぉ―――りゃあああッ!!」


 嵐と樹の怪物と化したプルウィウスに、背の竜翼で空を行くリンゼさんが立ち向かう。元より相性の良かった炎の魔力と素早い身のこなしで、巨体のプルウィウスを相手に一歩も引かない戦いを行っている。

 だが、今や妖精の森すべてと一体化したプルウィウスには、土地そのものから汲み出す無尽蔵の魔力がある。

 途切れることなく乱れ飛ぶ鎌鼬と氷の弾丸、時折閃く雷霆の破壊力は、どれ一つ取っても先程までと比較にならない。

 一方、リンゼさんの炎の攻撃は、叩きつける暴風雨によって大きく威力を削がれ、せっかく与えたダメージもたちどころに治癒される。

 さっきどこかに吹き飛ばされたアルトさんは、まだ戻ってきていない。


「このままじゃ、リンゼさんが……」


「このままじゃ、なんだって?」


「わひゃあ!?」


 あ、アルトさん!? びっくりした……!

 ふぅと息を吐くアルトさんは、しかしやはりと言うべきか、最後に見た時より明らかに消耗している。

 傍目には傷一つ無く平気そうな顔をしているが、肩は浅く上下していて、内心大いに苦み走っていることがありありと窺える。


「まァ、心配したくなるのもわかるけどな。アイツはあの程度でくたばるタマじゃねェよ。伝説の赤竜の娘が、たかだか森ひとつのガキ大将に負けるもんか」


「そう……でしょうか? あの、アルトさんも加勢した方がいいんじゃ」


「無理無理、あんなデカブツが出て来るとは思ってなかったんだ、戦う用意が無い。そもそも魔力も足りてないし。地道に人命救助を続けるさ。尤も、この状況であと何人助けられるかはわからないが……」


「でも」


 言い募るわたしを、アルトさんの紅い瞳が射止めた。

 リンゼさん曰く、アルトさんは他人とあまり目を合わせたがらないらしい。自分の目つきの悪さが、他人を怖がらせることが多いからだ。

 今だって、わたしが食い下がったのが少し引っかかって、何の気なしにこっちを見たに過ぎないのだろう。

 だが、その時のアルトさんの目は、まるでわたしの心や行く末までもを見通しているように、わたしは感じた。


「……わたし。わたし、プルウィウスから全部聞きました。わたしは―――ノエル・ウィンバートを素材にして造られた、人間の世界で活動できる特殊な妖精。その実験体だって」


 怖い。恐ろしい。

 わたしがノエルわたしではないと、誰かに打ち明けることが。それ以上に、自分で認めることが。

 けれど、


「わたしは試験のために人間の集落に入れられて、でも何かの拍子にプルウィウスの目から逃れて、ずっと隠れ続けてきた。プルウィウスはわたしを逃がしたのが堪えて、他にも色んな方法を試したみたいですけど……あぁ、えっと、いや。とにかくその話はよくって……よくはないですけど……とにかく、ですね」


 プルウィウスが語った真実に、思うところはたくさんあるけど……今、一番大切なのは。

 わたしが起こした現象。あの時の感覚を思い出す。


「……プルウィウスは、わたしを造る時に、自分の魔力を込めました。ついさっき自覚したばかりで、何がどのくらい出来るかもわかりませんけど、わたしの身体にはプルウィウスと同じ魔力が流れています。わたしたちが立っているこの地面がのも、ひとまずはそのおかげで」


「…………、……」


 アルトさんは、多少なりともショックを受けているように見えた――ちょっとだけ眉が上がって目が開いている――が、それでもわたしの言葉を静かに聞いてくれていた。


「だから―――だから、力になれると、思うんです。プルウィウスを倒して、森の暴走を止めて、リンゼさんを助けられるかも知れません」


 次の一言は、ほとんど……いや、完全に懇願だった。


「わたし……強く、なりたいです。リンゼさんやアルトさんみたいに、わたしも、村のみんなを助けたい。一秒でも早くプルウィウスを倒して、一人でも多くの人を、助けたいんです」


