第8話「プルウィウスの野望」

 不思議な感覚だった。


「リンゼ! さっさとコイツをブッ飛ばして村に戻るぞ!」


「おうよッ!!」


 ふたりの超人が戦っている。

 黒布の外套の魔剣使いと、業火を纏う竜人の少女。

 戦う訓練なんてしたことのないわたしでは、とてもついていける速さではない。


「ふん、小賢しくも仲間と合流したか。しかし無駄だ……我が『悪天候ファール・ウェザー』の暗示は力を取り戻しつつある! 何人たりとも僕を止められはしない。さぁ、僕の王冠を返してもらおう!」


 彼らと争っているのは、森の独裁者、今代の妖精王オーヴェロンプルウィウス・アルクス。

 金の瞳と銀の髪、尖った耳を持つ緑の服の青年。だが、その表情は獰悪に歪んでいて、普段の美貌は見る影もない。

 …………、いや。


「ノエル……、っ?」


「あ……ぅ」


 プルウィウスはこの森を支配する大妖精だ。無邪気で、苛烈で、純真で、恐ろしい。

 だから怖い。ランベ村に住まう人間ならば誰だって知っている。彼の顔を……その美しくも凶暴な……。


「だ、め」


 逃げなきゃ。

 なんで。どうして。どうして今まで、こんな近くに現れるまで、あの気配に気づけなかったんだろう。

 逃げなきゃ……一歩でも遠く、一秒でも早く、あの恐ろしい妖精から離れなきゃ―――。


 そうだ。わたしは知らない。

 わたしはプルウィウスの顔を知らない。少なくとも、

 ランベ村で飼われている人間である以上、プルウィウスと関わらずに生きていくことなんて出来るはずがないのに。


 わたしの、例の放浪癖――アルトさんは『"夢遊病"みたいなもんかァ』と言っていた――の原因。

 違う。目を向けるべき部分が逆だ。わたしは森に入っていたんじゃない―――わたしは、村から逃げていたんだ。プルウィウスの気配を察知して、彼から遠ざかるために。


 理由は、自分でもよくわからない。

 ただ強いて言うならば、今もこうして肌を刺す怖気が、断続的に襲いくる酷いめまいが、わたしの足を動かそうとしていた。


 プルウィウスの強さは圧倒的だ。

 彼が操る暴風。氷の槍。雷の剣―――どれをとっても尋常な威力ではない。

 アルトさんは剣で、リンゼさんは炎でよく対抗しているが、防御に精一杯で反撃する暇がない。

 わたしなんかよりよっぽど強い二人がそうなのだから、わたしやセテラが協力する余地なんてものは少しも見当たらない。

 そして、


「愚かなる逆賊よ……否、事ここに至っては、僕も認めざるを得ないな。おぉ! 勇敢なる戦士、このプルウィウス・アルクスの敵たらんとする者よ。光栄に思うがいい、我が最大の奥儀にてお前たちを滅ぼそう!!」