 ……そして、この時点では言葉にならず、それどころか心の中でもまともな形になっていなかったけれど。

 プルウィウスに力を搾り取られる、森の大地の悲鳴が聞こえた。本来なら何十年、何百年もの時間が掛かるはずだった森の成長が、ほんの一息に引き起こされたからだ。

 だがその一方で、激情のままに暴走を続けるプルウィウスもまた、本来の器以上の膨大な魔力に振り回されている。自業自得とはいえ、そこには途方もない苦しみがあるはずだ。

 人間も森も妖精も、放ってはおけないとわたしは思う。


「わたしと。わたしと……一緒に、戦って、ください……! アルトさんっ!」


 想いを伝えた。

 ―――それはまるで、幼心に夢見た、か弱い少女と魔法使いが出会うおとぎ話のようで。


「…………、……フ」


 この時のわたしは、まだ知らなかった。


「フ―――くく、く……クハハハハハハハ!!」


 わたしが信じて想いを託した人は、"夢を叶える素敵な魔法使い"などという童話の世界の住人ではなかったことを。

 アンファール王国の筆頭宮廷魔術師という地位にある者が、どのような役目を担い、どのような力を持ち、どのような敵と日夜相対しているのかを。


「―――あァ!! うん、そうだ、そう来なくっちゃなァ! これだからはやめられねェ!」


 アルトさんは呵々大笑した後、注意して見なければ気付かないほど……いや、目の前に居たわたしにも悟られないくらいの一瞬だけ、どこか寂しそうに目を伏せた。

 すぐに再び口角が吊り上がる。血の紅色をしたその瞳は、リンゼさんの炎にだって負けないほどの輝きを宿している。


「あ、あの」


「いいぜ、乗るよ。ただし俺はアンファール王国の筆頭宮廷魔術師だからなァ、この借りは高くつくぞ? ま、無利子無担保の出世払いにしといてやるけどさ。ほら」


 綺麗な指を持つ手が差し出される。鹿魔鳥ペリュトンの革から作られたという、濃灰の手袋に包まれた掌。

 それには、恐らくは森の魔物や妖精、獣皮猟兵ウールヴヘジンのもの――それ以外である可能性は考えたくない――であろう、赤黒く粘った液体が付着している。


「行くぞ、ノエル。一緒に戦うんだろ」


「―――――はい!!」




――――――――――――――――――――――――――――――




 森の化身が、無造作に腕を振るう。

 拳打、にはもはやなっていない。大質量の巨木が重力を無視して倒れ込んでくる、そういう一撃だった。天気使いの異能を行使せずとも、その運動エネルギーは周囲に激烈な暴風を巻き起こした。


 そんな大振りを通り越して大雑把な攻撃に、わざわざ付き合うリンゼではない。

 竜翼による高速飛行。リンゼは容易く被害圏内から脱し、さらにプルウィウスの巨体に接近して反撃を見舞う。

 赤竜の娘の炎は、雨と泥に濡れた分厚い樹皮を引き裂き、吹き飛ばし、浅く抉っただけで終わった。


「くそ……!!」


 リンゼの炎がほとんど効果を示さなくなり始めていた。

 水分を保持した生木というものは、本来そう簡単に燃えはしない。ましてや妖精王の身体を形作る神秘の樹木ともなれば、その耐久性はさらに跳ね上がる。


「はぁ……はぁッ……」


 対するリンゼはというと、いくら暴走状態で敵の狙いが甘いと言っても、となるのは想像に難くない。リンゼと今のプルウィウスでは、質量にも魔力にも差があり過ぎる。

 災厄の赤竜と妖精の王。種としての強さ、存在の格ならば同等以上ではあるだろう。しかし、伝説のゼドゲウスと同じ領域に達するには、リンゼはあまりにも若かった。アルトの見立てはそこだけが間違っていた。