 高らかに声を挙げる妖精王の魔力が、これまでで一番の大きさに膨れ上がった。

 直感する。わたしだけじゃなくて、目の前で戦っている二人もきっと予感したと思う。……これはまずい、と。

 妖精とは限りなく精霊に近く、地上で最も神秘に優れる種族のひとつだ。プルウィウスもまた300年を生きた大妖精であり、その彼が身に宿す神秘の力は他の比ではない。

 彼は天気使いの権能のみならず、あらゆる種類の魔法を得意とし、森そのものさえも支配している。


「な……!?」


「う、ぐぁあっ……!」


 大地が隆起して割れ裂け、そこから現れた無数の木の根が暴れ狂った。

 それらはたちまちアルトさんとリンゼさんに絡みつき、凄まじい力で締め上げる。


汝の死にアブラ―――」


 すべてを切り刻む風の刃を、極限まで凝縮した竜巻の大玉ボール。そこに青白い稲妻が融合し、猛烈な熱と閃光を迸らせる。

 ただ、誰にも避けようのない死の訪れがあった。この森においてはごくありふれた、けれどかつて見たこともないほど凄惨な死が、わたしの目の前にやってくる。


「―――雷を浴びせよハダブラアァァッ!!」


 妖精王の全力が解き放たれ、暗黒の夜闇を真っ白に染め上げた。




――――――――――――――――――――――――――――――




 喉が、詰まっていた。


 くらくらする。頭が痛い。視界が明滅している。

 肺の中身が空っぽだと初めて自覚して、息を吸う。浅い。まったく足りない。胸が苦しい。


「がっ……ほ、ぁ、ぐ……か、ぁっ……」


 見える景色の、右半分が赤い。

 腕の感覚が曖昧だ。幸い千切れてはいなかったが、ごっそり肉が抉られて焼け爛れている。

 全身が熱くて痒くて堪らない。炎を司る赤竜の娘であるアタシが大火傷だなんて笑えねぇ。落ちる雷に打たれりゃこうなるのか。


「……く……うぅっ……!」


 痛みには多少強いつもりだったが、これはまずい。気を抜くと意識が吹っ飛びそうだ。

 ―――けれど、アタシにも使命ってモンが、通したい意地がある。


 身体をよじる。よじろうとする。そうしてもがく度に、普段ならなんてことない砂利やら木の破片やらが肌を突いて、とんでもなく痛む。

 地面に這いつくばって情けない限りだが、この際それは気にしちゃられねぇ。どうにか頭を振って視線を巡らせる。


 プルウィウスの大技が決まって、辺り一面すっかり焼け野原だ。当の本人は平然として、背中に竜巻を生やしたままフワフワ浮いていやがるが。

 アタシと同じく直撃コースだったアルトが見当たらない。感覚全般がバカになっているので正しい見立てとは言えないが、どことなく気配が遠い気がする。さてはまた風ですっ飛ばされたな。災難な野郎だ。


「……、さて」


 そして、問題は――この状況自体、だいぶ問題だらけだが――ノエルと、友達のセテラだ。

 二人とも息がある。不可解ではあった―――アタシたちごと消し飛ばすことも出来ただろうに、プルウィウスは明らかにノエルを巻き込むのを避けた。

 セテラの方は、ノエルの近くに居て運が良かっただけだろう。実際プルウィウスはセテラをほとんど無視していて、


「邪魔者は消えたな。本題に入ろうか、我が王冠よ」


 手を軽く一振り、乱雑な魔力の放射。たとえ魔法という形になっていなくても、強く濃い魔力は動物の意識を乱して混濁させる。

 薔薇のような赤毛が揺れ、セテラはそのまま気絶した。残ったのはノエルとプルウィウスだけだ。


「本題……って、何の話ですか。わたし、あなたと話すことなんて、無いです」


「ふむ。まぁ、確かにそうかも知れない。は言葉を話さないのだから」


 ……道具?

 ノエルが、か? どういう意味だ……?


「とはいえ、僕は人間の作った言葉遊びというのが好きでね。あぁ、お前たち人間ほど面白い生き物は他に居ないとさえ思っているんだ。なんと愛おしい。実に愉快だ」


「し……、白々しい……っ! こんなにもわたしたちを虐げておいて、何を……!」


「虐げる? 馬鹿な。現実にお前たちは助かっているじゃあないか? そこらの獣や魔物に食い散らかされるよりも、僕たちを楽しませる役に立った方がよほど良い」


「それは……あなたが、わたしたちを森へ連れて来るから! 本当ならわたしたちは、人間だけでもきっとっ」


「んん、それの何が悪いんだ? お前たち人間は人間で、充分に数が足りているんだろ。じゃあ少しくらい分けてくれたって困らないはずだ。違うかい?」


 プルウィウスのあっけらかんとした態度に、ノエルはしばし絶句した。アタシも正直似たような思いだ。

 妖精っつーのは、これだから……! クソ、自己中心も大概にしやがれってんだ!