(翼が、重く……。手足も段々、力が入らなくなってやがる。寒い……、……ハ。このアタシがか? 赤竜の娘、黒炎の子であるアタシが)


 降り注ぐ雨の中には雹が混じっており、その速度と視認性の悪さによって回避を許さない。これがリンゼの炎の鎧を確実に削り取り、徐々に体温を奪う。

 プルウィウスの背の翅からは、剣か槍のような形状を象る雷撃が迸る。ただでさえ雷光の破壊力と速度を誇るそれには、周囲の物体を切り裂きつつ、内側へと巻き込む竜巻が融合していた。

 体表を這い回り、隙あらばリンゼを締め上げようとする無数のつたも大きな脅威だ。その物量もさることながら、本体とは独立した動きをするため、集中力の分散と無視できない心労を招く。


「クソ」


 もう何度目になるかもわからない台詞を吐き捨てる。

 永遠にも思える戦闘は、しかしプルウィウスがこの状態になってから10分も経過していなかった。


(さすがに……遅すぎんだろ!? 何やってんだよ、アルトの奴ッ)


 感覚は目の前の敵に向けて総動員していて、他に割く意識は残っていない。

 既にアルトの居所は想像するしかなく―――頭の片隅で思案、あるいは期待する一方で、最悪の確率にもまた思い当たる。


「……アルト。まさか」


 つい先刻、プルウィウスが暴走する直前。

 あのとき受けた大技は、確かに恐るべき威力ではあったが、同じ攻撃を喰らったリンゼがこうして生きているのだ。寿命の死神すら返り討ちにしそうなアルトが、そうそう倒されるはずがない。

 だが……もし、もしも、この森の異変に思わず足を取られて。プルウィウスが撒き散らす暴威に、踏み潰されてしまったとしたら……?


〈OoooooooOOOOOooooooo……!〉


「―――――あ」


 そこで、心の糸が途切れた。

 極限状態の中で生まれた一瞬の隙を、金の眼の怪物は見逃さなかった。

 一本の蔦がリンゼの爪先を掠め、もう一本が翼を打ち、速度を損なった全身により多くが絡みついた。


「が、は……ぁぁああぁぁぁぁぁ!?」


 パワーとスピード、遠心力、重力加速度。すべてが加わった振り回し。

 地面に小さなクレーターが出来るほどの、強烈な叩きつけ。


「…………ぁ……ぐ、……ふっ」


 リンゼの纏っていた赤竜の炎が霧散する。

 あの巨大な拳や必殺の雷霆が直撃したわけではない。ただ細い蔦に捕まって叩きつけられただけ。

 自分はまだ戦える、リンゼはそう考えて四肢に力を込めたが、脳天から爪先までを満たす激痛と疲労が、彼女から抵抗の意志を奪った。


(ちくしょう。……畜生。クソ)


 目の奥に刺すような痛み、続けて悪寒があり、視界が薄く滲み始める。

 それがこの雨のせいだとリンゼは思いたかった。きっとそうでないことは、リンゼが一番よくわかっていた。

 一度ならず、二度までも……母から受け継いだ炎を完全に解放して尚、この怪物には敵わないというのか。


〈AAAAAAAAAaaaaaaaa―――〉


 唸り声がした方を見てみれば、そこには極度に肥大化して歪み、獣鬼オークじみた醜怪な異貌と化したプルウィウスの頭があった。

 剣山の如く生え揃った牙の歯列の間、牛や馬の数頭を一息で丸呑みにできそうな口の中に、黄金に輝くエネルギーの塊が見えた。

 赤竜の娘リンゼに対する、皮肉か嘲笑のつもりだろうか。プルウィウスの顎門あぎとの内で胎動する雷の渦。それはドラゴン吐息ブレスの似姿に違いなかった。


(アタシは)


 死の閃きが迫る。


「……負けねぇ」


 目の前で猛り狂う破壊の権化に向かって、確かにそう言ってのける。

 リンゼの心に恐怖は無かった。一抹の悔しさはあったが。

 何故なら、彼女の頭上では既に、ひとつの星が煌めいている。


は、……負けてねぇッ―――!!」


〈AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA―――……〉


 狂える妖精王の怒りが、雷として吐き出され、




――――――――――――――――――――――――――――――




 大気を引き裂く凄まじい轟音が鳴り響き、プルウィウスの鼻から下が消し飛んだ。


〈OOOooooOOOOooooooAAAAaaaaaaaaaAAAAaAAaaAaaaaAAAAA!?〉


 辺りが一瞬だけ昼間になったかと思うほどの閃光だった。

 アルトさんに『目と耳を塞いで口を開けろ』と指示されたのでそうしていたけれど、今も身体と頭の芯がビリビリする。


 肝心のリンゼさんは―――。


「う……うぅ、っつ……」


「よかった、無事……!」


 急いで駆け寄る。と同時に、プルウィウスが悶絶している隙を突いて、妖精王の魔力……の、ひとかけらを行使。

 リンゼさんの方からも近寄ってもらう。地面から人が乗れるくらいの葉を生やして、リンゼさんを運ばせる。


「……はっ……。はっ……。はっ……、ぁ……。お前……ノエル、か?」


「はい。あの……その、わたしもまだ困惑してて、説明しにくいんですが。こういうことが出来るようになったので、助けに来ました」


 森への"お願い"に少々手間取ったが、どうにか卵緑草らんりょくそうを呼び出すことに成功する。卵緑草はその名の通り卵のような形の実をつける薬草で、葉は切り傷、実は火傷によく効く。

 お父様たちが持たせてくれた小鞄ポーチの中の道具と組み合わせて、リンゼさんの応急処置をする。

 見たところ骨折は無さそうだが、こういう時はより悪い場合の想像をしておいた方がいい。さすがに骨折に劇的に効く薬草は知らないけれど、添木のひとつくらいは用意できる。


「動かないでくださいね、じきに済みますから。あと、この戦いが終わったらすぐ、ちゃんとした町のお医者様に診てもらってください。……ランベ村じゃ、そうはいかないので」


「ンな……呑気な、こと……!」


 リンゼさんは、わたしの言うことに構わず身を起こそうとして、


「……―――、……。…………へっ」


 不意に肩の力が抜ける。リンゼさんの頭が、ぽすんとわたしの方に寄りかかってきた。わたしも、そうしてくれればいいと思っていたところだ。

 リンゼさんの身体は、人間には無い翼や尾がついているのに、想像していたよりずっと軽くって……。

 雨のカーテンの向こう側を見る目は、とても穏やかだ。顔は色んな表情がごちゃ混ぜになって、泣きながら笑っているようだった。


「ふっざけんな、馬鹿アルト。アタシ相手にカッコつけてんじゃねぇっての」




――――――――――――――――――――――――――――――



 狂える妖精王、金の眼の怪物、天を衝く巨体と化した大妖精プルウィウス・アルクスを───しかし、見下ろす影がある。

 外套を触媒にび出した紫翼の飛竜の背で、黒銀卿アルト=ペイラーが笑う。


疑似召喚デミ・サモン───『イヴド・マルサの火筒ほづつ』」


 呪文と共にその手に現れたのは、古めかしくもよく整備された、細長い機構仕掛け。

 大いなる災厄の時代の後、土精人ドワーフ族の秘術だけが復元を可能とする古代の兵器―――魔法の

 弾倉に刻まれた錬金術の魔法陣により、射手の魔力を変換して、重金属の弾丸が即時生成される。それは直接薬室へと送り込まれ、『爆炎フレア』と『飛行フライ』の2つの魔術によって加速し、全質量が余すことなく破壊力に変わる。