「フフフ……それにつけても人間は良い。最高だ。育てるのも食べるのも大好きだぞ」


 妖精王はがばりと手を広げ、金の目を見開いて言い放つ。


「笑顔が素敵だ、悲鳴も美しい! これほど飽きの来ないおもちゃには、そうそう出会えないだろうなぁ!」


 ……しかし、妖精基準で考えても、こいつはどこかイカレている。

 オーヴェロン。『妖精の王』の称号。プルウィウスがその地位にあるのは、古く力のある大妖精だから、というだけではないのかも知れない。

 異常なまでの情熱と、絶対的な我の強さ。そうしたものが無ければ、王―――つまりは群れの頂点に立つ存在にはなれないのだ。


「―――だからね。もっと欲しいんだ」


 声のトーンが一段下がった。

 プルウィウスは両腕を畳み、赤褐色の爪のついた指で口元を押さえる。笑っているような、怒っているような、獰猛で邪悪な唇の歪み。


「もっとたくさんの人間が欲しい。もっと効率よく人間を捕まえたい。お前たちの町、あそこに居ると僕ら妖精は力を出せない……そもそも入ってすら行けない魔物どもよりはマシだが、それでも不便は不便だ。そこでお前を創った」


「………………え」


 ……なんだ。

 あいつ、今、なんて、


「えぇっと……元々の名前はなんだったかな? 忘れてしまったが……別にいいか。とにかく、僕は人間の肉と皮と骨を切り刻んで、自分の魔力で繋ぎ直した。人間の町でも存分に力を振るうことができる妖精、いわば人間妖精さ」


「…………、っ、……!?」


「だが、人間に似せ過ぎた弊害もあってね……。僕は慎重だから、出来上がったお前をひとまずは村に帰して、本当に人間の町に溶け込めるか試そうとしたんだ。そうしたら、お前の気配を見失ってしまって……」


 お前……それは。

 なんだそれ。こいつ……こいつに、ノエルは―――。


「おまけに、どんな絡繰りかは知らんが、後からいくら探しても見つからないと来た! お前を失ってからしばらくは試行錯誤の日々だったよ、我が王冠。人間に似せ過ぎるとよくない、でもある程度は似せておかないと役に立たない」


「……。……、……うそ」


「しかし……結局、山ほど作った中では、お前が一番出来が良かったというわけか。そこの魔法使いと変な人間は、お前が人間の町から連れてきたんだろう? やれやれ、もっとお前を真面目に探しておくべきだった。10年以上の努力が無駄になった気分だ」


「うそ……嘘、だ。だって、だってわたしは、お父様とお母様の」


「あぁ、でも……いや、いや。失敗続きではあったけど、人間妖精を作るのは楽しかったからなぁ……! それに彼ら、人間が素材になってるからか、人間の世話が得意だったんだよね。僕は人間を可愛がるのは好きだけど世話は面倒だからさ、彼らに任せられるようになってよかったよ。全部が全部無駄になったわけじゃない」


 吐き気が……する。嫌な想像が止まらない。

 村長が言っていた、青服のミェローと赤服のゴリグーリのこと。人間と特に仲良くしていて、時に他の妖精から庇ってさえくれる上級妖精―――。


「っと―――いけない、いけない。長いこと喋り過ぎたな。僕の森を好き勝手踏み荒らしてる変なゴミが居る……早く片付けに行かなきゃ。さぁ、帰るよ」


「わたし……わたし、違うっ、そんなのじゃない! わたしは……ノエル、ウィンバート家の娘……!」


「はぁ? あー、そっか。あの人間の子供はそんな名前だったんだね。でもそうじゃないんだよ、お前は僕の王冠だ。僕がよりたくさんの人間を手に入れて、僕だけの新しい国を作るための王冠」