〈……―――OOOooooooAAAAaaAaaAaaaaAAAAA!?〉


 雷光の奔流がリンゼを飲み込まんとする寸前、まさに莫大な魔力が解放されようとしたその刹那、そこへ食い込んだ一発の銃弾がすべてを台無しにした。

 互いに干渉し合った魔力の流れは見事に暴発し、炸裂してプルウィウスの顔半分を粉砕した。


 新たな外敵に反応し、自律稼働する蔦の鞭がアルトを目掛ける。

 アルトは右手に持ち替えた愛剣───可変装弾型徹甲雷撃魔剣Valiant Torpedo Armor piercing Sword災禍の杖レーヴァテイン』で迎え撃つ。刀身が展開して砲となり、青紫の雷光の波が迸った。

 プルウィウスの樹の身体は異常な再生力を有しており、蔦の鞭もまたその一部だ。半ばから焼き切られた蔦はすぐさま治癒していくが、損傷が元通りになるよりも、破壊の雷撃が広がっていく方が速い。

 筆頭宮廷魔術師が振るう魔剣の火力と攻撃範囲は、小手先の抵抗など無慈悲に打ち砕く。


「翔べ、ジャバウォック!!」


 絹を裂くような甲高い咆哮を響かせ、紫翼の飛竜が中空を疾駆する。

 右手に真鍮色の魔剣、左手に青銅色の無骨な短杖ワンドを握り、浮遊する魔導書グリモワールを従えて、王国最強の魔術師が行く。


「―――さァ。望み通り、存分に遊んでやるよ」


 杖を一振り。魔導書のページが独りでにめくられる。

 白銀の光線が虚空を乱舞し、無数の魔法陣が書きつづられた。喚起された神秘が現世へと具現する。


「全霊をもって挑ませてもらおう。天気使いにして金の瞳の戦士―――妖精王、プルウィウス・アルクス!」


 何本もの火柱が噴き上がった。それらは滑るように大地を走り、渦を巻いて、木と泥の巨人の足元へと絡みつく。病んだ血液を思わせる昏い深紅の炎が爆ぜ、放射状の棘となってプルウィウスの身体を抉った。

 アルトの背後で青白いしずくが弾け、何本もの鋭利な剣を形作る。月光を模したその輝きには魔をはらう力が宿り、アルトの道行きに付き従って、四方から伸びる蔦の鞭を次々と両断していく。


「助かった。ここまででいい」


 瞬間、飛竜型怪異スナークジャバウォックの姿が消失し、アルトが纏う黒布の外套へと戻る。

 と同時に、赤と金の粒子が二重の螺旋を描き、アルトの全身を包み込んだ。

 魔術の素養を持つ者なら誰もが習得できる基本中の基本、身体強化エンハンス。筆頭宮廷魔術師が用いるそれは、しかし並みの使い手とは比べ物にならない効力を発揮し、生物の限界を超越した動きを可能とする。

 魔力で形成した薄いスクリーンを蹴りつけ、したたる雨粒を置き去りにするほどの速度で


〈AAAaaaaaaaAAAAAaaaaaaa!!〉


 風の刃と共に、突き出される雷の槍。先刻アルトを撤退に追い込んだ大技と同等の威力の攻撃が、レイラインからの膨大な魔力供給により、連続して繰り出される。

 足場が無く動きの制限される空中へと、明確に狙いを澄ました攻撃。狂乱して理性を失っても、そこには古き大妖精、生態系の上位種としての本能が残されていた。


「甘い」


 だが、満身の力を込めてなげうたれた雷霆は、アルトの身体を掠めることすら無かった。


「『螺生門らしょうもん』」


 宵闇の瑠璃るり色と夜明けの朱色が入り混じった、歯車に似た形状のエネルギーの塊が複数出現し、妖精王の嵐の槍を余さず喰らい尽くした。

 魔法盾『螺生門ヴォルテクス・ゲート』。竜の横顔を鎖のように並べ、円形に配置した意匠―――否、正真正銘のそのものを素材とした無双の守り。


〈!? ……!? aAAaa……〉


「記録転写、再生領域固定……構成投影、魔力収束、量子変換。限定召喚リミテッド・サモン―――」


 魔法の杖を手繰たぐるアルトの左腕に、幾重にも折り重なった魔法陣が浮かぶ。それは1秒ごとに複雑性と密度を増し、やがて10メートル以上も伸び上がると、現実に質量を持ち始めた。

 臙脂えんじ色の粘液が流れ出して骨格を、灰の砂粒が絡み合って筋繊維を、漆黒の枝が寄り集まって皮膚を形作り、大理石のような白亜の装甲が全体を覆う。


「『風車の巨人』」


 出現したのは、巨大な一本の腕。妖精の森全土と一体化したプルウィウスに、真っ向から拳骨げんこつを叩き込めるほどの極大質量。

 単純な物理的破壊力に限れば、アルトが行使できる中でも最強の攻撃手段のひとつが、怪物の脳天へと落着する。


〈OooGooOOOAAaaaAAAAaaaaAAaaaaaaaaaa!?〉


『限定召喚』の魔法名の通り、アルトが呼び出したのは魔力を変換した仮初めの存在に過ぎない。巨人の豪腕は一撃を加えた時点で限界を迎え、塵となって消滅する。

 それで充分だった。


術式付与エンチャント―――螺生門・屍山血河しざんけつが


 アルトが真鍮の魔剣を振り上げる。刀身から迸る電光が、アルトを守っていた魔法盾と結束して、その輪郭をより鋭利なものに変化させた。

 魔力の刃が獰猛な唸り声を挙げ、それはちょうどいくつもの丸鋸が同時に回転しているように見えた。


〈Oo〉


「……ッ!!」


〈GoooooOOOOOooGYAAAAAAaaaaaaaaAAaaaaaaaaa!!〉


 銀の髪の魔剣士が、ほとんど無音の気勢を吐く。

 袈裟懸けに振り下ろされた魔導の回転鋸が、頭蓋を砕かれたプルウィウスの眉間に喰らいついた。

 アルトは敵の鼻先までを引き裂き、突き刺さった剣を基点にして身を翻す。重力に引きずられるよりも速く、怪物の顔面を疾走。太い首の後ろに躍り出て、そのままプルウィウスの巨体の上を縦横無尽に駆け抜けながら、『螺生門』の魔力を付与した愛剣を幾度となく叩きつける。

 剣を振るために手放した杖もまた自律して浮遊、魔導書と共にアルトに追随して、翡翠ひすい色に輝く光のつぶてを雨の如く降らせている。


〈A、AaaAaaaaaaa……。aa……〉


 樹液の血と泥の肉が撒き散らされ、プルウィウスはもはや暴風雨の黒雲を維持することすら覚束おぼつかなくなっていた。

 筆頭宮廷魔術師の苛烈な攻勢は尚も続いている。地上を走る呪いの紅炎がプルウィウスの半身を焼き、残る半身はアルトが振るう魔剣と、輝く礫の弾幕に切り刻まれている。

 満身創痍の妖精王に対し、アルト・ディエゴ=ペイラーには嗜虐的な笑みを浮かべる余裕すらあった。


〈Oooo、AaaaaaAaaa……GAAAAAaaaaaAAAAAaaaaaaaaAA……!〉


「ハハ―――、あァ。お前はよくやったよ、妖精王オーヴェロン! だが……」


 プルウィウスの身体から飛び降り、着地したアルトが右手を払うと、魔剣が粒子となって消滅した。

 付与エンチャント状態を解かれた魔法盾の力場が再び展開する。だが、それがプルウィウスの攻撃を防御することはもう無かった。


「ゲームセットだ。そろそろ終わりにしようぜ」


 魔法使いの腕の中で、凄まじい光が迸る。


「―――奏星弓そうせいきゅう『セニキス=ミラオリス』」


 それは、触れられざる腕において宙の色を為すもの。

 アルトの身の丈に匹敵する全長を誇る、白皙はくせきの大弓。不死鳥の翼を思わせる豪奢なフォルムには、しかし継ぎ目ひとつ存在せず完璧に洗練されている。人の手には有り得ざる、矛盾した美がそこにあった。