「―――いい、加減に」


 もう聞いていられない。

 痛いのが何だ。苦しいのが何だ。笑わせんじゃねぇ、こんなもんの何が痛み苦しみだ。

 アタシの目の前で泣いている、あの子の方がよっぽど。


「しやがれ、クソ妖精があッ―――――!!」




――――――――――――――――――――――――――――――




 ―――結論から言えば、アルト=ペイラーは無傷だった。


「……やれやれ」


 魔剣使いが纏う黒布の外套の裾から、赤熱する炭の欠片がぱらぱらと燃え落ちた。

 使用者へのダメージを肩代わりする呪符アミュレットの残骸だ。


「森で迷子、おまけにもゼロか。笑えねェな」


 アルトが呪符に込めていた魔術には攻撃を無効化した上で、ある程度反射する効果が備わっていた。

 しかし、それがこのように一斉に破壊され、またプルウィウスではなくということは、あの雷撃が尋常な威力ではなかった証拠である。


「はァ……」


 夜空を見上げれば嫌でも目に入る。不自然な風の流れと、それに沿って渦巻く黒雲。時折閃く雷光。

 それに、プルウィウスが戦闘を継続しているということは、リンゼがあの攻撃から生き延び、今も抵抗しているということだ。

 彼女の母親伝説の赤竜ならともかく、本人の実力は未知数な部分が多いものの、それでも城塞都市の外に縄張りを持っている身だ。アルトはそちらについては楽観的になることにした。


「クソッタレ」


 獣臭がする。濃厚で鮮烈な血の香りも。

 あの灰色をした三角の耳、恐らくは魔狼まろう。極度に獰猛化した狼のことで、地上のどこにでも生息する典型的な魔物だが、どうにも様子がおかしい。


「ヴゥ……グル、ルルルルルル……」


「ギイィッ! ギィ、ギギッ」


 事前に知らされていなければ、ただの魔狼だと勘違いしていたかも知れない。

獣皮猟兵ウールヴヘジン』―――魔獣の皮を纏う、おぞましい小鬼ゴブリンの群れ。

 ゴブリン種首長リーダー級の特異個体ユニークである『赤斑アカブチ』に率いられる彼らは、獣皮がもたらす狂乱の魔力によって、ゴブリンとは思えないほどの怪力を発揮する。


「チッ。あァ、どけよ皮被りども。テメェらみたいな雑魚に構ってる暇は無ェんだ」


「ギシャアァッ!! ガルルルルル!!」


「グオオオォォォォ……!!」


 魔狼の骸に身を包んだ2匹のウールヴヘジンが、小柄な体格に見合わぬ発達した上腕筋を膨張させ、足に力を込めた瞬間だった。

 ドン、という音が断続的に鳴る。火薬の爆ぜた光が4度明滅する。

 そんな虚仮威こけおどしに怯むウールヴヘジンではない。構わず飛びかかろうとして、


「ガアッ……カ……!」


「グボ」


 額に開いた穴から、血と脳漿を噴き出して崩れ落ちた。

 そのさまを不機嫌そうに見据えるアルトの手には、2本の筒を上下に並べて取っ手を付けたようなものが握られている。大陸北西リチアニス地方の迷宮ダンジョンから出土した発掘品を、土精人ドワーフ族の秘術で復元した大型連装拳銃。


「レジータからの応援が南に来てるはずだよなァ。今からでも使い魔飛ばして……いや」


 真鍮色の魔剣を肩に担ぎ上げ、宮廷魔術師は大儀そうに歩き始めた。

 急ぐ必要はあるが、迷子の人間が無暗に走り回っても墓穴を掘るだけだ。

 ウールヴヘジンの屍を見る。足跡を探す。彼らが来た方向、行こうとしていた方向を辿る。か細く聞こえる悲鳴と、遠くで上がる火の手を合わせて考えれば、向かうべき場所は自ずとわかってくる。


 状況は最悪で、守るものは多く、倒す敵も多く、差し出せる手はあまりに少ない。救える命には限りがある。

 だが、アルト=ペイラーはそういった現実を悲観しない。最善の結果は常に、最悪の過程の中にしか存在しない。

 過去を受け入れ、現在を生きられない者に、未来を語る資格は無いのだから。

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