 流麗な外観に反し、その大弓に宿る魔力は極めて絶大かつ純粋であり、まさに"神気"と形容するに相応しい。


「天球の輪舞、災禍のきざはし。我は彼方の残響を紡ぐものなり」


 弓の弦を引くアルトの手元に、自動的に矢が現れる。光を司る神の弓は、弓を射るには矢が必要という常識、原則にすら縛られない。

 弦が張り詰めるにつれて、乙女の歌声にも似た不可思議な音が響き渡る。それは特異な魔力が現実に干渉する段階で引き起こされる副作用のようなもので、まさに"奏星弓"の異名の由来であった。

 プルウィウスの動きは止まっている。ならば、いま大気を揺らしているこの振動は、神器『セニキス=ミラオリス』が生成する絶大な魔力の余波に他ならない。


「夜空のやじりよ、破局を謳え」


 極限まで収束した莫大なエネルギーが、魔法名の宣誓を経て一挙に解き放たれた。


占星の剣ヘヴンズサイン奏矢天墜メテオライト―――――!!」




――――――――――――――――――――――――――――――




 ぱっ、と箒星ほうきぼしが瞬いて、すべてが消えた。




 樹と泥で膨れ上がった胴体の中心、人間で言えば心臓にあたる部分だろうか。そこに空いた風穴は、まず間違いなく致命傷だった。

 星の一矢はプルウィウスの胸に突き刺さり、背中まで貫くと、猛烈な光の渦と化して天気使いの黒雲を吹き飛ばした。


〈……―――ぼくは〉


 怪物の腹から下を焼いていた、深紅の魔炎も鎮火する。

 空の彼方まで届きそうだった巨躯が、端々から灰になり、塵になり、少しずつ質量を失っていく。


〈僕……ぼく、は。死ぬのか。僕が。僕は。何も為せず、何も得られず〉


 電光で編まれた王冠も、とうの昔に燃え尽きていた。

 レイラインからの魔力の供給が断たれる。プルウィウス自身が保有していた魔力もじきに底を突く。

 300年を生きた大妖精は、ついに己を構成する魂を失い、森の命の循環へと帰る。


〈……あれ。ていうか、僕……一体、何が楽しくて、人間なんかに〉


 それは、声ではなかった。現実に聞こえる音ではなかった。

 実際に鳴り響いているのは、怪物の喉奥から漏れる断末魔の呻きと、その巨体が崩壊していく轟音でしかない。


 妖精プルウィウス・アルクスの、誰にも知られざる心の独白。

 この声は、わたしたちの耳に……いや、意識にだけ直接届いている。

 なんとなくだが、これを聞くことが許されているのは、わたしとアルトさんとリンゼさんの3人だけだという気がした。


〈僕は……ただ、みんなが笑って……。みんなが笑うから、僕、もっと人間と……、みんなとで―――〉


 古き大妖精がそう呟いたところで、最期の瞬間は唐突に訪れた。

 一際大きな音を立てて、プルウィウスの全身から灰が噴き出す。よっぽど無敵の城塞じみていた樹と嵐の怪物の姿が、まるで夢か幻だったかのように痩せていった。

 わたしたちがプルウィウスの言葉を聞く機会は、こうして永遠に失われる。


「…………。……チッ、クソが。悪党は最後まで悪党らしくしてろっての」


 アルトさんが何かを呟いたような気配があったが、わたしとリンゼさんからは遠かったし、こっちに背を向けていたのでよく聞こえなかった。

 狂える妖精王オーヴェロンを葬った大弓がどこかへと消失し、周囲に浮いていた杖と魔導書もそれに続いた。


 わたしたちの方を振り返ったアルトさんの後ろで、ゆっくりと闇が晴れていく。

 徐々に白んでいく空の下、灰色の塵が風に流れて飛んでいくさまは、森から災いが去ったことを告げているようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る